田中陽子「サッカーも合う気がする」。違和感を乗り越え、笑顔でスペインへ。

田中陽子「サッカーも合う気がする」。違和感を乗り越え、笑顔でスペインへ。

 まだ19歳だった2012年、田中陽子は女子サッカー界のニューヒロインとして脚光を浴びた。

 時代は“なでしこブーム”の真っただ中。2011年にワールドカップを制し、この年のロンドン五輪でも準優勝に輝いた。田中が名を連ねたU-20日本代表は「ヤングなでしこ」と称され、彼女は“可愛くてうまい選手”の1人として注目された。

 1993年生まれ。現在26歳。山口県出身。中学生からはいわゆるエリート育成機関である「JFAアカデミー」の1期生として単身福島にわたり、卒業後の2012年にINAC神戸レオネッサに加入した。3年後の2015年からはノジマステラ神奈川相模原でプレー。今年6月に退団するまで、約4年半の歳月をこのチームで過ごした。

 日本で際立つ成績を残したわけではない。得点王に輝いたわけでもMVPを受賞したわけでもない。日本代表“なでしこジャパン”に名を連ねたのは2013年が最後で、今年行われた女子ワールドカップフランス大会にも出場していない。

 しかし今、田中は再び注目を集めている。約1カ月前の6月後半、彼女はノジマステラを退団し、海外挑戦することを発表したのである。

女子サッカー熱が高まるスペインへ。

 次なる舞台は、スペイン女子1部リーグ。所属先は、南部の街ウエルバに本拠地を構えるスポルティング・ウエルバだ。実は今、スペインでは空前の女子サッカーブームが巻き起こっており、3月に行われたアトレティコ・マドリーvs.バルセロナの首位決戦は6万人以上の観客がスタンドを埋め尽くしたという。田中もその熱狂の渦中に、自らの意志で飛び込もうとしている。

「海外志向はもともとありました。実は去年の終わりくらいにスポルティング・ウエルバからオファーをもらって、その瞬間は『行きたい』と思ったけれど、悩んだ末に見送ることを決めたんです。チームの調子は良かったですし、ノジマステラのみんなともっと一緒にやりたいという気持ちがあったから。それに、コンディションの不安もあって」

 しかしその半年後、再びスポルティング・ウエルバからオファーが届いた。その熱意に心を動かされ、田中は満を持してスペインに渡ることを決めた。

小学生の時に見たカカのプレー。

 実は、海外でプレーすることに対する憧れは、かねてから胸に秘めていた。

「日本で言うサッカーの“うまさ”と海外で言うサッカーの“うまさ”って、ちょっと違う気がするんです。自分は小学生の時にブラジル代表だったカカのDVDを観てそれに気づいて、特にスペインのサッカーが好きになりました。自分のサッカーも合う気がしていたから、いつかプレーしてみたいと思っていました」

「シャビとイニエスタを足して2で割ったような」と形容されたことある田中のプレースタイルとスペインの相性の良さは確かに理解できる。彼女はニコニコとして言葉を続けた。

「サッカーは合いそうだし、ウエルバはスペインでも南のほうだから気候もいいし、たぶん人も温かいですよね(笑)。そういう感じで全体的にポジティブなイメージがあるから、環境のことで迷うことはありませんでした。寒いところはちょっと難しいかもしれません。自分の場合、やっぱり生活が快適じゃないとサッカーに集中できなくなってしまうので」

 天真爛漫なキャラクターの真骨頂だ。加えて「超ポジティブ人間」を自負する彼女だから、もしかしたら海外のほうが合うかもしれない。彼女を知る人なら、そう思う人もきっと少なくないだろう。

ノジマステラでは事務や営業の仕事も。

 日本でのキャリアは、19歳当時に向けられた期待に応えるものではなかったかもしれない。

 鳴り物入りで加入した当時の“最強軍団”INAC神戸では定位置を掴めず、2015年には当時2部リーグに在籍したノジマステラへの移籍を発表した。“都落ち”と解釈する人も確かにいた。それでも、彼女は“自分らしさ”を貫いた。

