『フランス・フットボール』誌は2019年から最優秀ゴールキーパー賞としてレフ・ヤシン賞を創設し、記念すべき第1回の受賞者にはブラジル代表のアリソン(リバプール)が輝いた。

 10名の候補者リストから3名連記でおこなわれる投票(1位に5ポイント、2位に3ポイント、3位に1ポイントを付与し、最も多くのポイントを獲得した選手が受賞)では、全投票委員176人中144人が1位に推し795ポイントを獲得。2位テア・シュテゲン(284ポイント/バルセロナ)、3位エデルソン(142ポイント/マンチェスター・シティ)に大差をつけた圧勝だった。ちなみに筆者(田村=投票権を持つ)も、迷うことなくアリソンを1位に入れた。

 2019年バロンドールが発表された『フランス・フットボール』誌12月3日発売号では、男女の受賞者(リオネル・メッシとメーガン・ラピーノー)とならび、パトリック・ソウデン記者によるアリソンのインタビューも掲載されている。それが他と異なるのは、提示された写真を見ながらアリソンがそれぞれの人物について語るという形式がとられていることである。

 同僚のGKたちに受賞を捧げると語るアリソンが、ゆかりのある人々の写真を見返しながら彼らの思い出を語りつくした。それはまた、いかにして最強のGKが生まれたかというひとつの物語でもあった。

監修:田村修一

「曾祖父も父もGK。母はハンドボールのGKだった」

●ムリエウ・ベッカー(実兄。インテルナシオナルなどでプレーし、現在はフルミネンセに所属)

「ああ、僕の兄貴かい。もちろん彼が僕に似たのではなく、僕が彼に似たわけだ。彼が僕のためにしてくれたことは、言葉で言い表せない。本当にいろいろ助けてくれたし、今も力になってくれている。それもサッカーだけに限らない。実生活においてひとりの人間になる過程、善良な人間になる過程で彼が果たした役割は計り知れなかった。

 父と母にとっても、兄は最も頼りになる人間だ。僕も助言が欲しいときや、人生の何事かを話したいときにはいつも電話している。

 インテルナシオナルでは彼がNo.1GKで、僕はチーム最年少の若手GKだった。実の兄弟ふたりが同じクラブに所属するのも珍しければ、ポジションが同じGKというのはさらに珍しかった。ある意味状況は複雑だったけど、僕は彼より5歳若かった(現在27歳)から、両親はあまり気に病んでいなかった。兄がスタメンで、僕が若いにもかかわらず控えでベンチ入りするのを親たちは喜んでいたんだ。

 GKとは何であるかを家族はよくわかっていた。曾祖父も父もGKだったし、母はハンドボールのGKだった。今はムリエウの息子もGKでプレーを始めたからね。

 ある日、ムリエウが負傷して僕が正キーパーに抜擢された。誰もが兄の復帰に力を注ぎながら、僕に対しても全力でサポートしてくれた。たしかにあのときふたりはライバルの関係だったけど、子供のころから家ではいつもサッカーやゲームをやっていた。つまりずっと競争していたわけだ。兄の方が年上だったから、彼が勝つほうがずっと多かったけどね(笑)」

「彼をライバルだと思ったことは一度もない」

――自分が兄より優れていると気づいたのはいつですか?

「優れているなんて思っていないよ。同じようなチャンスをふたりとも得たけれども、クラブにおける状況は異なっていた。僕のそれは兄がいたからこそ得られたものだった。

 ブラジルでは僕らは不可分の存在と見なされている。兄について語られるとき、人々は必ず僕のことも思い浮かべる。兄は僕の成長を助けてくれたし大きな力を与えてくれた。彼をライバルだと思ったことは一度もない。僕が疲れたときや挫けそうになったとき、彼は常に傍らでサポートしてくれた。僕を後押しし、励ましてくれたから僕は前進することができた。僕も兄には同じことをしてきたと思っている。

 その後は僕がローマに移籍して、それぞれの道は分かれてしまったけれども……」

●ジダ(元ブラジル代表GK。ミラン等で活躍し、現役最後の2年間をアリソンとともにインテルナシオナルで過ごした)

「ピッチから離れた彼は常に冗談を言っては微笑みを浮かべていた。ところがいったんピッチに立つと表情が完全に変わる。集中した真剣な顔になるんだ。

 僕がインテルナシオナルで正GKになった次のシーズンに彼がやって来た。当初は不運を嘆いたけど、これは自分が成長できるチャンスなんだとすぐに思い直した。

 人生は学びの連続だ。だからこそ素晴らしい師に巡り合う機会が必要だ。ジダはレジェンドでありトッププレイヤーでもあった。彼の傍らで本当に多くを学んだ。とりわけどんな状況でも冷静さを保ち続けることを。

