1月17日未明、選手としても指導者としても中日ドラゴンズ一筋で野球人生を終えた高木守道氏が亡くなった。享年78歳。5日前にラジオ番組に出演し、翌日にゴルフの約束をしていたというから、まさしく急死だった。

 2006年に野球殿堂入りしたことでわかるように、その球歴は輝きに満ちている。通算2274安打、369盗塁。打ってよし、走ってよし、守ってよしの希代の名二塁手だった。

 通算7年に及んだ監督(代理監督含む)としては383勝379敗25引き分け。2位が3度とシルバーコレクターではあったが、ついにペナントを握ることはできなかった。

 最も「ゴールド」に近づいたのは、1994年の「10.8」である。巨人と69勝60敗で並び、最終戦に勝った方が優勝するという正真正銘の決戦に臨み、負けた。

 最大10.5ゲーム差、8月には8連敗を喫しながらゴール直前で1度は追いついた功績よりも、この試合に敗れた悲運が語り継がれている。

斎藤雅樹にスイッチした長嶋茂雄。

 ときとして、この決戦での采配が批判されてきた。そして、その采配を他ならぬ高木氏自身が悔いた瞬間がある。敗軍の将は何を悔やんだのか。そのことに触れる前に、批判を浴びた継投を説明する。

 中日の先発は今中慎二。絶頂期の左腕エースは、決戦の舞台となったホームグラウンドのナゴヤ球場では巨人戦に4年越しの11連勝中と抜群の相性を誇っていた上に、中5日と休養も十分だった。対する巨人は槙原寛己を先発マウンドに送った。こちらは救援登板から中1日。しかも、その試合では手痛い3ランを打たれている。

 結果としてこの2人は決戦で打ち込まれた。勝った長嶋茂雄監督と敗れた高木監督との差が顕著に出たのはそこからだ。2回に2点を奪われ、なおもピンチが続いた場面で、巨人は斎藤雅樹にスイッチした。

「三本柱」を鼓舞し、起用した。

 この決断が功を奏した。斎藤は後続を断ち、流れを呼び込んだ。ただし、本人は「行きたくはなかった」と振り返っている。実際、ブルペンでの投球練習中、ベンチのコーチからの打診を一度は聞こえないふりをしてやりすごしている。それは重圧だけではなく、フィジカル面でも自信がなかったからだろう。槙原が救援で打たれた日に、先発して6回を投げたのが斎藤だったからだ。

 覚悟を決めた斎藤が6回までを1失点で抑え、7回からは桑田真澄が登板した。前夜に長嶋監督から「しびれる場面でいくから」と告げられていたとはいえ、桑田もまた「自分まで回ってくることはまずないだろう」と読んでいた。こちらも前の登板から中2日。8回を投げており、自分の仕事は終わったという心境だった。

 しかし、長嶋監督は信頼できる「三本柱」を鼓舞し、起用し、勝ちきった。この試合では3人以外にも4人の投手がベンチ入りしていたが、おそらく大差がつかない限りは投げさせるつもりはなかっただろう。

投げたのは今中慎二だけだった。

 一方、中日は今中が万全のコンディションだったがゆえに、代え時を誤った。2回に失った2点は、直後に槙原をとらえて追いついたものの、3回に1点勝ち越され、4回にさらに2点を追加された。

 対照的だったのは、継投のタイミングとともに人選だ。3点を追う5回に、2番手で送ったのは山田喜久夫。先頭の松井秀喜を封じるための左投手という意味合いはあるのだろうが、本塁打を打たれすぐに降板。失った流れを取り戻すことはなく、3−6で敗れた。

 批判論者の根拠は、巨人のように「三本柱」が当時の中日にもいたことだ。まずはこのシーズン19勝で最多勝に輝いた山本昌で、もう1人が2.45で最優秀防御率のタイトルを獲得した郭源治。すばらしい成績を残した3人を擁しながら、決戦のマウンドに上がったのは今中だけだった。

 山本昌は、斎藤や槙原が投げたのと同じ6日(2日前)に投げていた。悔やまれるのは、10−2という大差だったにもかかわらず、完投させてしまったことだ。

 そして郭については、高木監督は後年、防御率争いの計算をしていたことを明かしている。結果として2位が桑田(2.52)、3位が斎藤(2.53)、4位が槙原(2.82)と巨人の三本柱を振り切ったのだが、1回を投げて2点失っていれば桑田に逆転されていた。2日前に完投した山本昌とタイトルを失うリスクがある郭。つまり、高木監督に自軍の三本柱を総動員するゲームプランは、最初からなかったのだ。

7年後、自らの決断を悔いた高木。

 決戦だからこそ「普段の野球」を貫こうとした高木監督と、無理を承知で「国民的行事」に挑ませた長嶋監督。高木氏がその差を本当に認め、悔いたのは7年後の秋だった。

 ダイヤモンドバックスとヤンキースが激突したワールドシリーズ。ダ軍の両輪を形成したランディ・ジョンソンは第2、6戦に先発して勝利。カート・シリングは第1(勝利)、4に続いて雌雄を決する第7戦に先発した。

 1点を追う8回、前日104球を投げたジョンソンが登板。後続を断ち、9回も続投した。流れを呼び込み、9回に逆転サヨナラ。3勝のジョンソンと1勝のシリングが、史上2度しかないワールドシリーズの「同時MVP」に選ばれた。

 普段は連投はおろか、球数も厳重に管理するメジャーリーガーが、ゲームセブンではリミットを解除し、最後の1滴まで力を振り絞るさまを見て、高木氏は決戦に「普段の野球」で臨んだ自らの決断が過ちだったと悟ったのだ。

「なんてことをやってしまったんだとね。マサも源治もいたのに。巨人のようにやれたのにと……」

 優しさゆえに非情になりきれなかった。悔しさを抱えたまま天へと旅立った高木氏を、なお責めようとも中途半端な美談に加工しようとも思わない。ただただ、かつて聞いた懺悔の言葉に思いをはせながら、2代目ミスタードラゴンズのご冥福を祈りたい。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News