中谷監督と黒川・東妻の3年間。智弁和歌山、運命のドラフト会議。

中谷監督と黒川・東妻の3年間。智弁和歌山、運命のドラフト会議。

 今年9月にプロ志望届を提出した智弁和歌山高の黒川史陽と東妻純平は、ドラフト会議を前に、こんな約束をしていた。

「どっちかが呼ばれて、どっちかが呼ばれなくても、普通に話そうな」

 迎えた運命の日、2人の名前は無事、読み上げられた。

 先に呼ばれたのは黒川だった。東北楽天の2位指名。これほど早く呼ばれるとは思わず、中継を見ずに東妻と2人で話している間に指名され、慌てて記者会見場に現れた。

「嬉しいです。今はビックリしています。純平のほうが先だと思っていたので……」と率直な思いを口にした。

 メディアのドラフト予想を見ても、黒川の上位指名は予想されていなかった。黒川はチームメイトに「予想しといて」と頼んでいたが、池田陽佑は「ソフトバンクの4位か5位」、西川晋太郎は「楽天4位」、入江諒は「楽天5位」といずれも外していた。

中谷監督が感じた「あ、プロ行くな」。

 黒川は1年夏から甲子園に出場し、勝負強い打撃が光った。ただ、主将として臨んだ最後の夏の甲子園は、力んで思うような打撃ができなかった。13打数1安打と苦しみ、延長14回にサヨナラ負けを喫した3回戦の星稜戦のあとは、敗戦の責任を背負いこんだ。

 目標としていたU-18ワールドカップの日本代表にも選ばれなかった。

 悔しさを押し殺し、「これで選ばれて行ってたら勘違いすると思うんで、その間に、行ってるやつらに追いつく気持ちで練習します」と語っていた。

 星稜戦の翌日、泣きはらしたせいではれぼったい目をした黒川は、宿舎から練習着でバスに乗り、学校に戻ると、東妻とともに後輩たちの練習に参加した。

 智弁和歌山の中谷仁監督はこう振り返る。

「黒川と東妻の2人に関しては、取り組み方を見ていたら、『あ、プロ行くな』と思いましたね。星稜に負けた次の日に、一番最後まで2人が残って練習してるんですから」

木のバットで奥川を打った自信。

 黒川は、甲子園での自分の映像を徹底的に見返して反省し、6打数無安打に抑えられた星稜高の奥川恭伸をイメージしながら、毎日木製バットを振り込んだ。

 9月末に行われた茨城国体を木製バットで戦うという中谷監督の決断も、黒川を後押しした。

 黒川は、星稜との再戦となった国体初戦で、奥川からの2安打を含む4安打で勝利に貢献。2回戦の仙台育英戦でも3安打を放ち、2試合で9打数7安打と打ちまくった。

「甲子園で打てなかったのが本当に悔しかった。あれから、できるだけムダをなくして、来た球の力を利用して打つというのを心がけてやってきて、それがちょっと出せました」と手応えをにじませていた。

 楽天の後関昌彦スカウト部長はこう明かした。

「最後に国体を見にいった時に、木のバットで全然普通にスイングできていて、これならそれほど戸惑いなく木のバットでやっていけるんじゃないかと感じた。現在うちに浅村(栄斗)という選手がいるんだけども、その後を継いでくれる選手は黒川しかいない、というぐらいの思いで指名させてもらいました」

打撃面以上に評価されたキャプテンシー。

 ただ、打撃面以上に評価されたのが人間性だった。

「走攻守ともにいいものを持っていますが、それ以上に、試合や練習を見せていただいた中で、『間違いなくこの子はレギュラーを取れるな』という雰囲気を感じてしまった」と後関スカウト部長は言う。

 愛敬尚史担当スカウトも、「日頃の練習態度や試合での振る舞いを見ていると、人間的にも技術的にも、将来チームの軸になれる、キャプテンになれる存在。うちのチームはちょっと内野手にキャプテンシーというところが少ないので、うちの球団に足りない部分を彼は持っている」と期待を寄せる。

 自分の結果が出ず苦しい時期もチームを引っ張り続けたキャプテンシーや、野球への一途な姿勢を評価されたことに、中谷監督は喜びを隠さない。

「人間性だとかやってきたことを、野球の神様じゃないけども、見てくれている人がいたというのは、むちゃくちゃ嬉しかったです。ドラフト自体が少し変わってきているのかなとも感じます。

 以前は、肩がすごいから、足がめちゃくちゃ速いから、という感じだったのが、いやいや、(プロに)入ってから頑張れるかどうか、資質や人間性が大事なんですよというふうに変わってきているのかなと考えさせられる、僕にとってはものすごく嬉しいドラフトでした」

中谷監督「甲子園を目指した同士」

 中谷監督がコーチとして母校に戻ったのは約2年半前。「僕が智弁に帰ってきたのと、彼らが入ってきたタイミングが同じだったので、3年間甲子園を目指した同士のような思いで付き合ってきた」と中谷監督は言う。

 それでいて、妥協なく厳しく指導もしてきた。だが黒川を叱ることはあまりなかった。

「頑張りすぎてパンパンになって、イライラすることがあるので、その時だけは注意しますけど、それ以外はほぼ何も言わなかった。

 技術面にしても、放っておいても向こうから、僕が気になっている同じところを質問してくるんです。野球が上手くなりたくてしょうがないから、常に野球のことを考えてやっている。そうなったらもう僕が言うことはないですよね」

