シーズンオフの楽しみは、野球の人たちの集まりだ。

 オフの気楽さに、お酒も手伝っての放談が意外な「学び」の場になる。

 いやあ、今日は勉強になった! なんて、叫んで帰る人などいない。

 皆、意外とおだやかに、何事もなかったようなローテンションの中で、実はお腹の中で、シメシメ得した……そんな密かな“おみやげ”を携えてのご帰還となる。

「暴力や暴言って、いったいどこからがそうなんですか?」

 大卒5年か6年か……まだ学生にも見える若い監督さんが、甲子園に5度も6度も出た指導者の方に訊いている。

 そう言われても困るよなぁとやんわり受け止めておいて、「生徒がそう感じたんなら暴力だし、暴言なんだろうよ」と、絶妙な回答で難問をいなしてみせた。

「正解」の存在しないこの命題に、間違いなく1つの回答ではあろう。しかし、そこから話が展開していかない。まったく、その通りだからだ。

ピコピコハンマーは暴力か。

 しばし沈黙のあとで、他の監督さんがこんな切り出し方をした。

「こんなこと言ったら、怒られるかもしれませんが……いいですか?」

 最初の質問者と同じぐらいの若い監督だ。この会には初めて参加するという。

「ビートたけしっているじゃないですか。テレビで、一緒に出演している人が変なことをしゃべったり、噛んだり、すべったりすると、足元からトンカチ持ち出して頭たたくんですよ」

 叩くとピコンと音のする、プラスチックでできた「ピコピコハンマー」のことを言っている。

「私、考えたんですけど、練習の時にあれでピコン、ピコンやったら、それでも暴力になりますかねぇ」

 一瞬、ドッと笑い声が起こって、一気に座がなごむかと思ったら、逆にみんな引いてしまった。

「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」

 最初の質問者の若い監督にたしなめられて、“ピコピコハンマー”の監督さんは小さくなってしまった。

「いいじゃないですか。ボクならすぐやってみるなぁ」

 ほんとにそう思ったので助け舟を出したのだが、ほかに乗ってくる人はいなかった。

野球の現場にはユーモアがなかった。

 その後もつらつら考えているうちに思い当たった。「暴力」の反対側にあるものって、もしかしたら「ユーモア」ではないのか。

 この国の、今までの野球の現場にいちばん存在しなかったもの……それが「ユーモア」ではなかったか。

 ほかのスポーツはよく知らないが、少なくとも「アマチュア野球」の現場にユーモアの居場所はなく、その代わりに、ユーモアの反対側にある「暴力」や「暴言」が幅を利かせていた。

 それが、多くのアマチュア野球の現場の“ほんとのところ”だったろう。

「お前、歯を見せて笑っただろう!」

 ずいぶん昔の話ではあるが、筆者の学生時代にはそんな理由でなぐられたことが何度もあった。

 グラウンドに笑いは有害であり、ユーモアはタブーであり、グラウンドとは、ひたすら苦悶の表情を浮かべながら、つらく苦しいだけの、汗と、場合によっては血を流す場所として“神格化”されていたのだ。

真剣な喝に、ユーモアをまぶして。

 グラウンドにユーモアと笑いがあってはいけないのか。それらはスポーツにとって、ほんとに有害なものなのか。

 私も何度か見たことがあるが、ビートたけしにピコピコハンマーでピコンとやられた人は、その後必ずパキッとする。表現を変えると、「気合い」が入る。

 それは、ナゼか?

 ピコピコハンマーを取り出すたけしは、必ず真剣な表情である。

 そしておそらくは、真剣な気持ちで「ピコン! ピコン!」とやっている。

 つまり、ユーモアというきな粉をまぶして、真剣な喝を入れるのだ。

 真剣勝負の現場の喝の入れ方として、今の時代、このやり方は悪くない方法のように思う。

ピコハンが登場した時点で笑ってしまう。

 アマチュア野球の現場にピコピコハンマーが登場したら、居合わせた部員たちはきっと笑うだろう。

 もしかしたら叱られている本人も笑うかもしれないし、おそらくは“加害者”の監督さんまでが一緒に笑ってしまう。

 しかし、選手がした何か悪いことへの罰として、真剣な喝としてピコピコハンマーが登場したら、その“場”は必ず締まる。

 そしてユーモアがあれば、叱られた選手のダメージは格段に小さくなる。これが、何よりよいではないか。

 私が監督なら、すぐにピコピコハンマーを買いに行く。しかも、大・中・小の3種類を買い求め、罰の重さによってそれらを使い分けるだろう。

 勘違いしてほしくないが、これは「ピコピコハンマーならば殴ってもいい」という話では当然ない。実際にはピコンと叩く必要もなく、学生を指導する道具立てとして、ユーモアを象徴する何かを導入するのはどうだろうという話だ。

野球の現場に緊張感は必要だ。

 野球の現場に、“喝”は必要だ。

 勝ち負けのためでもあるが、それ以上にアクシデント防止のためだ。

 体に当たれば大ケガや、場合によっては命まで失いかねないような用具。バットもそうだし、投球でも打球でも硬球が150キロ以上の超高速で飛んでくる。

 選手たちには、緊張感が必要だ。

 とり返しのつかない状況を防ぐために、事前に危なっかしい選手に喝を入れておく。野球の現場に絶対に必要な「準備」の1つであろう。

 そこに、何かユーモアをまぶした一言を発するセンスのある指導者はそれでよいが、とっさに気の利いた言葉が出そうになければ、そこには何か「道具」が必要になろう。

 ならば極端な話、それが「ピコピコハンマー」でもぜんぜん構わないと思う。

ユーモアの効用を指導者は知っているはず。

 アマチュア野球の現場にいて「足りないんじゃないかなぁ」と感じてきたのが、納得と称賛と祝福と、それにユーモアである。

 しかし考えてみれば、試合中のピンチに監督さんがマウンドへ送る「伝令」は、ほとんどの場合、何か面白いことを言って、緊張で息を吸いっぱなしになっている選手に、息を吐かせて落ち着かせてくれそうなキャラの選手ではないか。

 ユーモアの効能に、現場の指導者の方たちも、それとなく気づいているわけだ。

 ちょっと思い出していただきたい。

 野球の現場に限らず日常生活の中でも、ユーモアと出会った後の心の中って、なんだかグッと来るものがあって、いわゆる「勇気をもらった」ような心情になるいたことはないだろうか。

 指導者のユーモアにドッと盛り上がった後の、不思議な高揚感と、むしろピリッと引き締まったような緊張感。

 そのほうが、スポーツの現場としてはずっと「健全」ではないか……と、この年の暮れになって私は思う。

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama