中学時代から有名だった「清宮幸太郎」が騒がれて早稲田実業高に入学した2015年・春、九州・熊本では、「村上宗隆」という野球少年が、音もなく九州学院高に入学していた。

「私、村上が中学の時は一度も見てないんですけど、ウチに入ってきて初めて見た時に、あ、この子はプロに行くな……って思いましたね」

 そうヤクルト・村上宗隆を語るのは、九州学院高の育ての親・坂井宏安監督だ。

「体は大きいのに、力任せじゃない。バッティングにクセがないんです。バットの振り出しがスムースで、頭が股間の真上で動かない軸回転のスイング。それ以上にいちばん感心したのは、きちんとしたトスバッティングができること。高校1年で、村上みたいにトスバッティングの上手な選手は見たことないですね」

高校1年、あまりに見事なスイング。

 記憶がよみがえってきた。

 九州学院・村上宗隆を初めて見た1年生の夏予選。試合前の見事なトスバッティングをよく覚えている。

 多くの選手が、前でバットにボールをチョコン、チョコンと合わせているだけの中で、1年生・村上宗隆は1球1球明確なトップとインパクトを作って、ワンバウンドで相手に打ち返す。

 つまり、実戦のスイングと同じ作法で、丁寧にトスバッティングを繰り返す。本当の意味で「試合前の練習」になっていた。

「低いボールも手で返すだけじゃなく、ちゃんと柔軟な膝の対応で打ち返してね。この子は上手いなぁ……と思いましたね。当時はまだ体も細くて、パワーよりボールを捉える上手さのほうが目立ってましたから。練習して、練習して、スイングスピードが上がって、インパクトも強くなって、打球が上がるようになった。最初から今みたいなホームランバッターではなかったんですよ」

 とにかく、よく練習する選手だったという。

「でもね、ただやみくもにやるわけじゃないんです。自分のためになる……というか、これはいい練習だと思ったら、トコトンやるんですね。これをやれば自分のためになる、自分のためになれば、チームのためになる。だから練習する。練習に対して、ものすごく純粋な入り方をするんです」

3年生の春にはキャッチャーだった。

 村上宗隆は3年生の春には、「捕手」としてマスクをかぶっていた。

 雑誌『Number』の取材で村上宗隆に会ったのは、その頃だった。

 捕手としての所作が意外と(失礼!)堂に入っていて、間違いなく野球上手。

 キャッチャーも上手にこなしてるね、と振った時の反応がかわいかった。

「いや、キャッチャー、怖いです! ショートバウンド、怖いし痛いし。将来的には、たぶんムリっすね」

 あっさり“告白”してくれた。

「アハハ、そんなこと言うとったですか……そりゃあ痛かったでしょうね。あの時、村上も20キロぐらい体大きくなってて、プロテクターが小さくて外に出てる部分多くて、ボコボコ当たっとったし、レガースもピチピチでゴムが痛かったろうし」

「村上の打席は、半分ぐらいが四球」

 同時に、“もう1つの怖さ”も感じていたのだろう、と坂井監督は振り返る。

「今日はできたけど、明日はわからない。そんな危機感みたいなものをいつも持ってたのが、あの頃の村上でしたからね。そういう怖さを感じていたから、あれだけ練習できたともいえるんです。

 反復練習をやり過ぎるぐらい繰り返して、自分の体に刷り込んだ技術だったから、プロ2年目でも一軍の全試合を全うできたんじゃないですかね。振り込んで、食い込んで、トレーニングで体を強くして……遠い将来を見据えながら、いまの努力を続けられる。なかなかできることじゃない。それが、村上のすごさなんじゃないかなぁ」

 高校通算52本塁打。

 間違いなく一級品の数字だが、その“内容”も超一流だったという。

「村上の打席は、半分ぐらいが四球だったんですよ。警戒されて怖がられて、公式戦はほとんど勝負してもらえない。練習試合でもチャンスに村上だと、ほとんど四球でした。

 バッティングに自信のあるヤツって、そういう時にボールとわかっていても打ちにいったりするじゃないですか。村上にはそれがなかった。自分のために打ちたい、打ちたいじゃない。ちゃんと四球もらって、チームの勝ちのためにチャンスを広げる。ホームランやアベレージより、打点のほうを大事にしてるようなヤツでしたから、今シーズン(2019年)の結果にも、決して満足してなかったですね」

ベンチから見つめた超一流たち。

 このオフ、熊本に帰ってきた村上宗隆の口から発された言葉は、“無念”の思いばかりだったという。

「山田哲人(ヤクルト)、坂本勇人(巨人)、鈴木誠也(広島)、吉田正尚(オリックス)……そういうバッターの打席は、ベンチから穴が空くほど見たそうです。『打席での1球に対する集中力がほんとにすごいんです。自分なんか、ぜんぜんまだまだで……』って、驚きながらものすごく悔しがっとりました。

 すごい! と感じたものに対する興味と探究心、やられた相手に対する鮮明な記憶……そういう能力のすごさをあらためて感じましたね、村上の」

高校野球最後の日の大号泣。

 ああそうだ、と坂井監督が最後に語ってくれたのは、「九州学院・村上宗隆最後の日」の姿だった。

「甲子園まであと1歩、熊本の決勝で秀岳館に負けました。試合が終わって、泣いている下級生たちに、キャプテンだった村上が言ったんです。

『負けたんは、オレたち3年生がだらしなかったからたい! お前らは全員よく闘ってくれた』ってね。それで、ヤツは涙ひとつ流さずに、大喜びしてる向こうの選手たちを指差して、『あれは、来年のお前たちの姿だ。よー見とけ!』って。たいしたヤツだなぁ……と思いましたよ。

 閉会式が終わって、みんなロッカーに引き上げて、ふとベンチを見に行ったら、村上が1人で座ってましてね。おい、帰るぞって声をかけたら、『坂井先生をもう一度甲子園に連れて行きたかったですー!』って、最後の最後でわーわー、もう、大号泣でしたよ……まあ、なんというか、熱いヤツでしてね、ああ見えて」

 プロ野球を代表するホームランメーカーへの第一歩を踏み出した2019年。

 この先、おそらく人にマネのできないほどの数字を積み重ねていくのだろうが、それ以上に、いつまでも、大人にも子供にも愛される「くまモン」であってほしい。

 ついついそんなことを思わせてくれる、愛すべき「村上宗隆」なのである。

文=安倍昌彦

photograph by Kyodo News