「大学時代の同級生は転職したり、いろいろ悩んでいます。40歳手前ってそういう世代なんですよね。その中で松坂は、ひとつのことを貫いて、続けているんでね。同世代の希望だと思いますよ」

 松坂大輔のライオンズ復帰が決まったあと、同じ松坂世代で、埼玉西武ライオンズでは4シーズン、ともにプレーをした長田秀一郎に話を聞く機会があった。長田は松坂と同じ神奈川県の強豪、鎌倉学園の出身。高校時代は横浜の松坂、鎌学の長田は神奈川の双璧で、何かと比較される対象だった。

「最初に話をしたのは高校生のとき。横浜スタジアムで県大会の開会式を待っているときに、話しかけられたんですよね。一緒に写真を撮った覚えがあります。あの写真、探せばどこからか出てくるかも、ハハ」

 長田は高校卒業後、慶応大学に進み、2003年にドラフト自由獲得枠で西武に入団。松坂から4年遅れてプロ入りし、チームメートとなった。現在はライオンズアカデミーのコーチとして小・中学生に野球を教えている。

「対戦しなくてよかったです」

 長田は振り返る。

「中学時代から松坂の名前は知っていました。僕は横浜市内に住んでいて、松坂は東京のチームでプレーしていましたけど、有名でしたし、当時、横浜高校って神奈川の強豪で憧れの的。だからそんな横浜高校に『誰が入るのかな』と注目して見ていましたね。だから『松坂は横浜か』って……。野球関係者の中では有名でしたが、でも松坂は入学当初はまだ頭角を現していなかった。2年生くらいまでは、“もし対戦したら勝てるだろうな”って思っていたんですけどね。そのあとは全く歯が立たなくなりました」

 横浜高校は県内の高校とは一切、練習試合をしなかった。そして長田のいる鎌倉学園とは公式戦でも対戦するチャンスはなく、3年間が過ぎた。ただし、夏の大会や秋季大会などで両校の試合順が並び、スタンドから松坂のピッチングを見る機会は多かったと話す。

「対戦したかった? いや、たぶん勝てないから対戦しなくてよかったです、ハハハ。最後の夏は甲子園の80回記念大会で、神奈川からは2校が甲子園に出場できました。西と東にわかれていたので、もともと横浜と当たらないのはわかっていたけれど、確か横浜は準決勝ですら25−0とかで勝っていましたからね。県内でもずば抜けて強かった印象です」

 甲子園での松坂のピッチングもテレビで見たそうで、「(延長17回まで続いた)PL学園戦は『えっ? まだ試合やっているんだ』って驚いたことを覚えていますね」と振り返る。

松坂への嫉妬は「ないですね」

 高校3年間、常に比較された松坂に嫉妬を覚えたことはなかったのだろうか。

「ないですね。大学時代は同期の館山昌平(日大→ヤクルト)や後藤武敏(法政大→西武)、村田修一(日大→横浜)がいて、彼らに勝ちたくて、彼らのことはすごく意識して戦っていましたけど。プロに入ってからは、自分がプロのレベルについていくので精いっぱいで、松坂どころじゃないというのが正直なところでした。そんなこと言っている場合じゃないと言いますか……」

 大学時代は春、秋のリーグ戦が中心で、土日の週2試合を戦う。多くても1シーズン、30試合ほどだ。ところがプロは1年中、火曜日から日曜日まで公式戦があり、移動も多い。そのペースになかなか慣れず、苦労するルーキーは多い。

 入団当初の長田も同様だった。

「プロは年間130試合以上戦いますよね。その体力というか、精神力も全く足りなかったと思います。プロの生活に慣れるまで、まず時間が必要でした。でも、松坂は高校から入って18歳、19歳のときからその生活を送っている。そして、その上で、結果も出していましたからね。すごいですよ」

常に期待以上の結果を出す難しさ。

 何度も「すごい」という言葉を使う。今では少なくなった現役の松坂世代も含め、不思議なくらい松坂へのリスペクトを口にする選手が多いのは、松坂が常に周囲の期待に応え、期待以上の結果を出してきたからだろう。

「嫉妬の対象じゃなかったのは、単純に野球がすごいから。みんな憧れているし、真似したい、自分もああなりたいって思っているからじゃないですか。僕も高校時代は『あのスライダーはどうやったら投げられるんだろう』って研究しましたね」

松坂が試合で見せる凄み。

 では、そんな長田の受けた松坂の印象はどんなものだったのか。

「僕が入団したころは、とにかく大事な試合に絶対勝つ投手というイメージです。絶対に負けちゃいけない試合で、松坂は勝つ」

 普段は「普通の20代前半の青年といった感じ」と長田は表現する。

「もう、本当に普通なんですよ。普通の、20代前半の男子という感じでした。普段はふざけたり、じゃれたりするんですけど、試合になったらガラッと変わる。当時、キャッチボールの相手をしていたんですけど、キャッチボールのときは『勝てるかな』って思うんですよ」 

 一緒にキャッチボールをしても、さほど、ほかの選手との違いは感じなかった。しかし、試合になると豹変した。

「マウンドからホームまで投げるボールは格段に違う。これは勝てないなって、単純に思いました」

「納得いくまでやってほしい」

 高卒で西武に入団してから20年が過ぎ、松坂はさまざまな経験をした。メジャーに渡り輝かしい成績を残し、反対に、故障に苦しんだ年もあった。西武への復帰の記者会見では「ボールも遅くなったし、以前までなら絶対にやらなかった、“ボールを動かす”というピッチングを今はしている」と自身の変化を語った。長田が記憶し、衝撃を覚えた入団当時とは何もかもが違うのかもしれない。

 むしろ同じ姿を求めるほうが間違っている。

「とにかく、松坂には納得いくまでやってほしいですね。結果が残せない時期もありましたけど、そういったすべてを克服して、活躍する姿を見たいです。年齢によってもちろんピッチングスタイルは変わる。だから今の年齢で、今まで培ってきたものをすべて出してのベストを見たい。『もう一回、今の松坂大輔のベストパフォーマンスの投球を見せてください』と言いたいですね」

 アメリカに行く前に会ったのが最後だと語る長田。「会えるのが楽しみですね」と胸を高鳴らせている。

 松坂のライオンズ復帰によって、それぞれの道を歩んでいる松坂世代の選手にも、さまざまな感情が生まれる。松坂大輔とは、それだけ影響力の大きい選手なのだと改めて思う。

文=市川忍

photograph by Kyodo News