2020年の東京パラリンピックで初採用となる競技がある。

 そのひとつがパラテコンドーで、伊藤力さんは日本のパイオニアだ。

 パラテコンドーにはキョルギ(組手)とプムセ(型)の2種目があり、東京で実施されるのはキョルギのみ。上肢に切断や機能障害のある選手が対象である。伊藤さんは事故で利き手の右腕を失った。2015年の春と言うから、そう昔の話ではない。そこからどう立ち上がり、テコン道(ドー)を極めてきたのか。

 松岡さんが興味津々の様子で伊藤さんに話しかける。

松岡「パラテコンドーは新しい競技だから、僕もよく分かっていないんです。失礼を承知でストレートに聞いて良いですか? パッと見、力さんは障がいを持っている方に見えないんですけど」

伊藤「そうですか。嬉しいです(笑)」

松岡「車いすにも乗っていないですし、普通に話せる。健常者の大会に出ていても違和感がない感じがするんですね」

伊藤「自分も障がい者だとは思っていなくて。障がいはむしろ、競技に出るための資格だと思ってます。実際にフツーのテコンドーの試合にも出ていて、去年も健常者の大会に出ました」

わずか3年強で日本代表に!

松岡「でも力さんは確か、左腕しか使えない。それはハンデということですか」

伊藤「はい、ただ自分が不利なだけ。だから蹴りを多くしたり、あまりやっちゃいけないことですけど、足でこうガードしたり。ちゃんとした手順を踏んでいけば、オリンピックの選考会にも出られるはずです」

松岡「ほんと失礼なことばかり聞きますけど、テコンドーを始めてまだ日が浅いんですよね。始めて何年ですか」

伊藤「いま、3年ちょっとぐらいです」

松岡「それで今は日本代表に……。テコンドーには昔から興味があった?」

伊藤「昔、漫画『キックスメガミックス』で読んだり、スーパーファミコンの格(闘)ゲー『餓狼伝説』でテコンドー使いのキャラがいて、主に蹴りを使う格闘技ということは知ってました」

松岡「僕は岡本(依子)さんですね。2000年のシドニー五輪で銅メダルを獲って、嬉し涙をこぼした。あのシーンは強烈でした。テコンドーはわりと早くからオリンピックの種目になっているのに、なぜパラリンピックにはなかったんでしょう?」

「もともとはサッカーをやっていたんですよ」

伊藤「やっぱりマイナーなスポーツだからだと思います。国内で言うと、テコンドーよりも空手を選ぶ。今でこそ少し競技人口が増えてますけど、空手に比べるとまだまだ少ないです。でも、海外ではわりと人気があって、僕みたいに手が動かない人が選択しやすいスポーツでもあるんですね。それで2005年頃に初めて国際的な委員会ができて、2009年には初の世界選手権が開かれた。海外だと小さい子どものうちから始めているという選手もけっこういます」

松岡「なるほど、手に障がいを持った方が格闘系の種目をやろうと思ったら、テコンドーがまず選択肢に入るわけですね」

伊藤「あとは柔術。格闘系だとそれくらいですかね」

松岡「力さんも、腕を失ってからすぐにテコンドーを始めたんですか」

伊藤「失ってから1年後くらいです。もともとはサッカーをやっていたんですよ。アンプティサッカーという松葉杖をついてやるサッカーがあるんですけど、そこでキーパーをやっていて、その時『パラテコンドーをやってみない?』と声をかけられなかったら、今でもサッカーの方をやっていたかもしれません」

松岡「サッカーからテコンドー。すごい転身ですね」

「死ぬことはないだろうと」

伊藤「そのアンプティサッカーもテコンドーも、どちらかがパラリンピックの新しい競技に採用されるだろうということで注目を集めていたんです。僕としてはパラに決まる方で頑張ってみたいと。本音を言うとサッカーの方で目指そうと考えてました」

松岡「じゃあ、テコンドーが新種目として採用されたからこの道に入ったということですか。もともと格闘系のスポーツをやっていたならあれですけど、いきなりテコンドーって怖くなかったですか? 僕は痛いのがダメだから、絶対に無理です」

伊藤「松岡さんは大きいし、脚も長いからすごくテコンドーに向いていると思います。今からでもやれば(笑)」

松岡「たとえ向いていても、気持ちが弱いから無理ですよ。一撃もらって『痛い』。それで終わり。その前向きなやる気は何なんだろう。何マインドですか?」

伊藤「元々こういう性格なんですよ。サッカーだってフィジカルコンタクトはあるし、しかも無差別じゃないですか。僕は身長が172cmなんですけど、180を超える選手とぶつかることもある。それと比べたらテコンドーには階級があるし、頭を蹴ることも禁止されているから死ぬことはないだろうと」

松岡「いきなり死ぬという発想にまで飛んじゃいましたね」

伊藤「さすがに1度腕を落としてますからね。そこは考えました。キックが胸に入って、その衝撃で心臓が止まったらどうしようとか。幸い頭への蹴りは禁止なので、そこまでのリスクはないと判断したんです」

「型枠に腕を挟まれちゃって……」

 ここまで撮影のために立って話をしていた2人が、テーブル席に移動し、リラックスした体勢で向き合う。場所は文藝春秋社内にある休憩所。この日は休日で、周りに人はいなかった。

