石川遼が11年前の日本オープン回想。「ドライバーが上手かった(笑)」

石川遼が11年前の日本オープン回想。「ドライバーが上手かった(笑)」

「早いねえ……。もう11年前ですよ」

 2008年、高校2年生だった石川遼は元気いっぱいにプロ1年目のシーズンを送っていた。その前年にアマチュアにしてプロツアーで優勝。いわゆる“ハニカミ”のフレーズを一瞬のブームで終わらせなかったのは、直後も目覚ましい実績を残し続けたからである。

 転機とか、運命の分かれ目とか。一定の流れを持つ物事には、必ず分岐点と言われる局面が存在する。まさにその瞬間に感じる場合もあるし、振り返ってみて気づくこともある。

 11年前、福岡県の古賀ゴルフ・クラブで行われた10月の日本オープンは、石川にとって「自分のターニングポイントになった試合」と言えるゲームのひとつだった。

ドライバーを振り回した11年前。

 思い起こせば、同大会は男子ゴルフ界全体にとっても節目になった4日間でもある。

 当時の出場選手一覧を眺めると、2018年の賞金王・今平周吾のほか、小平智、藤本佳則、秋吉翔太、浅地洋佑、川村昌弘といった昨今のツアーを牽引する面々がみな、アマチュアとしてエントリーしていた。現在、日本ゴルフツアー機構の会長を務める青木功と、選手会会長の石川が予選ラウンドを同組でプレーしていたのだから、十年ひと昔とはよく言ったものだ。

 タイトルを手にしたのは片山晋呉だった。ツアー通算31勝のうちのひとつの優勝では済まされない。史上7人目の永久シード権獲得となる節目の25勝目にあたる。

 この勝ち方がまたユニークだった。フェアウェイは狭く、ラフは長く。伝統的なサディスティック演出が施された古賀GCを攻略するべく、片山はキャディバッグからドライバーを省き、ティショットの精度を高めて72ホールを戦った。決勝ラウンド最下位(60位)の選手のスコアは通算35オーバーと悲惨な数字が並んだリーダーボードで、ただひとりアンダーパー(1アンダー)をマークした。

 窒息しそうな展開を耐え抜き、後続には4打差以上をつける圧勝。そのすぐ後ろ、まさに2位にいたのが、通算3オーバーの石川だった。

 ふたりのコントラストは語り草になっている。ドライバーを使わなかったトッププロはなにも片山だけではなかったのだが、石川はひとり、この最も信頼を寄せたクラブをぶんぶん振り回した。狭い反面、距離は長くないコースで誰よりも第1打でアドバンテージを握って攻略。怖いもの知らずの17歳という印象を改めて見るものに植え付けた。

「あのときは、結果を気にしていなかった」

 そして日本オープンは今年、当時以来の古賀GCでの開催を迎える。

「結構、あの試合は今でも覚えていることは多くて。最終日の朝、ドライバーを打ってからちょっと休憩した。すげえ緊張して、アドレナリンもすごく出ていたはず。だから、いったん上がったものを、その場で落としたんです」と記憶を手繰り寄せる石川。プロ転向したルーキーイヤー。5月に入って4試合連続の予選落ちを喫しながら、夏場には翌年の賞金シードを確定させていた。

 日本ゴルフ協会(JGA)主催のナショナルオープン出場となれば、どの選手にも力が入る。独特の雰囲気を知りながらも、彼はただ自分のプランに忠実だった。

「あのときは、そんなに結果を気にしていなかったんですよね。日本オープンに向けた目標とか基準……思いなんかを持っていなかった。10代の選手は『日本オープンに出て、こうありたい』という気持ちもあると思うけど、当時の僕はそういうことを考えていなかった。ドライバーは練習場と同じ、平らな状況(ライ)からティアップして打てる。それができるかどうかを常に意識していた」

 周囲の視線はどこ吹く風。内心は将来を見据えた“イチ試合”に過ぎなかった。だから「結果を出しにいきたくなっていたら、僕もドライバーは持たなかったと思う」という想像が、いまは頭に浮かぶ。

立場が変わると攻め方も変わる?

 そこへ来ると、11年が経ち、環境にも心境にも変化があるのは言うまでもない。立場はひとりのルーキーからツアーのリーダーに変わり、期待でいっぱいだった胸には、海の向こうでの失望感も居座るようになった。ナショナルタイトルがかかる大会はもう、“イチ試合”というわけにもいかない。

 8月のオープンウィークの最中、石川は古賀GCに足を運び、プライベートで練習ラウンドを行った。11年前にバッグを預けた女性ハウスキャディにもあいさつをして。コースは今大会に合わせて細かい改修も行い、JGAのセッティングにも数年前から変化があるため、'08年大会と比べてフェアウェイも広く設定されそうだ。

 久々に18ホールを回って言った。「ドライバーを(バッグから)抜いたら結構、長い気がする。片山さんはあの時、1打目が3ウッド、2打目も3ウッドというホールがあったのでは。そこからが上手かったんでしょうね。そう考えると、自分にはそんな技術はなかった。結果的には当時の自分がスコアを出すために一番良い選択がドライバーだった」と。

「あの頃はドライバーが上手かった(笑)」

「それにしても、あの頃はドライバーが上手かったと思いますよ(笑)。ゴルフ人生で、ドライバーにまったく悩まなかった時期だった」

 彼の持ち味は今も、ウェッジショットやパッティングだと思う。ただ、そこに至るまでのドライバーショットは組み立ての中心で、スコアメークのバロメーターにもなってきた。

 そんな“永遠の課題”において石川は今季、ドライビングディスタンス部門で4位(平均307.97ヤード)につけている。これは2010年の最終成績3位(296.79ヤード)に次ぐもの。昨年は22位(289.35ヤード)でキャリアワーストだったのだから、鮮やかな様変わりだ。「ドライバーでこんなパフォーマンスが出せているのは、プロ1年目、2年目以来かなと思う」という実感。それは単純な数字以上の感触を伴ったものでもある。

「2年目くらいまでは、打てば真っすぐ行った。どう打っているかも分からなかった(笑)。でも今は、3ヤード左に飛んだ理由、5ヤード右に曲がった原因が分かる。また悪くなるかもしれないけれど、次にそうなりかけたときに戻せる引き出しをより多く持っている気がする」。様々な試行錯誤を重ねてきたが、ある日突然に究極の打法が閃いたとか、視界がいきなり明るくなるメソッドを開発したとかいう類の話で、たどり着いた境地ではない。

 それもすべて、「ぐんと悩んで今がある」からだ。

「良い経験も悪い経験も、練習もしてきたから。その体験から学べている」

 9月に28歳になった石川は、過ごした11年に少し胸を張った。

選手キャリアが長いゴルフの魅力。

 古賀GCのティエリアで今年、以前のようにドライバーだけを振り回すマネジメントはおそらくない。あの頃は未熟だった2番アイアン、3番アイアンも多用するだろう。成長か、あるいは衰退も含めた変化はクラブチョイスだけでも見て取れる。

 ゴルフというスポーツの、とりわけ男子プロの魅力のひとつが、他競技に比してキャリアが長いことだ。都度、一瞬が長編ストーリーの1ページ。

 日本オープンは再び、次の11年、もっと先を見据えたターニングポイントといえる4日間になるだろうか。

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文=桂川洋一

photograph by Yoichi Katsuragawa


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