杉下茂と野茂英雄が中日キャンプに!魔球フォークを巡る70年前の伝説。

杉下茂と野茂英雄が中日キャンプに!魔球フォークを巡る70年前の伝説。

 沖縄や宮崎から野球の香りが漂ってくる季節になった。キャンプ地巡りも楽しいが、スポーツ紙の報道を細かく追うのも捨てがたい。選手の動向だけでなく、その球団ゆかりの関係者が訪れたというニュースも2月ならではの興味をかき立ててくれる。

 沖縄県北谷町の中日キャンプには、野茂英雄氏が訪れた。てっきり近鉄OBのコーチがたくさんいるからだと思っていたら、記事には与田剛監督とのご縁だとあった。

 ドラフト同期、全日本のチームメート……、などと書いてあったが、筆者が思い浮かべたのは2人が大活躍した1990年放映のトレンディドラマ「すてきな片想い」である。

 中山美穂演じるOL役が「与田」、柳葉敏郎は「野茂」。なるほど。28年がたっても、与田と野茂はやはり結ばれる運命だったのか。

 なあんてことはスポーツ各紙には書いていなかったが、代わりに「トルネード」とともに「フォークの神様」もいたことをちゃんとフォローしてくれていた。

 杉下茂氏。

 1925年生まれだから、大正14年である。93歳。毎年欠かさず沖縄キャンプを訪れ、ひ孫ほど年の差がある若手にも投球術を授けている。

神様がフォークに出会った瞬間。

 トルネードと神様。フォークの巨匠がそろったと知るだけでも興奮する。

 参考までに杉下氏が「本物認定」している使い手は、ご自身と野茂以外に4人いる。それは村山実(阪神)、村田兆治(ロッテ)、佐々木主浩(横浜など)、伊良部秀輝(ロッテなど)である。そして杉下氏いわく「野茂以外は教えたことがある」。さすがは神様。弟子のラインナップも超一流なのだ。

 神様がフォークと出会ったのは明治大学在学中だ。帝京商(現在の帝京大高)、後に中日でも監督と選手という関係になった、天知俊一から「フォークってのがあるぞ」と言われたのがきっかけだ。

最初はなんと下手投げだった。

「ちょうどアンダースローからオーバーハンドに転向したころでね。といっても教科書なんてありゃしない。第一関節まではさむのか、第二関節か、それとも根元なのか……。さっぱりわからない。

 天知さんに聞いたって『知らねえ。とにかくはさめ』だよ(笑)。仕方ないからキャッチボールからいろんな握りで遊んでみたり、球拾いのときにはさんだりして、プロに入るころには少しずつ覚えていったというわけなんだ」

 杉下氏は本格的に投手を始めたのが21歳で、当初は驚くことに下手投げだった。この回想シーンは、22、23歳あたりだと思われる。まだ1リーグ時代の1949年に中日に入り、東急戦で「青バット」の大下弘からフォークで3連続三振を奪った。

「必ずピンチで大下さんに打席が回るんだ。そこでフォークを投げるわけなんだけど、明大のころから大下さんのことは知っているからこう言われるんだよ。『おいスギ、おまえなんか変なボールを投げるな』とね」

 杉下氏はその変なボールの正体を明かそうとはしなかった。学ぶのも独学であった。それなら、易々とライバルに企業秘密を知らせようとは考えなかった。

 このエピソードに触れれば、映像、動画サイト、ついには軍事レーダーの技術まで応用されて、先駆者が手に入れたあらゆる技術はたちどころに模倣され、研究されてしまう現在の野球が本当におもしろいのか考えさせられてしまう。

2年間守ったフォークの秘密。

 ともあれ杉下氏の秘密は2年間は守られたが、1951年春についに知られてしまった。フランク・オドール監督率いるサンフランシスコ・シールズ(3A)が、春季キャンプに日本の4選手を招いた。「物干し竿」の藤村富美男(阪神)、「打撃の神様」の川上哲治(巨人)、「和製ディマジオ」の小鶴誠(松竹)とともに、投手ではただ1人、杉下氏が参加した。

「フリー打撃でも向こうの選手にカンカンと飛ばされるわけだよ。するとおもしろくないから、フォークを投げてやったんだ。すると打たれなかったから、オドールが『何を投げたんだ?』と聞いてきた。

 握りを見せたら『おお、フォークか』とね。そのときに初めて3人の耳に入ったんだよ。ずっと内緒にしていたからね。自分の投げるボールは極力隠していたんだ」

大リーグからオファーが。

 当時は大リーグでもフォークの使い手はほとんどいなかったようだ。それを日本からやってきた若い投手が操っている。「おまえはこっちに残ってやってみないか」とオファーを受けたほど、杉下氏の評価は高かった。

 野茂よりも半世紀近く前に「ジャパニーズフォーク」が大リーガーをきりきり舞いさせていたかもしれなかったのだ。

 杉下氏といえばフォーク、フォークといえば杉下氏というほどその印象は強い。ところが「正直いうと、好きじゃなかった」とこちらがのけぞるようなことを口にする。

「川上にフォークを投げろ」

「投げても1試合のうちで5、6球くらいのものだったね。僕は川上さんにど真ん中のストレートで勝負できるピッチャーになりたかったんだ。日本一のピッチャーになるためには、あくまでも川上さんを打ち取らなければならなかったんだ。ところがずっと打率3割くらい打たれていた。昭和29年だけは1割台に抑えたんじゃないかな。天知さん(監督)が『川上にフォークを投げろ』と言う。断ったら『監督命令だ』ってね」

 川上との神様対決に使えば優位に立てることはわかっていた。そもそもフォークは巨人用であり、中でも川上、青田昇という主力のためにという思いもあったようだが、投手の美学がそうさせてこなかった。

 監督命令に従った1954年はチームが巨人戦で挙げた14勝のうち、実に11勝を杉下氏が稼ぎ出した。32勝、防御率1.39など投手のタイトルを独占。西鉄との日本シリーズも獅子奮迅の活躍を見せ、球団史上初めての日本一に導いた。

 背筋がピンと伸び、かくしゃくとしたたたずまいからは、とても実年齢が想像できない。

 何より、キャンプ地のブルペンでは今年も立ちっぱなしで投球練習を見ていると聞いた。大正に生まれ、その大きな右手はフォークよりも前に手榴弾を投げている。1リーグ時代の野球界を知る生ける伝説でありながら、ふんぞり返ったりはしない。

 神様はいつだって穏やかな笑顔で若い選手を見守っている。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News


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