三大自転車レースは“年に1度のお祭り”。ジロ初参戦の日本人は明暗分かれる。

三大自転車レースは“年に1度のお祭り”。ジロ初参戦の日本人は明暗分かれる。

 イタリアのスポーツといえば、カルチョ。いや、それだけではない。サッカーのセリエAが閉幕する5月は、猫も杓子も“チクリズモ”。ウェブでいま【Ciclismo】と検索してみれば、ホットなニュースが無数に出てくるはずだ。

 初夏のイタリアは、自転車ロードレース熱が最高潮に達する。中世の歴史的建造物に囲まれた市街地、風情ある丘の上、絶景の山岳地帯の沿道まで3重、4重の人垣ができ、老若男女が手をたたき、声を張り上げる。普段はカルチョに夢中なイタリア男も「年に1度のお祭りだ」と熱くなる。

 ヨーロッパだけではなく、南米コロンビアの自転車ファンも母国の旗を振り、我らが英雄の名前を連呼する。自転車競技が文化として深く根付いており、道路がいま以上にでこぼこだった100年以上前から人気を博しているのだ。

グランツールの1つ「ジロ・デ・イタリア」。

 世界三大自転車ロードレースの幕開けとなる「ジロ・デ・イタリア」の第102回大会が5月11日、イタリア北部エミリア・ロマーニャの州都ボローニャで開幕した。

 UCI(国際自転車競技連合)が統括する自転車競技では「ツール・ド・フランス」、「ブエルタ・ア・エスパーニャ」と並んでグランツールと呼ばれ、世界最高峰の選手たちが集結する。6月2日までの約3週間(休息日は2日間)でアルプスの山岳地帯を含めイタリアを周遊し、全21ステージの3578.8kmを走り抜け、個人総合優勝の座を争う。

 グランツールをたとえるならば、サッカーのUEFAチャンピオンズリーグ、テニスのグランドスラム(四大大会)と言ったところか。


 夢の舞台に立てるのは限られた者のみ。1909年に始まった伝統あるジロ・デ・イタリアの出場権が与えられるのは、UCIのチーム格付けが最高位にカテゴライズされるワールドチームの18枠、大会主催者に招待されるプロコンチネンタルチーム(上から2番目のカテゴリー)の4枠。2019年大会は計22チームの176人(各チーム8人)がエントリーした。

世界最高峰に挑んだ2人の日本人。

 今大会でひと際脚光を浴び、大きな声援を受けているのが地元イタリアのレジェンド、ビンチェンツォ・ニバリ(バーレーン・メリダ)だ。全グランツールを制覇している押しも押されもせぬ優勝候補である。

 
 そんな各国のスター選手に混じり、日本人の名前もある。

 将来を嘱望されている24歳の西村大輝(にしむら・ひろき)。

 2016年の全日本選手権で優勝した30歳の初山翔(はつやま・しょう)。

 招待枠で3年ぶり3度目の出場を果たした、日本企業のNIPPOがメインスポンサーを務めるイタリア籍のチーム「NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ(プロコンチネンタルチーム)」の一員として、2人そろってジロ・デ・イタリアに初参戦している。

 小学生の頃からヨーロッパの自転車競技に魅せられてきた西村は緊張をにじませながら、開幕前日から胸を踊らせていた。

「グランツールは幼い頃からの憧れでした。世界に挑戦したいという強い思いを認めてもらったと思います」

「フォルッツァ、ジャポネ!」

 第1ステージはボローニャの斜塔を背中にスタートし、小高い丘の上にあるサン・ルーカ聖堂前でゴールする8kmの個人タイムトライアル。ラストの2.1kmは急勾配の上り坂で、最大斜度は16%にも達する。

 西村はまだ日差しの強い午後5時過ぎに、念願のグランツール初出走。お祭り騒ぎの市街地を抜けると、人があふれる急坂へ突入。わずか数センチの距離まで接近する観衆に「フォルッツァ、ジャポネ!(頑張れ、日本人)」の掛け声をかけられ、鼓舞されたが、表情は歪んだまま。歯を食いしばってペダルを踏んでも、力は伝わらない。


