桑田、松坂、斎藤、そして吉田輝星。甲子園スターのプロ初登板とその後。

桑田、松坂、斎藤、そして吉田輝星。甲子園スターのプロ初登板とその後。

 6月12日、一軍初登板を果たした吉田輝星は、まだ投げないうちから汗をかいているように見えた。

 おそらくこの1年の自身の境遇の変化には、目もくらむような思いがしていただろう。彼は1年前には、まだ好事家にしか名前を知られていない地方の高校生に過ぎなかったのだ。昔はこういうのをシンデレラ・ストーリーと言った。

 実は甲子園をわかせた大スターが、そのまますんなりとNPBの大スターになった例はそれほど多くない。甲子園の優勝投手、準優勝投手のNPBデビュー戦を振り返ってみよう。

元祖はカミソリシュートの平松。

<平松政次(岡山東商→日本石油→大洋)>
 1965年春の甲子園の優勝投手。この年の第1回ドラフト会議で、中日からドラフト4位で指名されるも入団拒否、社会人に進み、翌'66年の第2回ドラフトの二次で、2位で大洋に指名され、'67年シーズン中に入団。

 初登板は、1967年8月16日、川崎球場での広島戦。先発して5回2被安打2奪三振無四球、自責点1と好投するも、勝敗つかず。最初に対戦したのは、のちに広島初優勝時の監督となる古葉竹識で、初奪三振は藤井弘から奪った。

 投手としては極めて珍しいことに、この年の平松は背番号「3」をつけていた。長嶋茂雄に憧れていたからだ。

 この年は3勝に終わるが、カミソリシュートを武器に通算201勝を挙げる大投手となる。甲子園の優勝投手でプロ200勝を挙げたのは平松と戦前の野口二郎(中京商→法政大→セネタース・翼・大洋・西鉄、阪急:通算237勝)しかいない。巨人キラーとして知られた平松は、2017年に野球殿堂入りを果たす。

 ちなみにバルセロナ五輪で岩崎恭子の金メダルを実況したNHKの名アナウンサー、島村俊治さんは、岡山県大会での倉敷商の松岡弘(のちヤクルト)と平松の熾烈な投げ合いを実況して「スポーツアナとして生きていこう」と決心した、と聞いたことがある。

実は知らない太田幸司の全盛期。

<太田幸司(三沢→近鉄、巨人、阪神)>
 1969年夏の甲子園の準優勝投手。ロシア人とのハーフ。甘いマスクで大人気となる。松山商との決勝は延長18回で勝負がつかず、翌日に再戦。三沢は2−4で破れ、太田は涙をのんだ。この年のドラフト1位で近鉄に入団。

 プロでまだ1球も投げないうちから、ファンに追いかけ回される。アイドル的なプロ野球選手の第1号だろう。

 初登板は1970年4月19日、藤井寺球場でのロッテ戦。8回から3番手としてマウンドに上がり、2回1被安打1奪三振1与四球、自責点1だったが、味方がサヨナラ勝ちしたために白星が転がり込む。初奪三振は池辺巌。この年はこの1勝だけだった。

 しかし人気は凄まじく、高卒1年目で『グリコ』のアーモンドチョコレートのCMに出る。オールスターのファン投票では、新人から6年連続で選出されるが、4年目までの勝利数は合わせて9勝に過ぎなかった。しかし5年目に10勝、翌'75年にはキャリアハイの12勝を挙げた。アイドルから実力派に変わったのだ。通算58勝。

桑田は1年目2勝、翌年にはエース。

<桑田真澄(PL学園→巨人、パイレーツ)>
 1983年と'85年夏の甲子園の優勝投手。清原和博とのKKコンビは史上最強の高校生と言われた。1985年ドラフトの目玉となる。早稲田大進学と言われていたのが一転巨人が1位指名したことから密約説が流れる騒ぎになった。

 プロ初登板は、'86年5月25日、ナゴヤ球場での中日戦。甲子園のライバルだった水野雄仁(池田)の後を受けて8回から登板。1回2被安打1奪三振無四球、自責点1。勝敗つかず。

 最初の奪三振は鈴木康友から。3日後の5月28日には初先発するも3.1回自責点4。しかし6月5日の阪神戦では完封勝利。この年は2勝に終わるが、翌年からエースになり、長く活躍した。

 トミー・ジョン手術も受けたが、通算173勝は巨人史上7位。大リーグのパイレーツを経て引退。高校時代から「投球過多」にならないように練習をセーブしていたと言われ、自己管理力の高さで、甲子園でもプロでも成功した。

