先日、前アストロズ監督のA・J・ヒンチ氏がMLBネットワークのインタビューに答えた。1月以降に同氏を含む3人の監督と1人のGMが職を解かれて以降、初めての肉声であった。

「私はリーダーでした。私の下で起こったこと。私には終わらせる責任があった。止めていればよかった。もっと何かができていたはず」

 2017から'18年にかけて、アストロズが相手バッテリーのサインを盗み、ベンチに伝達。ベンチの選手が変化球ならバケツをたたくなど、音で打席にいる仲間に伝える手法だった。

 当時在籍した選手による告発を受け、MLB機構が調査。まずジェフ・ルノーGMとヒンチ監督の1年間の職務停止と、今年度、来年度のドラフト1、2巡目指名権の剥奪、500万ドルの罰金処分を科した。それを受け、アストロズはすぐさまGMと監督を解任した。

 今回、ヒンチ氏が改めて口にした内容も、MLBの報告書も、一連のサイン盗みが組織としての命令ではなく「選手主導、選手実行」だったことで一致している。つまり、ヒンチ監督はチーム内で何が行われていたか知ってはいたが、指示、主導したわけではない。その点を認めた上で監督責任を問われたのだ。

なぜ球種のサインを盗むのか。

 必然的に、処分の炎はこの2人では収まらなかった。

 2017年のベンチコーチで、首脳陣の中ではただ1人、この企みに積極的に関与していたと認定されたアレックス・コーラ監督を、レッドソックスは先手を打って解任。また、当時の選手でメッツの監督に就いたばかりのカルロス・ベルトランも、1試合も指揮を執ることなく職を追われた。

 そもそも、なぜ球種のサインを盗もうとするのか。それは「次に何がくるのか」は打者が最もほしい情報だからである。メジャーリーグ最後の4割打者、テッド・ウィリアムスはこんな言葉を残している。

「投手は捕手とのサインを交換してから投げ始める。つまり、投球動作に入ったとき、僕に何を投げてくるかは決まっているのだ」

 野球を知っている人なら当たり前のことだが、当たり前の中にこそ真理は詰まっている。ウィリアムスは投球フォームにくせを見つけようと研究した。あるいは配球を分析するということも「正解」に近づく手段の一つだろう。

2017年、ダルビッシュの言葉。

 しかし、悪魔と契約してサインを盗もうとする野球人は、昔も今も存在する。以前、筆者は現役、OBのプロ野球選手に高校時代のサイン盗み経験の有無を尋ね、レポートした。NPBでも過去にうわさのあったチームはいくつもある。「勝ちたい」「打ちたい」の先にある「球種を知りたい」が、なぜ無くならないかといえば、捕手からのサインそのものは投手の延長線上、つまり二塁走者やバックスクリーン付近からは容易に見ることができるからだ。

 サイン盗みがアンフェアとされる理由もそこにある。守備側が防ぐのが困難だから(乱数表を使えば、試合時間は長くなる)であり、攻守が入れ替わる野球ではお互い様、果てしない盗み合いとなってしまうからだ。

「僕が打たれたのがくせを見抜かれていたからなのか、テクノロジーによるものだったのかを知りたい」

 ドジャースに在籍していた2017年のワールドシリーズで、アストロズに打ち込まれたダルビッシュはこう話した。くせは探究心で見つけられる一方、努力と工夫で隠せる。しかし、サイン盗みはテクノロジーによるものではなくても(二塁走者からの身振り手振りでも)許されない。ちなみに、このシリーズでダルビッシュは第3戦と7戦に投げているが、第7戦はドジャースのホームゲーム。要するに、アストロズがテクノロジーを使った球種の伝達をするのはほぼ不可能である点は書いておきたい。

 先に挙げたペナルティだけでなく、名声に大きな傷を負うことと照らし合わせれば、どう見ても割に合わない企みだ。にもかかわらず、何人かの野手が主導した。そしてGMや監督だけでなく、チームスタッフのほとんどは気づいていたに違いない。

スポーツ界に限った話ではない。

 最後に2017年のアストロズ打撃コーチ補佐で、今シーズンから古巣の中日で巡回打撃コーチを務めるアロンゾ・パウエルのコメントを紹介する。

「自分が何を見たか、そしてこのことをどう思うか。残念だけど、それを答えるわけにはいかないんだ。MLBとの約束だからね。ただ、一つわかってもらいたいことがある。僕がもし、悪いことをしていたのなら今、ここにはいないということだよ」

 この言葉を聞く限り、MLB機構から事情調査をされている。誠実に答える代わりに、積極的な関与はなかった点は認められたのだろう。翌シーズンからジャイアンツの打撃コーチに転出したことも、これ以上関わり合いたくないという思いがあったのかもしれない。

 主導、追随、関与、黙認、拒絶、告発、糾弾。属する組織が不正に手を染めたとき、個人の良心と倫理観が問われる。そこにはいくつもの段階があり、どれを選んでも楽ではない。それはスポーツ界のみならず、あらゆる企業とそこで働く社員にも時として起こりうることではないだろうか。

文=小西斗真

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