 極度の緊張も影響したのだろう。ウォーミングアップの時点で体調が急変していた。心拍数が異常に上がり、汗が止まらなくなっていたのだ。

「自分の体ではない感じでした。全然(ペダルを)踏めなくて……」

 結果は最下位。トップから4分36秒遅れで大会規定によりタイムアウト(足切り)で失格となり、初日で大会を後にすることになった。3578.8kmの長旅に挑むつもりが、わずか8kmでの終焉。

 “ジロの洗礼”はあまりに厳しいものだった。

西村「ここから挽回していくしか」

 首位に立ったスロベニアのプリモシュ・ログリッチ(チーム・ユンボ・ビスマ)が個人総合成績のリーダーのみに着用が許されるピンクジャージのマリアローザに袖を通し、シャンパンを抜くなか、176番目の男はレース後、肩をがっくりと落とし、声をしぼり出した。

「人生最大の失敗をしてしまった。多くの人たちの思いを裏切ることになりました。僕をジロに出すために尽力してくれた方たちに対して、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 将来性を期待される24歳。チームを統括する大門宏マネジャーには経験を糧に成長することを促され、本人も必死に前を向いた。

「ここから挽回していくしかないです。力をつけて、脚力を上げないと話になりません」

第3ステージで仕掛けた初山。

 一方、昨年もヨーロッパのレースを転戦して経験を積んでいる初山は第1ステージをトップから2分47秒遅れの170位でフィニッシュ。第2ステージはボローニャから205km南下し、トスカーナ州のフチェッキオまでのロードコースを走る。途中で集団から遅れて後方に位置したが、体力を無駄に使うことなくうまくやり過ごした。ジロの雰囲気を感じながらも、特別な緊張はないという。

 そして、迎えた第3ステージ。「万能の天才」と呼ばれた芸術家レオナルド・ダ・ビンチが生誕したビンチをスタートし、チームの作戦通りにすぐに仕掛けた。

 しかし、大集団から飛び出したものの、後ろを振り返ると、付いてくる選手は誰もいない。

 想定外の展開。他の選手を風よけに使えない単独走行は体力の消耗が激しく、リスクが大きいのだ。本人も集団に戻ることを考えて、無線で水谷壮宏監督の声に耳を傾けると、「そのまま逃げろ」の指令。集団とのタイム差を2分、3分、4分、5分とどんどん広げていく。

「途中からはもう1人で行くしかないなって感じでした。どうせ(集団に)つかまるならば、ゴール(オルベテッロ)近くでつかまりたいかなと。少しでも長く逃げようと思いました」

 強い横風が吹くなかでも、ペースを落とさずに淡々とこぎ続けた。すぐ後ろでチームカーのハンドルを握っていた水谷監督も無理をさせないようにしていた。風向きなども考慮し、体力の配分を考えていたという。

逃げた初山はフーガ賞を獲得。

 イタリアのテレビ放送では約2時間以上、先頭を走る初山を画面に映し続け、経歴なども紹介。テレビ中継のアナウンサーがハツヤマの「H」を発音できず、何度も「アツヤマ」と呼ばれても、誰も突っ込む人はいない。チーム関係者は誰もが満足そうな顔だった。

 スポンサーの露出、チーム知名度の向上を考えれば、その貢献度は計り知れないという。逃げて、逃げて144kmの一人旅。最終的には強豪チームのビッグスターたちがひしめく集団に飲み込まれて169位でゴールしたものの、獅子奮迅の活躍ぶりが認められてフーガ(逃げ)賞を獲得。

 翌日、イタリアの有力スポーツ紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』でも1ページの特集が組まれ、「バンザイ」の見出しがつけられ、「ラストサムライ」が奮闘したと大々的に報じられた。

「反響は予想以上に大きいですね。携帯電話のメッセージもすごいことになっています。第3ステージという早い段階で、チームの仕事を1つこなせたことはよかったです。でも、これで終わったわけではありません。まだまだ続きますから」

 最後は自分に言い聞かせるように気を引き締めたが、チームスタッフにポーカーフェイスと呼ばれる男の表情にも充実感が漂っていた。次の見せ場はいつくるのか――。

「チームからの指示が出れば、次も仕事ができるようにしたい」と言葉には自信がにじむ。世界最高峰の舞台で戦う日本人の走りに注目だ。

文=杉園昌之

photograph by Sonoko Tanaka


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