衝撃的だった松坂大輔の初登板。

<松坂大輔(横浜→西武、レッドソックス、メッツ、ソフトバンク、中日)>
 1998年夏の優勝投手。決勝の京都成章戦でノーヒットノーラン。「怪物」と呼ばれる。同世代には杉内俊哉、和田毅、村田修一など有力選手が多かったが、「松坂世代」と呼ばれる世代のフラッグシップだった。この年のドラフト1位で西武に入団。

 1年目の高知キャンプにはファンが押し寄せ、球団は他の選手に松坂の「18」をつけさせてファンを引きつけ、その間に移動させる「囮作戦」までやった。

 プロ初登板は、'99年4月7日、東京ドームでの日本ハム戦。開幕4戦目で先発し、8回5被安打9奪三振3与四球、自責点2で堂々のプロ初勝利。初回に日本ハムの先頭打者井出竜也から初三振を奪った。

 この年、16勝で最多勝。デビューから3年連続で最多勝。「怪物」の名にふさわしい活躍をして2007年にはポスティングでレッドソックスに移籍。2年で33勝を挙げたが、以後は苦しいマウンドが続く。

 2011年にトミー・ジョン手術。2015年に日本復帰しソフトバンク、中日と所属が変わる。NPB通算114勝、MLBでは56勝。来年には不惑を迎えるが、フラッグシップは現役続行に執念を燃やしている。

田中は初陣で6失点も黒星つかず。

<田中将大(駒大苫小牧→楽天、ヤンキース)>
 2006年春優勝投手。夏は早稲田実の斎藤佑樹と決勝で投げ合い、延長15回引き分け再試合となり、翌日は3−4で早稲田実に敗れる。

 この年のドラフト1位で楽天に入団。初登板は2007年3月29日、福岡ヤフードームでのソフトバンク戦。開幕5戦目の先発だったが、1.2回6被安打3奪三振1与四球、自責点6、2回を持たずに降板。1回裏に3番多村仁から初三振を奪ったものの、散々な出来だった。しかし黒星はつかず。

 4月18日には再びソフトバンクと対戦し、完投で初勝利を挙げている。この年11勝。岩隈久志とダブルエースで活躍した。

 2013年には24勝0敗という空前の成績を挙げ、翌年ヤンキースにポスティングで移籍。以後も5年連続2桁勝利を挙げて現在に至る。30歳を過ぎた今では、技巧派と言っても良い円熟のマウンドを見せている。NPB通算99勝、MLBでは今季までで68勝。

斎藤佑樹は1年目こそ6勝したが。

<斎藤佑樹(早稲田実→早稲田大→日本ハム)>
 2006年夏、田中将大の駒大苫小牧と延長15回引き分け再試合の末に優勝投手となる。日本全国に「ハンカチ王子ブーム」が巻き起こる。しかし甲子園での948球は記録が残る中での最多投球数である。

 早稲田大に進みエースとして活躍。2010年ドラフト1位で日本ハムに入団。初登板は2011年4月17日、札幌ドームでのロッテ戦。田中同様、開幕5戦目の先発。5回6被安打2奪三振無四球、自責点1でプロ初勝利。1回表に先頭打者の岡田幸文から空振り三振を奪っている。ワイドショーで大きく取り上げられるなど、日本中が再び沸く。

 この年は6勝するが、現時点でこれがキャリアハイ。通算15勝。最近は「復活を期したマウンド」が年中行事のようになっているが、真の復活は目にできるだろうか?

1年目で10勝の藤浪も復活なるか。

<藤浪晋太郎(大阪桐蔭→阪神)>
 2012年春夏優勝投手。1学年下の森友哉(現西武)とのバッテリーは最強コンビと言われる。同年ドラフト1位で阪神に入団。

 初登板は2013年3月31日、神宮球場でのヤクルト戦。開幕3戦目の先発。6回3被安打7奪三振4与四球、失点2自責点1と好投するも味方の援護がなく敗戦投手に。1回裏に岩村明憲から初奪三振。この年は100球前後で降板するなど大事に使われていたが、10勝を挙げた。

 翌年からランディ・メッセンジャーとならぶダブルエースとして活躍するが、2017年頃から制球が突然乱れるようになる。今季はまだ一軍で投げていない。通算50勝。

 同世代の大谷翔平に並び称される大型エースだっただけに、活躍をもう一度見たいところだ。

 最近、私は高校野球や少年野球の指導者の話を聞く機会が多いが、「去年の吉田輝星投手の例もあるので、投げすぎには気をつけている」という声が異口同音に聞こえる。甲子園での881球は斎藤佑樹以来の多さだ。酷暑の中での多投は今後のマウンドにどんな影響を与えるのか。

 5回84球1失点での初登板初勝利は素晴らしいが、本当の勝負はこれから始まるのだ。

文=広尾晃

photograph by Kyodo News


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