釜石にラグビーW杯がやってくる!震災から8年、1万人が集まった。

釜石にラグビーW杯がやってくる!震災から8年、1万人が集まった。

 7月下旬、ラグビーワールドカップ組織委員会が主催するプレスツアーに参加した。目的地は全国12カ所ある開催地のひとつ、岩手県釜石市だ。

 日本対フィジー戦の前々日、正午過ぎの東京駅から新幹線に乗り、盛岡駅からはミニバンでさらに2時間ほど東へ進む。午後5時前、ミニバンは釜石市鵜住居地区に到着し、まずはスタジアムの見学からツアーはスタートした。

 釜石鵜住居復興スタジアム。2018年の8月19日に開場したこのスタジアムは、今大会全国で唯一の新築スタジアムとなる。本来の収容人員は6000人だが、本番ではプラス1万人分の座席を仮設で補うことになっている。

 スタジアムについて説明をしてくれたのは、かつて釜石シーウェイブスで9年間プレーし、現在は市の臨時職員として働く長田剛さんだった。

「どうですか? 素敵なスタジアムでしょ?」

 確かに素敵なスタジアムだ。

ピッチと距離が近く、自然に囲まれる。

 まず、スタンドとピッチの距離が抜群に近い。そしてそのスタンドには「絆シート」と名付けられたエリアがあり、ここには旧国立競技場や東京ドーム、熊本県民総合運動公園から寄贈された座席が設置されている。残りの座席は山林火災の被害を受けた地元木材を活用した木製の可愛らしいシートだ。

 グラウンドには日本初の床土改良型ハイブリッド天然芝が採用されている。表面の西洋芝の下には人工繊維、その下には砂。水はけと衝撃吸収性に優れ、根付きも良く、芝生は常に一定のコンディションが保たれる。芝のクオリティだけに限るなら、ここは日本最高のグラウンドを持っている。

 そして、特に力を入れたという災害対策。駐車場から裏山にかけて2キロにわたる避難路が整備され、スタジアム内のどの位置からも避難場所へ速やかに移動できる。耐震性の貯水槽や、緊急時に雨水などをため込む貯留槽も設けられている。

「こんなに美しい自然に囲まれたスタジアムはなかなかないですよ」

 長田さんの言葉に相槌を打ち、スタジアムのメインスタンド上段から視線を外界に向けると、そこには夏の夕暮れの光の中、次第にシルエットに変わってゆく山並みがある。頬の横を吹き抜けてゆく風は少しずつ涼しさを増してゆく。全てはどこまでも平和な世界のように思える。

学校の跡地に建てられたスタジアム。

 でも今から8年前、ここには全く違う光景が広がっていた。

 2011年の6月だった。東日本大震災から3カ月経ったその週、僕は三陸地区でサッカーボールを蹴り始めた少年たちの取材をしていた。山田町、大槌町、釜石、津波に襲われた地区の惨状はどこも同じだった。

 津波の力によって打ち砕かれたビル、見渡す限り続く瓦礫。鵜住居も三陸地域で壊滅的な被害を被った地区の一つだった。三陸鉄道の線路は高熱で溶けたプラスチックのようにねじ曲がり、駅舎も、その周辺にあった住宅も、全ては津波によって打ち砕かれていた。

 その駅舎の後方、釜石鵜住居復興スタジアムが今ある場所には、かつて釜石市立釜石東中学校と鵜住居小学校があった。

 地震が起こった直後、普段から防災訓練に力を入れていた釜石東中学校の生徒たちは自主的に避難を始め、彼らは隣接する鵜住居小学校の生徒たちの手を引いて裏山を一気に駆け上った。その迅速な行動により、ほぼ全員の少年と少女が生き延びることができた。しかし一方で、鵜住居地区全体の死者、行方不明者数は583名にも達した。

 奇跡と悲劇。破壊され尽くした風景の中に立ち、僕は混乱した意識の中、この場所の未来、生き延びた人々の未来についてなんとか考えようとしたが、もちろん何も思いつかなかった。未来など想像できないどころか、目の前にある現実の世界でさえうまく理解できなかった。

「なぜここでワールドカップを?」

 スタジアムを見学したその夜、同じ鵜住居地区根浜海岸にある旅館、宝来館の女将である岩崎昭子さんに話を聞いた。

 ラグビーのことはかつて新日鉄釜石がV7を達成した頃からずっとファンだ。彼女の旅館も震災時は津波に襲われ、ほぼ全てを失った。それでも、女将にとっては、復興のためにもワールドカップの招致を、というアイデアがとても大切なものに思えた。学校とは、地域の人間の思い出がたくさん詰まっている場所。だからこそ、そこにまたたくさんの人が集まる場所を作ってほしかった。

 もちろん震災からまだ間もない被災地で、こんな時にラグビーの話かよ、という反対の声も少なからずあった。

 女将はひとりの男性の話をする。

「当時鵜住居小学校で事務員さんをされていた女性がいたのですが、その女性はあの日最後まで学校に残って逃げ遅れてしまったんです。その方のご主人がある日やってこられて、なぜ女将たちはここでワールドカップの試合をやりたいんだ? と尋ねられました」

 女将はラグビーを通じてできるかもしれないこと、こうなればいいなと願っていることを彼に伝えた。

 賛成はできないけれど、でも反対はしない。男性はそう返事してくれた。

 それから数年後、新スタジアムの敷地内に建てられた黒御影石のモニュメントには、最愛の人に向けたその男性の思いが7つの文字で刻まれている。

「あなたも逃げて」

「本当に開催できるのだろうか?」

 そんなエピソードを教えてくれながら、それでもやっぱりラグビーは私たちに力や勇気を与えてくれると思うんです、と女将は言う。

「いろんな選手が震災後に私たちを励ましに来てくれましたよ。リッチー・マコウさんなんか、2回もここに来てくれたんです! あのリッチー・マコウさんですよ! 私ね、子供たちに言ったんですよ。この人はね、神様よりも偉い人なんだから、ちゃんとさわっとけ!って(笑)」

