1月19日、中山競馬場で京成杯(GIII)が行われた。3歳馬による中山競馬場の芝2000メートル戦は皐月賞(GI)と同じ。このクラシックにつながる一戦を制したのはクリスタルブラック(牡3歳、美浦・高橋文雅厩舎)だった。

 1番人気に推されたのはスカイグルーヴ(牝3歳、美浦・木村哲也厩舎)。父エピファネイア、母の父がキングカメハメハで、母系はアドマイヤグルーヴからエアグルーヴ、ダイナカールへと続く超良血馬である。

 昨年の11月3日、東京競馬場の芝2000メートルでデビューすると、持ったまま2着に5馬身の差をつけて大楽勝。破った10頭がその後、1月17日までの時点でただの1頭も勝ち上がっていないなど、不安点がないわけではなかったが、勝ちっぷりがあまりに鮮やかだった事もあり、単勝は2.1倍。2番人気のヒュッゲが5.6倍だから高い支持を受けていた事がよく分かる。

 クリストフ・ルメール騎手を背にすんなりと先行し、4コーナーでは持ったままの手応えで先頭に躍り出た。堂々と直線へ向いた時には2着にどれだけの差をつけるか? と思われたが、1頭だけ彼女にしのび寄る伏兵馬がいた。

 そして、エピファネイア産駒のスカイグルーヴを、最後に差し切ったのがキズナ産駒のクリスタルブラックだった。単勝は20.9倍のダークホースだった。

 クリスタルブラックは昨年12月15日、中山競馬場の芝1800メートルの新馬戦でデビュー。先行馬が絶対的に有利な傾向にあるこの舞台で後方から追い込んで勝利していた。

「豊で勝ててよかったです」

 この優勝劇に誰よりも嬉しそうな表情を披露したのが指揮官である高橋文雅調教師だ。

「豊で勝てて良かったです」

 高橋文調教師が“豊”と語ったのはクリスタルブラックの手綱を取った吉田豊騎手の事。高橋文調教師とは兄弟弟子の関係にあった。

 同師がトレセン入りしたのは2000年。美浦・大久保洋吉厩舎でそのキャリアをスタートし、その時、先輩として厩舎に在籍していたのが吉田豊騎手だった。

2人が挙げたメジロダンダーク秘話。

 高橋文調教師は語る。

「私が厩舎に来た時、豊はすでにメジロドーベルでオークスを勝つなど大活躍した後でした。年齢的には下だったけど、先輩という事もあり敬語を使って話していました」

 吉田豊騎手も異口同音に語る。

「大久保先生は追い切りだと騎手や助手を乗せるけど、他の時は持ち乗り厩務員の人も乗せていました。高橋先生もよく乗っていたので、レース前は意見交換をしながら競馬に向かうようにしていました」

 例として2人が口を揃えて名を挙げたのがメジロダンダークだ。1998年生まれでサクラバクシンオー産駒の同馬は530キロ前後ある雄大な馬格の持ち主だった。それでいて、小心なところがありゲートに苦労した。吉田豊騎手は言う。

「ゲートに近寄ろうともしないような馬でした。『急かさないでじっくり教えよう』という大久保先生の教えに従い、高橋先生も調教時間外の時にもゲートに慣れさせようと努力されていました」

 高橋文調教師は次のように語る。

「前扉とジッとしようとしないメジロダンダークに挟まれて骨折した事もありました」

 再び吉田豊騎手の弁。

「大きくてパワーのある馬だったし、バクシンオー産駒という事でドカンと飛んで行くような面もあった。高橋先生は大変だったと思うし、自分も出来る限りの事はしようと必死でした」

フリーとなった頃に「豊を頼む」。

 立場は違うが同胞とも言える2人はやがて絆を強めていった。

 2011年には高橋文調教師が調教師試験に合格。翌'12年には完全に大久保厩舎を旅立ち、開業した。その3年後の'15年には大久保洋吉調教師が定年を迎え、厩舎を解散。吉田豊騎手はフリーとなった。当時の話を同騎手は次のように語る。

「デビュー以来ずっと大久保先生に助けていただいていたのでフリーになる事に不安が無かったと言えばウソになります。でも、大久保先生が辞められるタイミングで尾形充弘先生に『豊を頼む』と言ってくださったので、その後はしばらく尾形厩舎の主戦に近い形で乗せていただけました」

2017年の落馬事故で長期休養。

 しかし、その尾形調教師も'18年には定年により厩舎を解散する事が決まっていた。再び苦しい立場になるかと予測出来た吉田豊騎手に手を差し延べたのが兄弟弟子である高橋文調教師だった。吉田豊騎手は述懐する。

「尾形先生もいなくなってしまうというタイミングで高橋先生に声をかけていただきました。『これからは自分が出来る限りのサポートはする』と言っていただきました」

 そんな中で重賞での騎乗依頼を受けた。また、メジロドーベルの仔ピンシェルの話を聞いたとも続ける。

「ドーベルの仔のピンシェルというのが良い馬だから『デビューから乗って欲しい』と言っていただきました」

 しかし、それらの話は一件の忌まわしい事故により実現しなくなる。それが起きたのは'17年12月9日の事だった。翌日のカペラS(GIII)で高橋文厩舎のニットウスバルに騎乗を予定していた吉田豊騎手だが、重賞で落馬して頸椎骨折の大怪我。翌日の新馬戦どころか、1年以上の休養を余儀なくされる事になってしまうのであった。

騎乗馬を用意してくれた高橋師。

「当然、ピンシェルのデビュー戦も乗れなくなってしまいました」

 結局、吉田豊騎手が競馬場に戻って来たのは約1年3カ月後の'19年3月。その復帰戦で騎乗馬を用意してくれたのが誰あろう高橋文調教師だった。

 その後、ピンシェルにも騎乗した。他にも高橋文調教師は可能な限り吉田豊騎手に管理馬の背中を任せた。

 しかし、先頭でゴールを駆け抜けるのは至難の業だった。その間、高橋文調教師は「豊を勝たせてあげる事が出来ず申し訳ない」と言い、吉田豊騎手は「高橋先生は沢山、馬を用意してくださっているのになかなか勝てないで申し訳ない」と感じていた。

開業後初となる重賞優勝。

 吉田豊騎手が怪我から復帰した後、初めて高橋文厩舎の馬で勝利したのが先述したクリスタルブラックでの新馬戦だった。

 更にこの1月18日にはアイスナインでこのコンビは再び1着。そして、その翌日の京成杯は先に記した通り、クリスタルブラックで穴をあけ優勝。これは吉田豊騎手にとっては復帰後初となる重賞制覇であり、高橋文調教師にとっては開業後初の重賞優勝となったのである。

「初戦は普通だったけど、2戦目という事で馬のテンションが異常に上がり、イレ込んでしまいました。今度は高橋先生とじっくり話し合ってそういう面にも対処しながら皐月賞やダービーといった路線へ向かわせたいです」

 吉田豊騎手はそう語った。かつて同じ釜の飯を食った2人が再びタッグを組み、今年のクラシック戦線に名乗りを挙げる。今後が楽しみとなる今回の京成杯の優勝劇であった。

文=平松さとし

photograph by Satoshi Hiramatsu