「君は関西人か、東京に負けるなよ」

 東北楽天ゴールデンイーグルス時代の野村克也監督に初めてご挨拶をさせていただいた際、こんな言葉を掛けられました。

 テレビ局に入社して間もない僕にとって、野村さんの一言一言が、辞書から引き出された珠玉の言葉のように聞こえました。

 相手が自分たちよりも大きく強ければ強いほど燃える。情熱的だけれどクレバーに燃える。経験、知性、話術……さまざまなツールを使い、人心掌握する魔法を持たれていた人でした。

「一流は一握り」

「二流なら二流の中の一流になれ」

「嫌われてもいいんだよ、選手とチームが育つなら」

「叱るってのは俺にとって褒めるってことや」

「いつまで経っても現場に戻りたい、仕方ない衝動」

「妻を超える強者と理解者はいない」

 試合前の球場のベンチで、試合後の記者囲みの会見で、生放送前の控室での打ち合わせで、自身がプロモーションを務める映画試写会のインタビューで……さまざまな場面で野村さんから聞いた言葉は、今でも克明に浮かんできます。

スポーツメディアの枠を越えて。

 70代になっても週末の深夜スポーツニュース番組に生出演して下さいました。そして野村さんが出演して下さると視聴率が非常に良かった。

 上記の言葉をご覧になれば、気付く方も多いかもしれませんが、スポーツファン、プロ野球ファンのみならず、ビジネスマンや家庭を支える男性の心にも刺さるような、明日へのモチベーションとなるようなメッセージを送ってくれる方でした。だからこそ、スポーツメディアの枠を越えて、幅広いジャンルのメディアからの支持が非常に高い貴重な存在でした。

田中将大を一軍に残したノムさん。

 いまから13年前のことを話して下さったことがありました。

 野村監督が悩みに悩んでいたのは、ルーキー時代の田中将大投手を春先に二軍に降格させるかどうか。日本球界の歴史の中でトップクラスの選手育成、選手起用を行ってきた名将が例に挙げるほど悩んだケースだったと、教えて下さいました。

 当時、球界としても世論としても、球界の宝をまずは下でじっくり育てるという流れがあった。ただ、野村監督は世間に何と言われようが「田中は一握りの一流」と確信して一軍で投げさせ続けることを選択した。「自分が嫌われようが選手が育つこと」を一番に考えていた証でもありました。そして見事に田中投手は、高卒ルーキーとして松坂大輔投手や江夏豊さんと肩を並べるような結果を残したのです。

 2007年のあの判断がなかったら……高校生投手をどう育てるかという流れも変わっていたかもしれません。

「君は関西人か、東京に負けるなよ」

 僕のように、野村さんにふと掛けられた言葉が、今を生きるかけがえのない支えになっている方や選手が必ずいると思う。

 2020年2月11日。時が経てば経つほど「野村克也」の言葉はより多く後世に伝えられ、その意味もより深く考えられることになるでしょう。

 強き者に対して誰よりも勝つことに飢え、指導することに醍醐味を感じ、野球を愛されている方でした。

文=田中大貴

photograph by Kyodo News