 翌日の午前、ツアーは再びスタジアムに戻り、日本代表のキャプテンズランを見学する。鵜住居にできた新しいスタジアムで、本当に日本代表のテストマッチが行われるのだ。

 こんなところでワールドカップが本当に開催できるのだろうか? 招致に関わった人々でさえも、その実現には懐疑的な人が多かった。

 新スタジアムのメインスタンドでプレスツアーを迎えてくれた釜石シーウェイブスGM兼監督の桜庭吉彦さんは、ワールドカップがどういうものなのかを肌で体験したことのある数少ない関係者の1人だった。選手としては日本代表43キャップを記録し、ラグビーワールドカップに3回の出場を果たした彼も、正直なところ「普通に考えれば無理だろう」と感じていたのだと言う。

伝わった釜石の人たちの熱意。

 人口3万人の街、震災に遭い、アクセスも悪い、そしてスタジアムすらない。普通に考えなくても、まあ選ばれる可能性はほぼ皆無だ。21世紀を迎え、ラグビーワールドカップはスポーツの祭典であると同時に、極めて冷静に考え抜かれたビジネスの場でもある。

 しかし、釜石の熱意は現実を大きく動かした。

 ワールドラグビーの役員の人々が候補地の視察に訪れた際、彼らの目の前には海と山に囲まれた空間があるのみだった。いったい誰がそんな素敵なアイデアを考え出したのだろうか? 釜石の人たちはまだ盛土作業すら始まっていなかったその広い荒地で、各々が大漁旗を掲げ、あたかもラグビーのピッチを囲んでいるかのように立っていた。

 我々はここでワールドカップをやりたいのです、と。

 ワールドラグビーの重役たちには、それで十分だった。

ラグビーに触れて感じたこと。

 スタジアムに隣接する震災資料館を見学し、昼食を終えると、ツアーは釜石市内に移動し、釜石情報交流センターで洞口留伊さんという高校3年生の話を聞く。彼女は鵜住居小学校3年生の時に被災した。

 その後、釜石東ロータリークラブが地元の中学生を対象に募集した'15年W杯イングランド大会の視察に応募し、日本対スコットランドの試合を現地で観戦した。

 ラグビーのことはそれまでほとんど知らなかったが、その激しさに驚き、敵も味方もいいプレーには拍手を送るその精神に心を打たれた。

 何より、現地に行って、他国の人たちに声をかけてもらっている中で、本当に感謝の気持ちを伝えたいと思い始めた。

「私たちが震災の後も、ランドセルにしても、勉強道具にしても、色々な方からの支援があったからこそ、こうやって諦めないでやってこられたのは、ずっと思っていたことなんです。でも、その気持ちをどうやって伝えればいいんだろうって」

英語で伝えた感謝の思い。

 ある日、彼女は通っていた高校で行われた外部講師を招いての講義で、講師のひとりにこう尋ねた。

「高校生の自分は、釜石の復興のためにいったい何ができるんでしょうか?」

 数カ月後、彼女は釜石鵜住居復興スタジアムでのオープニングイベントで、スタジアムキックオフ宣言を行うことになる。そこで彼女が強く伝えたのは、支えてきてくれた人々への感謝の念だった。

 THANK YOU EVERYONE IN THE WORLD FOR YOUR SUPPORT.
 WE HAVE RECOVERED AND WILL MOVE ONWARDS FROM THE EARTHQUAKE.
 WE ARE LOOKING FORWARD TO SEEING YOU IN KAMAISHI NEXT YEAR.

 4分ほどのスピーチの中で、彼女は英語でそう伝えた。

釜石はどのくらい遠いんだろう。

 プレスツアー3日目、釜石鵜住居復興スタジアムは1万3000人の観客で埋まり、日本は強敵フィジーを34−21で下す。スタジアム周辺で大きな混乱が起こることもなく、ゲームは始まりから終わりまで滞りなく進んでいった。本番に向けての予行演習はほぼ完璧だった。

 今回と本番と違うのは、この日はものすごくたくさんの日本人ファン(とほんの少しのフィジー人ファン)、記者やカメラマンがスタジアムに集まったが、本番での2試合では、ナミビアとカナダとウルグアイとフィジーの人たちが、いったいどのくらい来るのかはわからないけれど、この釜石までやって来る。ウルグアイから釜石って、どのくらい遠いんだろう。ナミビアから鵜住居なんて、何度飛行機を乗り換えなきゃいけないんだろう。

 試合が終わって2時間後、プレスツアーのミニバンが盛岡駅に向かって出発する。釜石の街はずれを抜け、遠野に差し掛かる頃には日もすっかり暮れていた。

 どーん、どーん、車の外でなんだか不思議な音がする。ツアーに参加していた女性記者が、あ、花火! と声を上げる。窓の外の暗闇には雨が降っていて、その雨粒のはるか向こう、どこかの街で花火が上がっている。

 ワールドカップが終わったら、鵜住居のスタジアムをどうするのだろう?

 誰かがそんなことを言っていた。

 花火を打ち上げる時、その花火が夜空に消えてしまうことを心配しても仕方がない。それよりも、次はどんな花火を打ち上げるのか、そう考え続けた方がきっといろんなことがうまくいく。

 鵜住居でラグビーワールドカップ、少なくとも8年前よりはずっといろんなことが良くなっている、そんな気がする。

文=近藤篤

photograph by Atsushi Kondo


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