 彼のキャリアは凄い。優れた闘士であり、何もない最貧の状態からスタートしてトップに登り詰めた。寡黙で言葉数は少ないが、行動で周囲の模範となっている。

 僕が代表に呼ばれたとき、彼が正GKだったが退場処分を受けてしまった。次の試合(2015年10月14日、ワールドカップ予選のベネズエラ戦)で監督(ドゥンガ)は僕をスタメンに選んだ。試合も快勝(3−1)で僕はそのまま次もスタメンで残った。

 あのときジダが果たした役割は大きかった。彼は積極的に僕を助け、力になってくれた。スターの驕りや慢心は一切なく、チームのために僕をサポートしてくれたんだ」

「僕にとって最初のセレソンの思い出だ」

●クラウディオ・タファレル(ブラジル代表最多出場GK、ワールドカップ最多出場GKなど数々の記録を持つ。'94年W杯優勝、'98年準優勝)

「彼が僕にとって最初のセレソンの思い出だ。'94年のときはまだ小さかったけど、'98年W杯準決勝のオランダ戦(1−1の後PK戦の末にブラジルが4−2で勝利)のことははっきりと覚えている。タファレルがPKを2本止めてブラジルは決勝に進んだんだ。

 僕は父や兄、叔父たちと一緒に家で試合を見ていた。父はケーキを持ったまま画面に見入っていて、誰もが食い入るようにPK戦の結末を眺めていた。タファレルが相手のキックを止めたとき、興奮した父はケーキを顔面に塗りたくっていたよ(笑)。

 実を言うと彼がプレーする場面はそんなに見てはいない。でもなぜか彼とはキャリアが重なっている。ふたりとも若くしてプロデビューし、同じ街の同じクラブでプロ生活をスタートさせた。彼もまたインテルナシオナルからイタリアのクラブに移籍していった。

 ある日、僕がまだ11〜12歳のころだった。僕のコーチと友人だった彼が練習を見に来たことがあった。そのとき彼が手袋をひと組くれたんだ。本当に嬉しかった。

 彼もまた僕に多くのインスピレーションを与えて、成長の手助けになってくれた。その後は会う機会も増えて、人となりに触れどうして彼が現在のようになったかを理解した。なぜ伝説と呼ばれるまでになったのかを」

「彼こそ特別な存在だ」

●ユルゲン・クロップ(リバプール監督)

「彼こそ特別な存在だ。あるいは特別な何かを内側に持っている。僕がリバプールとの契約を結び終えたとき、彼はFace Time(テレビ電話)で連絡を取ってきた。画面の向こうには彼の笑顔があって、こちら側では僕が同じように笑っている。楽しいひとときだったよ。

 ロッカールームで伝えるのが最も難しいのは、チームをひとつにして前に進ませるメンタルを鼓舞する力だ。ユルゲンはその力を選手それぞれに伝達できる。サッカーをよく知っているのは間違いないが、それ以上に人間とは何かを彼は理解している。彼のもとではロッカールームに慢心がはびこることなどありえない。全員を対等に扱うと同時に、それぞれの個性や気持ち、考えも尊重する。そして誰に対しても態度を変えない。選手と話すときも、インタビューで受け答えをするときもだ。多くの監督がなるべく感情を表に出さず、オープンに心を開かないよう心がけるなかで、彼はそんなことを一切気にしてはいない。出来る限り誠実であろうと努めている」

「(サラーは)リバプールですべてが変わった」

●モハメド・サラー(リバプールFW)

「リバプールで僕が再会した“モー”(サラーの愛称)は、ローマのころとは別人だった(ふたりは2016〜17年にローマでチームメイトだった)。当時、僕は英語がうまくなく、彼はイタリア語を話さなかった。だから関係は良好でも、言葉の問題があって会話はあまり交わさなかった。ここにやって来てはじめて彼とは親しくなれた。

 イタリアでの彼は、すでに能力が認められていたけど、今のような自信を持ってはいなかった。リバプールですべてが変わった。大きく成長し、別の次元へと到達した。

 外からは気づきにくいけど、ひとたびリバプールというクラブに所属すると、あるいはリバプールの街で生活すると、最高の選手になって欲しいという期待を強く感じる。それは監督やスタッフだけではない。取り巻くすべての人々――メディアもファンもこのクラブを愛するすべての人々が心からそう願っている。それが選手に力と自信を与えてくれる。そんなクラブは他にないだろう。

 ローマ時代にここにやって来たとき(2018年4月24日、CL準決勝第1戦、2−5でローマの敗北)、アンフィールドの雰囲気を感じとることができた。このスタジアムでプレーするのがどういうことかを身体で実感した。1年後のバルセロナ戦('19年5月7日の準決勝第2戦、4−0でリバプールの勝利)では、僕らは現実に力を得た。あのバルサ戦は、僕のこれまでの試合の中でも最も印象深いものだ。選手はサポーターも僕らとともにピッチに立っているように感じていた。まるで数万人でプレーしているような気持ちだったんだ(笑)。

