巻誠一郎は経営者で、監督修行中。引退後のアスリートに何ができるか?

巻誠一郎は経営者で、監督修行中。引退後のアスリートに何ができるか?

 猛暑が続く東京都内で巻誠一郎さんに会った。

 サッカー選手や元サッカー選手の私服姿に驚くことはないが、巻さんが背負うそのリュックの大きさには目を見張った。今も暮らす熊本から上京したためかと思えば、すでに主な荷物はホテルに置いてきたという。

「結構本を持ち歩いているんですよね」

 そう言って見せてくれたリュックのなかには、数冊のサッカー関連の戦術本や指導書などがあり、なかには恩師イビチャ・オシムのものもある。

「あとは、ノートですかね。3、4冊は入っています」

 そう言うと、A4サイズのいわゆる「大学ノート」を取り出した。

スマホよりノートを愛用する理由。

「現役時代はノートに何かを書くことは、本当にまれでした。オシムさんの時代に練習メニューを残していたくらいで、よくある『サッカーノート』すら書いたことがなかった(苦笑)。引退してからですね。いろいろなシーンで様々な立場や職種の方とお話する機会が増えて、自分の考えをまとめるためには、一度ノートに書くのが一番だと。頭のなかをスッキリさせられるので。

 スマホやパソコンなどに記しても、脳には残らないんです。パワーポイントも同じです。講演会などをさせて頂くこともあるんですが、パワーポイントは一切使わない。スライドしていくと、脳から一瞬で前の情報が消えてなくなりやすいから。だから、プレゼンでは大事なことをポンとひとつだけ書き示すようにしています」

 現役を引退してからまだ1年も経たないが、ビジネスや講演、サッカーなどに分類されたノートは「1カ月で1冊が終わってしまう」というぺースで増え続けている。

 1980年熊本生まれの巻は、熊本の大津高校から駒澤大学へ進み、2003年に市原(現・千葉)でプロデビューを果たすと、オシム監督のもとで頭角を現し、2006年ワールドカップドイツ大会メンバー入りを果たした。

 2010年夏にはロシアのFCアムカル・ペルミへ移籍。2011年3月には中国の深セン紅鑽足球倶楽部に加入したものの、同年夏には帰国し、東京ヴェルディに在籍。2014年からロアッソ熊本へ移籍した。そして、2019年1月現役引退を発表した。

 そんな巻さんは今、何をしているのか、そこから話が始まった。

取締役という「なんでも屋さん」。

「引退発表してからほぼ毎日、熊本はもちろん全国各地を飛び回って、ほとんど休みがない(笑)。でもサッカースクール、エキシビションマッチ、試合の解説など、サッカーにまつわる仕事はごくわずかです。現状、仕事の9割から9割5分はサッカーとは直接関係ない仕事なんです」

 巻さんは熊本市内で、障害を持つ子どもたちの放課後デイサービス施設4店舗「果実の木」を運営する株式会社きららの取締役を務め、障害者の就労支援に携わり、熊本の農業と福祉とを結びつける事業も手掛けている。

 そのほかにも、血液中のタンパク質の画像分析によって怪我や病気の早期発見をめざす東京工業大学とのベンチャー企業にも参加している。

「ほかにもいろいろな案件に関わっていて、なんでも屋さんなんですよ」と笑う。

選手として尖ることと、社会性。

 サッカー選手の現役時代は短い。引退後の将来を見据えて、現役時代から起業やビジネスを考える選手も近年は少なくない。巻さん自身もそのひとりだった。今に繋がる事業もあるが、失敗もあったという。

「今振り返って思うのは、若い頃はサッカーだけに向き合い、集中するべきだということです。神経をすり減らすとはいえ、選手として尖っていないとたどり着けない世界もあると思うので。でも、ビジネスをやろうとすれば社会性が求められるし、多くの人と関わり、相手の立場に立つ必要もある。そうすると当然、尖ってばかりはいられない。自然と柔らかくなるし、そうならなければ、ビジネスはうまくいかないんです。

 ある程度プロサッカー選手としてのキャリアを積んで、切り替えやバランスをうまく保てるようになれば、サッカーとそれ以外のビジネスも両立できるのかもしれません。ただ、若いうちはなかなか難しいと思うんです」

 巻さんもある時期まで、尖った選手としてサッカーと向き合い続けた。そのスタンスがあったからこそ、16年間に及ぶプロキャリアを重ねてこられたのだろう。

「社会のためになること」という軸。

「なんでも屋」と自称するが、自分がやりたいこと、やるべきことを見極めてもいる。大切にするのは「社会のためになること」だ。そんな想いを強くしたのは、意外にもロシアと中国での経験だった。

「最初、ロシアのペルミという町へ行ったんですが、日本人が僕ひとりしかいない。日本語が話せる方を探すのも大変でした。ロシアでも中国でも、僕のことを知っている人はまずいない。そういう環境に立たされたときに、自分は今までどれほど恵まれた環境にいたのかと痛感したんです。

 同時に、僕はいろんな人に影響を与えられる立場でもあると改めて思いました。プロサッカー選手はピッチ上でのパフォーマンスがもっとも重要な務めです。でも、それ以外の場所でもプロサッカー選手には『価値』があり、それはとても貴重なものなんだと気づいた。だからこそ、もっと社会と関わりたいし、世の中がよくなることに携わりたい。少しでも誰かの力になれるのなら、その手伝いをしたいと思うようになったんです」

