鈴木みのるがライガーと闘いたい理由。17年前の電話と、プロレス界復帰。

鈴木みのるがライガーと闘いたい理由。17年前の電話と、プロレス界復帰。

 来年、1月4日、5日に開催される新日本プロレスの東京ドーム大会での引退を表明している獣神サンダー・ライガー。

 ジュニアヘビー級のレジェンドだけに、国内外の多くのレスラーから「引退前に(もう)一度闘いたい」という対戦希望の声が上がっているが、先の新日本プロレス『Road to レスリングどんたく2019』シリーズでも、またひとり、ライガーとの一騎打ちに名乗りをあげる男が現れた。鈴木軍のボス、鈴木みのるだ。

 4.24新日本プロレス後楽園ホール大会、「獣神サンダー・ライガー デビュー30周年記念試合」で、ライガーと鈴木は、それぞれタイガーマスク&田口隆祐、金丸義信&エル・デスペラードとトリオを結成し、タッグマッチで対戦。

 この試合前、マイクを持った鈴木は「おまえ、あのとき言ったよな。『2年ぐらい時間よこせ』って。いつまで待たせるんだよ。それともなにか、『体力が衰えて怖いから、もうあなたとはできません』ってことか?(笑) おい、どうすんだよ?」と、ライガーを挑発。そして「獣神サンダー・ライガー30周年のプレゼントだ!」と、オープンフィンガーグローブを投げつけた。

17年前、パンクラスルールでの一戦。

 ライガーと鈴木は、いまから17年前の2002年11月30日、パンクラス横浜文化体育館大会において、パンクラス(総合格闘技)ルールで対戦。この時は、鈴木がこのルール初挑戦のライガーにマウントパンチからチョークスリーパーで一本勝ち。試合後、短い準備期間でこの試合に臨んだライガーはマイクを持ち、「もう一回やろう。でも、すぐというわけにはいかん。2年ぐらい余裕をくれ。次はブチのめす!」とアピールした。

 この時の発言を、鈴木は引き合いに出したのだ。

 なぜ、いまになって鈴木は、あらためてライガーとの再戦をアピールし始めたのか。それは、あの17年前の一戦が、鈴木のレスラー人生にとってきわめて重要な試合のひとつだったからだろう。

別々の道を歩んだ2人。

 もともと鈴木にとってライガーは、新日本の若手時代、もっとも仲のいい先輩のひとりだった。それが'89年春、鈴木は新日本を退団して第2次UWFに移籍。ライガーは素顔から覆面レスラーの“獣神ライガー”に変身して、第二のレスラー人生がスタートし、ふたりは別々の道を歩むこととなる。

 その後、鈴木はUWF、プロフェッショナルレスリング藤原組を経て、'93年に船木誠勝らとパンクラスを旗揚げ。プロレスから、総合格闘技へと足を踏み出す。そして'95年5月にケン(ウェイン)・シャムロックを破り、キング・オブ・パンクラスの王座を奪取。しかし、'96年に頚椎ヘルニアの大怪我を負い長期欠場。そこから連敗を重ねるようになる。完全実力主義、リアルファイトのリングでは、勝てなくなった選手に居場所はない。鈴木は肉体的にも精神的にも追い込まれた。

 筆者が以前インタビューしたとき、鈴木は当時のことをこう語っていた。

「自分が理想として掲げていた格闘技の世界では、俺みたいに勝てなくなったヤツは身を引くしかない。だから、あの頃は引退することばかり考えていた。本当は辞めたくないのに、自分の気持ちに嘘をついてね」

「新日本は逃げねえからな」

 そして2002年に引退を決意。最後のケジメとして、若手時代のライバルである佐々木健介とパンクラスのリングで、新人の頃の気持ちに戻ってがむしゃらに闘い、燃え尽きようと考えた。当時、ちょうど新日本とパンクラスは交流戦を行なっていた時期であり、新日本所属だった健介とのカードを組むことが可能だったのだ。

 ところが対戦を正式発表したあと、健介は足のケガなどを理由にこの一戦を辞退。鈴木の“最後の試合”は宙に浮いてしまった。

「あの時は、自分が情けなかったね。その前は、DEEPのリングでUWFの後輩である田村潔司と闘うという話もあったんだけど、それも流れて。勝てなくなったヤツには、自分の“死に場所”すら選べないんだなって」

 そんな時、鈴木の携帯電話が鳴る。相手は獣神サンダー・ライガーだった。

「健介戦の話がなくなって、もうどこにも行き場がなくなったとき、ライガーから電話がかかってきてさ。『おい、健介がおまえとやらないって聞いたぞ? なんでアイツやんねえんだよ!』って言われてね、『何回聞いても“できない”としか言わないんですよ』『なんなんだアイツ』『知らないっスよ』みたいなやりとりがあって。

 そのあと『そこまで話が進んでいたのに、どんな理由があるにしろ“出られない”ってなったら、おまえは健介が逃げたと思うだろ?』って言われて、『思います』って答えたら、『ってことは新日本がおまえから逃げたってことになるんだよ。俺は絶対それを許さない。俺がやる。新日本は逃げねえからな。マスク脱いででもなんでもいいよ、やるよ』って言ってきてね。俺、感動しちゃったんだよ」

 かつての先輩が、鈴木の行き場のない思いを受け止めてくれたのだ。

「すべてを失う覚悟」でプロレスに復帰。

 '02年11月30日、鈴木はライガーとパンクラスのリングで対戦。すると、抑えていた感情が溢れ出した。「どうしても、もう一度プロレスをやりたい」と強く思うようになったのだ。しかし、プロレスに復帰すれば、パンクラスを作ってからの自分の発言を覆すことになる。

「でも、どうしてもやりたい気持ちはもう抑えられなかった。だから、それまで築いてきた自分のイメージ、パンクラスの仲間たち、支援してくれた人たちやファン、すべてを失う覚悟で戻ったんだ」

 2003年、35歳でプロレスに復帰。あのライガー戦なくして、いまのプロレスラー鈴木みのるは存在しなかったのである。

いまだからこそ、闘う意味がある。

 そしていま、鈴木は引退を決意したライガーと再び闘おうとしている。それは17年前に約束した“総合格闘技ルールで”というわけではないだろう。

 4.23後楽園での試合後、鈴木みのるはオープンフィンガーグローブを床に叩きつけてこう語っている。

「べつにこんなもの付けてなくてもいいんだ。俺が殴ればいいんだ、蹴ればいいんだ、首絞めればいいんだ。俺はおまえのトドメをさせればそれでいい。ライガー、おまえの口で答えろ!」

 鈴木は17年前のあの一戦以降、自分が培ってきたプロレスをライガーにぶつけるだろう。

 そして鈴木に負けてからブラジリアン柔術を学び始め、現在紫帯を取得しているライガーは、その技術も駆使して、自分のプロレスで勝負することだろう。

 鈴木みのるvs.獣神サンダー・ライガーは、いまだからこそやる意味があるのだ。

文=堀江ガンツ

photograph by AFLO


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