バレー清水邦広、復帰も再び膝手術。度重なる試練もコートに必ず戻る。

バレー清水邦広、復帰も再び膝手術。度重なる試練もコートに必ず戻る。

 2008年の北京五輪に出場し、その後、全日本の主将も務めたオポジット清水邦広(パナソニックパンサーズ)が、349日ぶりにコートに帰ってきた。

 2月2日、熊本県立総合体育館で行われたパナソニック対サントリーサンバーズ戦。第1セット23−15の場面で、大竹壱青に代わり、清水がコートに入った。大怪我を負った昨年2月18日以来の公式戦出場である。

 1本目のスパイクは、リベロ永野健のバックトスを、ストレートのコースに打ち抜き、エンドラインギリギリに決めてみせた。「緊張した」と言いながらも、「ブロックが2枚来ていたけど、ストレートが空いていたので打ちやすかった。しっかり見えていました」と冷静だった。

 後衛に下がった清水はサーブを打った後、大竹と交代した。ベンチに戻った32歳は小躍りしながらアップゾーンに向かい、「若手みたいやな」と笑いながら同級生の福澤達哉たちとハイタッチを交わした。

「久々すぎて、喜び方を忘れてました」

 約1年ぶりに決めたスパイクを振り返り、清水はこう言って笑った。

「決めた後、もっと永野さんとかと喜びたかったんですけど、ちょっと照れくさいというか……。すぐにサーブを打ちに行ってしまった。今考えたら、もう少し喜びを噛みしめたかったなーと思います」

「万全で打って決めてもらいたい」

 この1点までの攻防には、チームメイトの様々な思いが詰まっていた。

 清水が入りサントリーに16点目を取られた後、パナソニックはサーブレシーブが崩れ、セッターの深津英臣が走ってトスを上げにいく。清水にトスが上がるか、と会場中が注目する中、深津は2本続けてレフトの久原翼にトスを上げた。

「相手は(ブロックの低い)セッターが(久原の)前でしたから。清水さんも勝つためにコートに入ってきてくれたと思うので、お世辞で上げるとかそういうのではなく、僕も勝つために一番いい選択をしようと思って上げました」

 何より、復帰1本目は「万全の状況の時に打って決めてもらいたい」という思いが深津にはあった。

深津もおどろいた、リベロ永野からのトス。

 次もサーブレシーブが乱れ、リベロの永野がボールの下に入ると、永野は迷わずライトへトスを上げ、それを清水が打ち抜いた。

「オミ(深津)がビビったのかどうかわかんないけど、自分はチャンスがあれば上げようと思っていて、たまたまそのチャンスが来た。それが1本目だったんで、決まってくれてよかったです」と永野は振り返る。

 深津は「ビックリしました。この状況で行ったー! と思って」と笑った。

 そんな周囲の思いも清水はわかっていた。

「2ローテしか中にいられなかったので、その中では全部オレに持ってこいよ、というぐらいの思いでした。早く打ちたかった。でも深津はたぶん、Aパスからブロックを振って、いい状況で気持ちよく打たせたいという気持ちがあったと思う。永野さんは、ボールが行った瞬間、『絶対(トスが)くる』と思いました」

 アップゾーンから見ていた福澤は、「この1年間、清水がすごく苦労して、もがきながらも一生懸命前を向いて戦っていた姿がフラッシュバックして、最初のスパイクを見た時はちょっと泣きそうになりました」と感慨深げに語った。

 清水は2、3、4セット目にも2ローテーションずつ出場し、サービスエースを含む4得点を挙げた。

怪我の瞬間、バレーをあきらめた。

 試合後、1年前をこう回想した。

「1年前に怪我をした時は、またユニフォームを着ることが想像できませんでした」

 昨年2月18日。福岡市民体育館で行われたJTサンダーズ戦の試合中、ライトからスパイクを放った清水は着地の際に右膝をひねって倒れ込み、起き上がることができなかった。

「右膝から下がブランブランで。ただ事じゃないというのはすぐにわかって、その瞬間にもうバレーボールはあきらめました」

 スタッフたちが清水を運び出そうとするが、少しでも動かすと激痛が走るため、静まり返った体育館に清水の叫び声が響き渡った。

 病院では右膝の前十字靭帯断裂、内側靭帯断裂、半月板損傷、軟骨損傷で全治12カ月と診断された。

「あの時は本当にきついし辛いし、『なんでオレが?』ということが頭の中をぐるぐる回って、現実を受け止められなかった。絶望的でした」

 清水はその前年にも右足の舟状骨骨折で約10カ月間のリハビリを経て復帰していた。だから全治12カ月の診断を聞いた時には、「もうリハビリをする気力もなく、先生に『辞めます』と言いました」。

リハビリ中でも、積極的にイベントへ。

 それでも、数多くのバレー選手を復帰に導いてきた荒木大輔医師の、「本当に大きな怪我だけど、絶対に治らないという怪我じゃない。復帰して、もし納得がいかなかったらその時は辞めてもいいから、今すぐ辞めるとは言わないでほしい」という懸命の説得に心を動かされた。