松岡「話の続きから。力さんは先天性ではなく、事故で右腕を失ったんですね。それはどういう状況だったんですか」

伊藤「前職がプラスチックの製造をしている会社で、カップ麺の容器なんかを作っていたんですけど、その過程で型枠に腕を挟まれちゃって。ぐちゃぐちゃになって切断するしかない状態になりました」

「機械を1度止めるのも億劫なくらいに忙しかった」

松岡「あまり思い出したくないことなんでしょうけど……。普通なら型枠に腕を入れることはないですよね」

伊藤「ルールをちゃんと守っていたら潰されることはなかったです。型を取るのでほんの少しでもゴミが入るとそれが形に出てしまう。そうなると製品にならないんですね。その時はたまたま生産に追われていて、機械を1度止めるのも億劫なくらいに忙しかった。ふと手で拭けば間に合うだろうと考えて、手を入れたらまさかの腕が引っかかってという。それ以前にもやったことはあって、問題なくできていたんですけど、その時はダメでした」

松岡「引っかかったのは洋服ですか」

伊藤「いや、腕です。なんて言ったら良いのかな……。引っかかって、抜けなくなって、ハイ時間切れみたいな感じで型枠が落ちてきて、そのままミシミシって腕が……。それこそめちゃくちゃ痛いです。油圧だからゆっくり来るんですよね。だから骨もゆっくり潰される」

松岡「想像するだけで怖いです。それは途中で止められなかったんですか」

伊藤「できなかったです。運悪く右腕を挟まれてしまって。右側に停止ボタンがあったので、左腕だと届かなかったです」

松岡「その光景は何度も夢に出てくるんじゃないですか」

伊藤「いや、入院して2、3日は『なんで手を突っ込んだのかな』と考えたりして、『夢だったら良いな』とも思いましたけど、1度吹っ切れてからは夢に見ることもないですね」

「ピッコロさんみたいに腕は生えてこないので(笑)」

松岡「吹っ切れたのはいつ頃ですか」

伊藤「4日目くらいかな」

松岡「それは早すぎませんか。早すぎますって、失礼な言い方ですけど、これまでに話を伺った方は現実を受け入れるまでにもっと時間が掛かったと言っていたように思います」

伊藤「僕はあまり長く考えるのが好きじゃないんです。考えても元には戻らないし、ピッコロさん(漫画『ドラゴンボール』に登場するキャラクター)みたいに腕は生えてこないので(笑)。それならこの現状を受け入れるしかないよねって。右腕がなくなって何ができなくなるだろう。フットサルはできる。飯も食える。字は書けなくてもスマホがあるし、別に生活が不自由になるわけじゃないかと。逆に、障がい者スポーツに参加できるようになるから、そっちで頑張ろうと思いました」

松岡「でも、その時すでに結婚を……」

伊藤「ちょうど結婚して1カ月くらいでした。奥さんはさすがに泣いてました。僕よりも泣いてたかな。でも、僕がこんなんだから、しばらくしたら奥さんも『そんなに心配しなくて良いんだね』って」

松岡「力さんがあまりにも明るいから、大丈夫なんだと。お子さんは?」

伊藤「その時、お腹にいました。だから子どもも生まれるし、くよくよしている暇はないなというのもありました」

松岡「でも、すぐに慣れたわけではないですよね」

伊藤「箸は3日でマスターしましたよ。わりと器用じゃんって(笑)」

松岡「義手をつけるという選択肢は?」

松岡「人からの見られ方はどう感じてましたか」

伊藤「最初の1年間はずっと長袖を着てましたね。事故を起こしたのが2015年なんですけど、その翌年に地元の北海道から東京に引っ越して、東京はすごく暑いじゃないですか。それで半袖になって、外にも出るようになりました」

松岡「義手をつけるという選択肢はなかったのですか」

伊藤「最初は使っていたんですけど、左手でやった方が早いことに気づいて。僕の思考に追いつかないなら捨てちゃえって」

「『東京に来たら』と誘われて」

松岡「(あ然として)今は義手もすごく進化しているという話を聞くんですけど」

伊藤「それは肘がある人向けですね。僕のように肘も失うとランドセルのように機械を背負って、それで義手をつけて、肩で操作をする必要があるんです。1時間もすると血がたまってきて、けっこう辛いんですよ」

松岡「そんな違いがあるんだ。伊藤さんが2016年に東京に来た理由はなんだったのですか?」

伊藤「それがテコンドーを始める理由にもなるんですけど、『東京に来たら』と誘われて。ツイッターで調べて、テコンドーのつてを探しました」

 松岡さんの目が点になる。誘われたのに、なぜ自分でつてを探すのか。つてを探すやり方も、ツイッター? 伊藤さんがパラテコンドーを始めるまでには、紆余曲折のストーリーがあったという……。

(構成:小堀隆司)

伊藤力いとう・ちから

1985年10月21日、宮城県生まれ。パラテコンドー日本代表。クラスはK44、61kg未満級。2015年4月、職場での事故で右肘上部を切断。16年1月よりパラテコンドーを始める。同年4月アジアパラテコンドーオープン選手権大会に出場し初戦敗退。それをきっかけに練習環境を整えるために東京移住を決意。アスナビ(JOCが実施しているトップアスリートの就職支援ナビゲーションシステム)を活用し、セールスフォース・ドットコムに就職。同社に勤務しながら東京2020パラリンピックを目指している。'17年US オープンで金メダルを獲得、同年の世界選手権ではベスト8に。'18年、'19年全日本選手権2年連続優勝。

文=松岡修造

photograph by Nanae Suzuki