今もなお語り継がれる「与田の18球」。監督初戦は因縁深きベイスターズ。

今もなお語り継がれる「与田の18球」。監督初戦は因縁深きベイスターズ。

 最寄り駅はJRなら「尾頭橋」、名鉄だとかつては「中日球場前」、「ナゴヤ球場前」と呼ばれた駅名は、現在は「山王」となっている。そこから徒歩圏内にあるのがナゴヤ球場。正面には飲食店が軒を連ねている。

 昭和の遺風漂う「喫茶マサ」。かつてのエース・山本昌にちなんだのかと思いきや、そうではないらしい。名古屋文化であるモーニングはバターがたっぷり染みたトーストがうまい。

「お好み焼きの岬」は、焼きそばや肉玉がなんとワンコインで食べられる。デラックスでも550円。店主の正木房子さんは「中日スタヂアム」と呼ばれていたころから地域で育った生き字引で、往年の名選手の笑える逸話やタバコの火が引火してスタンドが焼け落ちた火災事故の話などを聞かせてくれる。

「ラーメン専科 竜」は中日の選手も大好きな味だ。根尾昂の入団が決まると「NEO竜ラーメン」を販売。スター候補生に便乗したと言うなかれ。骨付きスペアリブが鎮座する具だくさんの逸品が、税込み1000円ではそうは儲かるまい。店主の吉田和雄さんも「まさかここまで売れるとは」と限定10食をうたいながら、可能な限り対応するお人好しだ。

 こうした地域の飲食店が、根っからのドラゴンズファンの観戦前の楽しみであると同時に、ハードな練習で腹を空かせた選手の胃袋を満たしてきたのだ。

ナゴヤ球場での一軍ゲームは23年ぶり。

 ナゴヤ球場は1948年に完成。'97年のナゴヤドーム完成後は、スタンドの大部分を取り壊し、空いたスペースに屋内練習場や合宿所を建設し、二軍の本拠地として使用されている。

 3月7日、そのナゴヤ球場でDeNAとのオープン戦が行われた。名古屋ウィメンズマラソン(10日)の発着点となるナゴヤドームが、準備作業のため使用できないことと、近隣の球場との折り合いがつかなかったことから実現した。一軍の試合が行われるのは'96年以来。施設の都合上、3504人しか入場することはできなかったが、当日は開始予定の2時間前には1000人を超すファンが長蛇の列をつくり、開門を30分早めたほどだった。

星野監督が指名した新人・与田。

「僕がデビューした球場。この地にユニホームを着て立つことができるのはすごく感慨深いですね」

 こう話した与田剛監督のプロ初登板は、'90年4月7日。ベテランでも緊張する開幕戦で、おまけに同点の延長11回、無死一、三塁というとてつもなくしびれる場面だった。

 相手は横浜大洋。延長10回に両チームが1点ずつ取り合う白熱した展開だった。毎回のようにピンチを背負っていた先発の西本聖もついに限界が近づいた。この大ピンチに与田を指名したのが星野仙一監督だった。

覚醒したストレート、球速は150km。

 以下、与田監督の著書『消えた剛速球』をもとに再現する。

「こんな大事な場面に新人のオレでいいのか」という不安を「いや、それだけ星野監督は期待してくれているんだ。絶対に応えてみせる」という意気込みが吹き飛ばした。打席には田代富雄。全盛期は過ぎたが、実績十分の元主砲はとっておきの代打だった。鼻息の荒い与田が捕手の中村武志のサインをのぞきこむ。

「え、ここでフォークなのか?」

 プレートを外そうかという思いを何とか飲み込み、フォークを投げる。懸命に止めた中村が、すぐにタイムを取ってマウンドに駆け上がった。

「与田さん、どうしたんですか?」

 中村の要求はストレートだった。初登板の緊張と興奮が、与田から冷静さを奪っていたのだ。

「暴投にならなくて良かった」

 胸をなで下ろし、落ち着きを取り戻した与田は、そこから鬼神のように剛速球を投げ続けた。

ルーキーのデビュー戦で乱闘寸前!?

 田代を投ゴロに打ち取り、横谷彰将、宮里太は連続空振り三振。

 17球連続ストレートで、うち13球は150kmを超えていた。社会人時代の最高球速が147kmだったのだから、プロのマウンドと雰囲気により潜在能力が覚醒したのだろう。

 第1球のフォークも含めて、まさしく「与田の18球」。

 田代の投ゴロの際には本塁に突っ込んだ三塁走者が、中村にタックルした。それを見た与田は、中村そっちのけでエキサイト。「この野郎、ウチの大事なキャッチャーに何をするんだ!」と吠えかかっていた。

 両軍から監督、選手が出てきて乱闘寸前までいった。繰り返すがルーキーのデビュー戦。「あっぱれ」をあげたくなる投げっぷりである。

<自分でも何かわからない。不安と期待が入り混じったなかで、体内の「何か」が変わった。アドレナリンが大量に分泌したとでもいうのだろうか。言葉では何といっていいかわからないが、自分のなかに確実に変化が起きた。>

ファンの心をつかんだ与田の投球。

 著書にもあるように、与田はこの試合を境に変わった。

 闘争心を前面に押し出す投球スタイルは、当時の星野野球にもぴたりとはまり、ナゴヤ球場に足繁く通うコアなファンの心をわしづかみにした。

 なお、このデビュー戦は11回裏終了時に降りしきる雨のためコールドゲームとして成立している。

 12回もマウンドに上がるつもりだった与田は、引き分けという結末に「グラブを叩きつけて怒った」そうだ。

次は監督としてのデビューが待っている!

「与田の18球」は、結果的に“11年間で最高の試合”になった。故障に泣いたこともあり、これ以上の体験はできなかった。もちろん、何ら恥ずべきことではない。与田という投手は燃焼しきった。

 次は監督としてのデビューが待っている。

 思えば投手としての開幕戦だって、死球を当てたグレン・ブラッグスがマウンドに突進してきても、今の投手のように謝りもせず、一歩も逃げなかった試合('94年6月22日)だって、今回のオープン戦だって、不思議と与田の節目はベイスターズ戦(旧ホエールズ)である。

 そして、今季の開幕戦もDeNA。

 3月29日、ナゴヤ球場でないところが残念だが、横浜スタジアムで与田ドラゴンズは初陣を迎える。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News


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