 怪我から3日後に手術を行い、長いリハビリの日々が始まった。少し前進しても、痛みや腫れが出て後戻りすることが何度もあり、その度に気持ちも浮き沈みを繰り返した。

 そんな中、清水はバレー教室やパラバディ研修など様々なイベントに積極的に参加した。怪我でプレーできない間は公の場に出ることを避ける選手が多いが、清水はこう話す。

「怪我をしてからたくさんの人が応援メッセージをくれたりしたので、『今、元気ですよ』というのをお見せするために、イベントやいろいろな活動に参加しました」

 そこにはプロ選手としての矜持もあった。

「僕はプロとしてやっているので、もっといろんな人にバレーボールに興味を持ってもらいたいという思いも使命もあります。プレーできなくても、リハビリをしながらできることはたくさんあったので、いろんな場に出て多くの人と触れ合ったり、バレーを知ってもらうことが、その時の自分の仕事だと思ってやっていました」

ジャンプ力は20cm近く下がっている。

 10月からは、小学生バレーと同じ2mのネットでスパイクを打ち始め、中学生の2m30cm、高校生の2m40cmと徐々に上げていった。最初は2mですら、スパイクがネットにかかった。12月半ばにVリーグと同じ2m43cmのネットで練習し始めたが、最初はすべてスパイクがネットに当たり、「こんな状態で試合に戻れるのか」と不安にかられた。チーム練習に参加するようになっても、「自分のはるか上から福澤に打たれて嫌になる」ともらしていた。

 そうして一段レベルを上げるたびに直面する不安を1つ1つ払拭しながら、ようやくたどり着いた復帰戦だった。

「昨年に比べたら衰えているし、ジャンプ力も20cm近く落ちているので、見ている人は、『あれ? まだ全然だな』と思うかもしれない。でも急にバーンと戻れるわけじゃないので、時間をかけて本当に1cmずつ。その分、違う形で得点を取っていかないと」と冷静に現状を受け止める。

チームの優勝を見て、「自分ももう一度」。

 復帰までの道のりの中、挫折しそうになるたびに心の支えとなったのが、「もう一度このメンバーで優勝を味わいたい」という思いだった。

 昨シーズンのVリーグ・ファイナル2試合目が行われた3月18日、入院中だった清水はチームに合流し、会場で試合を見つめた。

「みんなが優勝する姿を見て、『やっぱりこの舞台にもう一度立ちたいな』と思ったんです。永野さんや白澤(健児)さんや福澤といった年齢が上のメンバーは、いつまでも長くこうして一緒にバレーができるわけじゃない。だから『1年1年大事にやっていこうな。だから今年優勝しような』と毎回言っていました。その中で僕が一番最初に離脱してしまった。でもまた復帰して、もう一度決勝の舞台に立って、みんなと一緒に喜びを分かち合いたいという強い思いが芽生えました」

 そのファイナルの夜、清水と永野、白澤、福澤、ミハウ・クビアクが集まった。その場で永野に言われた言葉が忘れられないと言う。

「なんでお前がこんなことになるんだって、オレだけじゃなく全員が思ってる。でもオレたちは立ち止まれない。だから清水もここからもう一度はい上がっていくしかない。どんなことでも支えるから何でも頼ってくれ。何でも助けるから、もう一度一緒にバレーボールをしよう」

「やっぱり人間、欲が出るんですよね」

 2月2日の復帰戦の後、コートインタビューに立った清水は、笑顔で周囲への感謝の思いを伝えていたが、「特に福澤、白澤さん、永野さんに……助けられて、やってこられた」と話した時だけは声を詰まらせた。

 しかしここはまだ完全復活へのスタートライン。永野はこう語った。

「嬉しかったけど、まだ完全復帰じゃない。完全復帰するための1つのステップ。だから『ナイススパイク』とは言ったけど、『おかえり』とはまだ言えない。試合を通して出た時に、もっとお祝いしてあげたいですね」

 もちろん清水も、「まだまだです」と先を見据えた。

「次はパナソニックでレギュラーを勝ち取ること。決勝や大事な試合までにはまだ時間があるのでコンディションを上げていきたい。まだ復帰しただけで、このメンバーでもう一度優勝を味わうという一番の目標は達成できていないので、そこに向けてやっていきます。そうすれば代表への道も開けてくる可能性もある。まだまだ、東京オリンピックも僕はあきらめていません」

 リハビリ中は「まったく考えられない」と言っていた“代表”や“東京オリンピック”という言葉が自然と出てきた。

「やっぱり人間、欲が出るんですよね」と笑った。

 ここで一度記事を書き終えていたのだが、復帰から9日後の2月11日、清水は感染症により、再度、右膝の手術を行うことになった。

 どん底からはい上がり、ようやく復帰を果たしたばかりだというのにまた……。本人の失意はいかばかりか、はかり知れない。

 それでも、清水はツイッターに「神様はどれだけ試練を与えてくるのか分かりませんが 全部はねのけていけるように頑張ります」というコメントを載せた。

 少し強がりだったとしても、清水は決して折れてはいない。彼が再びコートに戻ってくる日を、何度でも待っている。

文=米虫紀子

photograph by Panasonic PANTHERS


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