「『なんで2部なの?』とか『うまくいくわけない』と言われたこともありました。でも、自分は『きっとうまくいく』と思っていました。私、いつもそんな感じなんですよ。思いどおりにいかなくても『それはそれで』と思うだけ。自分が『いい』と思ったことをすることが、あまり怖くないんです」

 ノジマステラでは、クラブの社員として事務や営業の仕事もこなす生活を送っていた。仕事とサッカーを両立させる生活は、彼女を人として成長させた。

「すごくありがたかったです。社会人として働くことの意味を知れたし、電話の受け答えもちゃんとできるようになりましたから(笑)。周りの人たちからは『大人になった』と言われるようになったので、自分にとってすごくいい経験になった。

 もちろん、サッカーにもプラスでした。2部リーグには2部リーグの難しさがあって、身体の当たりは1部より強いくらいだし、守備はみんな必死。ノジマステラはその中でパスをつなぐサッカーをやろうとしていたから、やり甲斐を感じていました」

「あまり落ち込まないんですよ」

 ノジマステラに在籍した4年半の間に、なでしこジャパンに定着することはできなかった。しかし、選手として着実な成長を遂げてきたことを確信している。

「どんな環境でも頑張れば絶対にうまくなれると思っているし、たとえ代表に選ばれなくても、自分自身の成長は感じることができました。というか……だいたいのことは結果的にうまくいくと思っているので、心配しなくても大丈夫です(笑)。私って、あまり落ち込まないんですよ。だって、何があっても“この世の終わり”じゃないから」

 目下の目標は「ビッグクラブでプレーして、チャンピオンズリーグで優勝する」こと。女子サッカー界の盛り上がり、エンターテインメント・コンテンツとしての価値は欧米では急上昇しており、アスリートとしての“ドリーム”は間違いなく向こうにある。つまり、男子サッカーと変わらないマーケットがあるから、可能性は無限大だ。

 自信はある。実は、その根拠もはっきりしている。

「自分は技術ではなく身体の調子に左右されるタイプで、コンディションがいい時は“何でもできる”。その感覚を安定させることがずっと課題でした。最近は“何でもできる”と感じる回数が増えて、感覚が安定してきたんです。疲労回復の感触もすごくよくて、自分の身体に対する違和感がなくなってきた」

苦しめられたきた“違和感”。

 違和感——。

 実はその感覚に、田中はずっと苦しめられてきた。原因は、今から10年前、高校1年の時に負った第5中足骨の疲労骨折にある。

「手術中にヤケドをしてしまって、皮膚移植をしました。その治療で左足をずっと固定していたら、身体の感覚がおかしくなってしまったみたいで……。ひどい肩こりに悩まされたり、一時は日常生活に影響が出てしてしまうくらいの状態でした。20歳くらいの頃からずっとそうで、まともにサッカーをやれる身体じゃなくて……。改善するためにいろいろなことに取り組んできたので、キツかったけど勉強になりました」

 19歳で世間の注目を浴びた直後、20歳で身体の異変を感じ始めてから、ずっとそれと向き合ってきた。その間に社会人としての経験を積み、サッカー選手として、人間としての厚みを増して、機が熟すのを待った。

「今は本当に良くなりました。身体の感覚がすごく良くて、そう感じることができているから、スペインに行くことを決めたんです」

移籍を決めて、気付かされたこと。

 行ってきます——。たくさんの人に別れを伝える中で、気付かされたことがある。

「自分が思っていたより、ずっとたくさんの人が応援してくれていることに気づきました。スポーツ選手は見てくれる人を楽しませたり、感動してもらうことが仕事。でも、自分のことを見ている人なんてそんなにいないだろうと思いこんでいたんです。だけど、違いました。ファンの方なんて、泣きながら別れを惜しんでくれましたよ。

 自分にもそういう人がいることを知ると、『その人たちのために!』と思いますよね。応援のパワーって、やっぱりハンパじゃない」

 7月末、田中はスペインへ飛び立った。新天地ウエルバで、本当の力を示す時が来た。

文=細江克弥

photograph by Yuki Suenaga


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