 でも雰囲気だけがすべてじゃない。このクラブには特別なメンタリティーがある。決して諦めない力を与えてくれる何かがここにはある。サラーの次に話すことになっているこの男も、それは感じていると思うよ(笑)」

「ブラジルの弱点はGKとは信じられない」

●エデルソン(ブラジル代表GK。マンチェスター・シティ所属。アリソンとはよきライバル関係にある)

「間違いなく彼こそが僕の最大のライバルだ。僕が日々ベストを尽くせるように、神は僕の行く道に彼のような偉大な選手を置いたわけだ(笑)。彼を見ていると、ブラジルの弱点はGKだと言われるのが信じられなくなる。だってそうだろう。ジウマール、タファレル、ジュリオ・セザール、ジダ……、そしてエメルソンだ。彼らはいずれもその時代の世界のトップ5、いやトップ3に入るGKだった。

 たしかにブラジルサッカーを推進してきたのはいつの時代にも偉大なアタッカーたちだった。ペレ、ロマーリオ、ロナウド、ネイマール……。でもブラジルは決してGKの乏しい国ではない。シティにはエデルソンがいるしリバプールには僕がいる。

 昨季の対戦ではクリーンシート(無失点試合)で(ふたりの間に)差がついたから、僕の勝ちと言えるだろう(笑)。だが最終的にチャンピオンになったのは彼だった。リバプールもクラブ史上最高の成績を残せたけど、97ポイント挙げて優勝できないのはシティがそれだけ完璧だったわけだ。後悔は何もないけど悔しい気持ちもある。それが今季へとつながったと思う。小さなミスもタイトルに直結すると学んだからね。'18年のCL決勝でレアル・マドリーに敗れた(1−3)ことが、今回のトッテナムとの決勝('19年6月1日、2−0の勝利)に繋がったように、それぞれの経験が今の役に立っているんだ」

「メッシのおかげで僕は成長した」

●リオネル・メッシ(バルセロナFW。アルゼンチン代表キャプテン)

「彼は僕のサッカー選手として最高の思い出だ(笑)。ローマでの2年前(欧州CLの準々決勝で対戦し1−4、3−0でローマの勝利)と昨季のリバプール、それにコパアメリカ2019準決勝でも彼のアルゼンチンに2−0で勝ったからね。

 最高の選手との対戦や、チームメイトとして一緒にプレーすることは進歩しかもたらさない。メッシのおかげで僕は成長した。どんな小さなミスも彼は見逃さないから、集中力が飛躍的に高まった。予測不能な彼はGKにとって最悪の敵だ。動きを待って反応しようとしたら止めるのは難しい。

 でも彼と戦うのは楽しみでもある。べストプレイヤーとの対戦は常に刺激的であるからだ」

同様に僕はブフォンやノイヤー、タファレルも尊敬。

――しかし欧州CLにおいて、ナポリとのグループリーグ最終戦でミリクの決定的なシュートをあなたがストップしなかったら、リバプールのラウンド16進出はありませんでした。

「パリSGとナポリ、ツルベナ・ズベズダという厳しいグループに入り、たしかに敗退していてもおかしくはなかった。それがナポリ戦(1−0の勝利)の後で何かが変わった。

 その後の戦いも簡単ではなかった。バイエルンとのラウンド16はホームで0−0の引き分け、第2戦はアウェーでやるべきことをすべてやり勝利(3−1)を収めることができた。ポルト戦は相手に一切のチャンスを与えなかった(2−0、4−1)が、バルサとの準決勝は第1戦を0−3で失い、第2戦の前半終了時点ではもう駄目だと誰もが思っただろう。

 だが、クラブには困難を乗り越えてきた経験があった。僕自身にもローマでの経験があった。覆せると信じていたしその通りになったわけだ」

●レフ・ヤシン(元ソビエト連邦代表GK。GKとして史上ただひとりバロンドールを受賞し、レフ・ヤシントロフィーの名称にもなっている)

「偉大な選手であり、このトロフィーの名前になっているということ以外は実は良く知らない。ただ、メッシやクリスティアーノ・ロナウドのような選手たちと競争しながら、GKがバロンドールを獲得するのはもの凄く大変だ。

 それだけでも凄いことだが、同様に僕はブッフォンやノイアー、タファレルも尊敬している。もちろん兄もだ。GKの仕事がどんなものか、テア・シュテゲンやオブラク、エデルソンらが何をやってきたかもよく分かっている。

 GKはそれ自体が表彰されるに値する。だからこのトロフィーを獲得できたことを心から誇りに思っているよ」

文=パトリック・ソウデン

photograph by Benjamin Schmuck/L'Equipe