 日本ではサッカー選手に限らず、プロアスリートやオリンピアンなどのスポーツ選手に金メダルなどの結果だけを求めがちだ。目覚ましい結果をもてはやすぶん、アスリートとしての別の価値については、関心が低いのかもしれない。

 しかし、日々自身の目標を追求しているアスリートの中には、社会で自分の価値を活かす方法について考えている人もいる。

「東京や関東など大都市には、アスリートに対する理解者も多く、その価値は確立されている。だけど熊本など地方都市ではまだまだその価値への理解者は少ない。それをどうにか変えたいと思い、動き始めたあとに、熊本地震が起きたんです。

 まずは知人、友人、近所の人を助けようというスタンスから始まりました。そのうちに『いっしょにやりましょう』『困っています』という声が届き、それに応えたいと思った。自分ができる範囲でという気持ちから、どんどんいろんなものを巻き込んで、ひとつがふたつになり、ふたつが10個になり、大きく波及したんです」

アスリートの知名度以外の価値は?

 2016年春、いちはやく募金など支援活動に尽力した。彼の社会貢献活動の根っこは震災にとどまらず、海外での体験で得た「アスリートの価値」を意識することだった。

 プロアスリートの価値は、知名度の高さが1つの指標となるが、それ以外に何があるのか。サッカー選手についてのケースを訊いた。

「集団スポーツであるサッカーで選手として生き残っていくためには、『問題提起』、『問題解決』の能力がないといけない。それが養われる仕事だと思っています。問題というのは試合中に起きる事象でもあり、たとえば試合に出るために、自分がこの組織で活かされるためにはどうすべきかというところでもあります。プロサッカー選手は、その問題に対処する能力が極めて高い。

 ただ、それをサッカー以外の分野に変換する応用性が足りないんじゃないかとも感じています。そこが養われれば、どんな分野でも活躍できるはず。そのうえで、社会と繋がる意識を持ち続けていくべきです。ピッチ外の行動ではなくても、ピッチ上での自分のプレーが社会にどんな影響を与えているのかと意識するだけでも違うと思います」

将来的には監督でJリーグの現場に。

 巻さんは千葉時代も、養護施設の子どもたちをホームゲームに招待していた。当時からきっと、社会に関わる意識はあったのだろう。そしてそれを形に変えようとしたとき、生まれ育った熊本という場所が彼の背中を押した。「力を貸してほしい」という声が届きやすく、同時に「やりたい」を実行するうえでの人脈にも恵まれた。

 社会のためにと奔走する毎日だが、将来的には、監督としてJリーグの現場に立ちたいという気持ちを持っている。

「選手時代にいろんな監督のもとで様々な経験を積み、学べました。その経験を社会に還元する機会も頂いています。企業の経営者の方やいろいろな活躍をされている方など、あらゆる立場や様々な経験を持つ人と話すと、組織を構築するヒントのような、『これはサッカー指導者として役に立つな』というヒントがたくさん見つかるんです。

 同時に、社会で自分のやりたいことを形にできれば、必ずサッカーのためにもなると思っています。サッカーで得たものを社会に還元し、社会で得たものをまたサッカーに還元する。そういう循環を起こしたいと考えています」

オシムの影響を受けた監督像。

 そんな巻が掲げる監督像は、「人ありき」のサッカーだ。選手個々の能力を伸ばし、それを活かすサッカーがしたいという。それは、イビチャ・オシムさんの影響が大きい。

「いろんなスタイルの選手がいるので、それを活かせるようなサッカーをしたいですね。人を見て、できることを判断するのは、今の僕の仕事でも大事にしていることです。

 オシムさんは、人を大切にしてくれる指導者でした。人を育てながら、いいところを最大限に引き出すサッカーが特長だったと感じています。そのなかで自分が伸びたというのも含めて、やっぱりオシムさんのサッカーはしっくりときて、自分にマッチしました。

 具体的に何が伸びたのか、何を伸ばしてもらったのか、言葉にするのは難しいです。でも日々、1日1日、あれほどまでに自分の成長を実感できたことはなかったです。休みがまったくなく、練習はとてもキツイのに、また練習したいと思える毎日でした」

 自身の現役時代を漢字で表すと「闘」だったという巻さん。サッカーを楽しいと思ったことがなく、自分と闘い、相手と闘い、チームメイトと闘ってきた。そんな現役時代を精一杯の力で駆け抜けたからこそ、今は、新しい現場での闘いに力を注げるのだろう。

いろんなところにヒントは落ちている。

「きっと、サッカーに戻るとなったら、スパっと切り替えられると思っています」

 そのときがいつ訪れるかはわからない。だからこそ、今できることに力を尽くす。

「できるだけ多くの現場で声を聞き、ニーズに応えられる仕事をしたい」と考える巻さんだからこそ、今の日々は忙しいのだろう。でもそんな姿こそ、泥臭い彼のプレースタイルと共通するような気がした。

 何ができるのか、何をやるべきか。そのヒントはいろんな場所で得られる。だからこそ、ノートが欠かせない。その機会の多さを、彼のリュックが証明しているようだ。

 大きな夢やビジョンはあるが、大切なのは足元を見て、実直に進むこと。ピッチ上でもピッチ外でも、どんな立場になっても、それが巻誠一郎という生き方なのだろう。

文=寺野典子

photograph by Ichisei Hiramatsu


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