ジョコが初めて日本で戦った意義と、楽天OPの格を高める完璧な対応。

ジョコが初めて日本で戦った意義と、楽天OPの格を高める完璧な対応。

 左肩の故障で直前まで出場も危ぶまれていたことが嘘のように、王者ノバク・ジョコビッチは楽天オープンの最終日、有明コロシアムで軽やかにトロフィーを掲げた。

 多少物足りなく感じるほどの勝ちっぷりだった。コート上で感情を爆発させることも少なくないジョコビッチだが、そんな<毒>の部分さえ見せずに、ただスマートに、力強く、巧妙に勝ちきった。添田豪との2回戦の終盤で判定にしつこく抗議した場面が、唯一熱くなったところだったかもしれない。

 ジョコビッチは日本でプレーしたことのない最後の大物だった。

 2006年にロジャー・フェデラー、2010年にはラファエル・ナダル、2011年にアンディ・マレーがチャンピオンズ・リストに名を残してきた大会だが、ジョコビッチはユニクロと契約していた時代でさえ、来日はしても「頑なに」と言いたくなるほど出場しなかった。

 長年、彼のアジアシーズンでのルーティンは北京のATP500と翌週の上海マスターズだった。北京には'09年から2015年までの間に2011年を除いて毎年出場して、負けなしのV6。2016年以降は上海のみに絞り、その上海でも4回の優勝を誇っている。

五輪の会場を下見するだけでなく。

 だから、中国のテニスファンにとってジョコビッチはまるで自国のヒーローだ。ジョコビッチもまんざらではなく、去年の上海では「僕はきっと前世では中国人だったと思う」とジョークを言い、テレビカメラに中国語まで書いたという。

 そんなジョコビッチが32歳になって初めて東京でプレーする気になった最大の理由は、会場である有明コロシアムが東京オリンピックの会場だからだ。16のグランドスラム・タイトル、33個のマスターズ・タイトルの上に、デビスカップの栄冠も手にした王者が、オリンピックだけは銅メダルが最高だ。年齢的にも次の東京が最後のビッグチャンスだろう。

「オリンピックは僕のキャリアの今の時点においてもっとも大きな目標の1つ」と語り、今回はそのサーフェスの感触、東京の暑さや湿気、会場内のコートの配置や練習コートの状態などの<下見>という目的があった。

 しかし、それだけにとどまらないのがジョコビッチだ。

京都とお台場観光、ちゃんこ&相撲。

 来日してからは「オリンピックは重要だが、今は一戦一戦体の状態を確かめながら、このすばらしい大会で勝つことが自分のやるべきこと」と大会にまず敬意を払い、「前々から日本の文化には興味があったし、親切で思いやりがあって謙虚な日本人の姿は印象的だ。日本のもの作りの技術の高さは世界中で知られていることだし、町は清潔で、とても居心地がいい」とこれ以上は出てこないほどの褒め言葉を並べた。

 実際、日帰りで京都にも行って、京都で最強のパワースポットと言われる鞍馬山に登り、東京では両国のちゃんこ屋さんに行って土俵で相撲をとった。大会中のオフの日にもお台場のデジタルアートミュージアムなどを訪れている。

「トーナメント中はエネルギーをセーブすることも考えないといけないので、やりたいことが全てできるわけではない」と言いつつ、日本のカルチャーは相当満喫したに違いない。

テニスで訪れた国の言葉は必ず勉強。

 また、1回戦勝利後のオンコート・インタビューで「コンニチワ。キテクレテ アリガトウゴザイマス」と言い、2回戦のあとには「コンニチワ。ウレシイデス」と言った。毎回違うフレーズを覚えてファンに伝えるというのが、自分に課した宿題のようだ。

「おかしなことは言わなかったよね? 人生において僕は常に生徒だと思っている。他国で僕のことを歓迎してくれる人々に対してお返しできることの1つは、その国の言葉を話すこと。今回も、毎日少なくとも1つの言葉を覚えて気持ちを伝えたい」

 もちろん今回始めたことではない。旺盛な好奇心と挑戦欲、サービス精神が生み出す努力の結果、ジョコビッチは8つもの言語を操るといわれる達人になった。

 母国語のセルビア語に英語はもちろんのこと、フランス語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、アラビア語、ロシア語……。すべてテニスで訪れた国の言葉だ。中国語も猛勉強中。インタビューでやり取りするレベルではなく単語を覚えてフレーズを増やしている段階だが、あの難易度の高い発音をそれらしく聞こえるレベルでこなしている。 

東京よりも北京が選ばれる傾向。

 優勝スピーチでの「オゲンキデスカ」はちょっと変だったが、それも愛嬌で、ジョコビッチが日本語で何か言うたびにスタンドは沸いた。練習コートにはファンが押し寄せ、<出待ち>の列は数十メートルも続いていた。

 しかし、ジョコビッチと日本のファンの間に特別な絆が生まれる域にはまだ達していないだろう。

 チャンピオンが次の年に戻って来て、トーナメントとの特別な関係が生まれるのだと思う。

 ところが残念なことにこの大会は、なかなかチャンピオンが戻って来てくれない。

 ケガ人の多くなる時期だからやむをえないケースもあるが、最近ならたとえば2016年に初優勝したニック・キリオスは、翌年から同じ週に開催されている北京を選び、昨年予選からチャンピオンに駆け上がったダニール・メドベージェフも今年は上海に出場する予定だ。

錦織がいれば……だけではなく。

 トップ選手を大会に呼ぶにはお金がかかる。

 賞金ではなくそれとは別の<出場料>が存在することは、詳細が表に出ないだけでテニスのツアーでは周知の事実。ただでさえ北京は同じATP500の大会でも賞金がほぼ2倍ということもあり、東京が競争に勝つためには本人の希望云々ではなくエージェントとの交渉が重要だ。

 しかし今の日本の場合、そんな苦労をしなくても、錦織がいれば大会は盛り上がるという現実がある。それが北京の出場者との顔ぶれの差を生んできたのではないか。

 だが今年はジョコビッチが大会の格を高め、世界に大きく発信できる話題を作った。錦織が欠場する中、大会はジョコビッチにどれだけ助けられたことだろう。相当の金額が動いたはずだが、その期待に彼は完璧なかたちで応えた。

「五輪には間違いなく出るつもり」

 ジョコビッチは来年戻って来ると約束した。ただ、約束したのはオリンピックだけだ。

「楽天に戻ってくるかどうかはわからない。ここですばらしい時間を過ごしたことは確かだけど、来シーズンを通してどういう状況になっているかによるよ。でもオリンピックには間違いなく出るつもりだ」

 今大会から東京オリンピック、さらには来年以降の楽天オープン――日本のファンとジョコビッチとの関係はより特別なものになっていくだろうか。多くの選手たちは日本のテニスファンのことを「世界でもトップクラス」と称える。

 そんな日本のファンたちに、次はこんな独壇場ではなく、錦織との対戦はもちろんのこと、もっとスリリングな試合をぜひ見せてほしいものだが……。

文=山口奈緒美

photograph by Hiromasa Mano


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