 ドラフト指名後の記者会見で中谷監督は、「肩が抜群に強いわけでもなく足がすごく速いわけでもなく、飛び抜けた能力があるのかと言われると、堅実な打撃ですが、プロでやっていくにはまだまだ足りない。

 ですが、野球に取り組む姿勢や、努力し続けることに関しては、どのドラフト生よりも強く持って継続できる選手だと信じています。これだけ努力する選手が、プロの世界でどういう成果を残すのか、僕はすごく楽しみです。自信を持って、『行ってこい』という気持ちです」と胸を張った。

誰よりも叱られた捕手の東妻。

 その黒川は、「日本人がまだ誰も達成したことのない打率4割」という高い目標を自らに課し、プロの世界に踏み出す。

 記者に囲まれてそんな話をしながら、黒川は「純平、まだですか?」とソワソワしていた。

 その時、記者会見場の下の、東妻が待機している事務所がドッと沸いた。横浜DeNAから4位で指名されたことを聞き、黒川もホッとした表情を浮かべた。

 黒川とは反対に、中谷監督が一番叱ってきたのが捕手の東妻だ。それは東妻が本気でプロで活躍したいと言うからこその親心だった。

プロで15年間苦労した中谷監督自身の思い。

 中谷監督自身も捕手で、智弁和歌山高時代は日本一を経験し、高校3年の秋、阪神にドラフト1位で指名された。ただ一軍に定着することはできず、楽天、巨人と15年間プロの世界を渡り歩いた。

 プロの厳しさを嫌というほど知る中谷監督は心を鬼にして東妻に接してきた。以前、このように語っていた。

「プロに行くだけを目標にしているんだったら、もう満足値に立っているかもしれないけど、僕自身が、行っただけで何もしていないというプロ野球人生を送ってしまったので、それだったら行かせない方が、人生的には安定する。

 僕自身は(プロに行ったことを)後悔はしていないけども、やっぱり親心というか、かわいい後輩が、今のまま行って、じゃあ果たしてプロで成功するのかと考えると……。とんでもないやつがいっぱいいるところですから、プロは」

投手との会話を増やすために打順を変更。

 高校入学と同時に遊撃手から捕手に転向した東妻の2年半は、中谷監督との二人三脚だった。

 持ち前の肩の強さと運動神経のよさで、送球や捕球などの技術は練習を重ねるごとに向上したが、ネックとなったのはコミュニケーション力だった。

「あまり人と話さない人見知りなところがあって、それが壁になっていました」と東妻は言う。

 投手と密に会話するようにと中谷監督が口酸っぱく言っても、東妻はなかなかそれを実践できずにいた。

「今のボールはどういう意図で行ったのか?」と監督が東妻と投手にそれぞれ聞くと、違う答えが返ってくる。「そら打たれるわ。意思統一ができてないやんか」と監督は頭を抱えた。

 そこで最後の夏に向け、中谷監督が打った策は、打順に手を加えることだった。

 センバツでは4番を打っていた東妻の打順を、6番に下げた。そうすることで8番に入っている投手の打順と近くなり、自チームの攻撃の間、ベンチで隣に座って会話をするようになった。東妻自身、そうして話すことによる効果を感じたことで、より会話が増えていった。

東妻「僕がプロに挑戦できるのは……」

 夏の和歌山大会では、頻繁にマウンドに足を運び、丁寧に投手と意思疎通をはかる東妻の姿があった。ピンチでマウンドに行くよりも、ピンチを招かないように先手で動いたことで、和歌山大会は5試合をわずか1失点に抑えて優勝し、甲子園出場を決めた。

 DeNAの4位指名を受け、東妻はこう気を引き締めた。

「送球など技術面もまだまだ足りないし、配球面というのはこれから一生迷うと思いますし、たくさんいる素晴らしいピッチャーとコミュニケーションを取ることなど、やることはたくさんあります。

 最後の夏は、タイムで間を取ったり、ピッチャーと会話する時間を多くして、結果が伴っていった。夏を通してピッチャーとたくさんコミュニケーションを取れたと思うので、今後、これを生かしてやっていきたいと思います」

 そして、「僕がプロの世界に挑戦できるのは、中谷監督の指導があってこそなので、感謝しかないです」と恩師への思いを語った。

東妻のことは「心配でしょうがない」。

 その中谷監督は、東妻については「心配でしょうがない」と言う。

「キャッチャーとして、僕がプロに入ってから経験したいろんな苦しさや壁を、東妻はこの3年間で一通り、高校生レベルではありますけど体験して、乗り越えてきてくれた。でもこれが引退するまでエンドレスで続いていく、そんなしんどい職業になるので、本当に覚悟を持って行ってほしい。

 東妻に関しては誰よりも厳しく指導してきたので、ひとまず目標とするステージでまた勝負できることを心から嬉しく思います。ただ、親心的な思いで言うと、もっともっと、という部分がいっぱいある。

 たぶん東妻は嫌だと思いますが、僕からしたらあと1年、2年欲しかった(苦笑)。なんとかプロで大活躍する正捕手になってもらうために、まだこれから横浜に行くまで、いろいろと話をしていきたいなと思っています」

「ここからやぞ」と、そう言いながらも、東妻、黒川と握手を交わす中谷監督の表情は安堵に満ちて、送り出す2人にも増して嬉しそうだった。

文=米虫紀子

photograph by Noriko Yonemushi


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