撮影場所は会議などを行う都内の大きなホールだった。

 その一角にセットを組み、撮影の準備はもう済ませてある。我々が待っていたのは渋野日向子だった。

 撮るのは「笑顔」を撮らせたら右に出るものはいない鈴木心さん。“スマイリングシンデレラ”を撮るのにこれ以上の適任はいないだろう。

 待っている間に鈴木さんが部屋の対角を探り始めた。窓のシェードが閉じられていてホールは薄暗かったが、どうやらそれが開けられるらしい。そこからは陽射しが差し込む。決断は早かった。用意していたセットを捨てて、そちらの窓際に移動したのだ。

 メークを終えた渋野が入ってくる。注ぎ込む太陽の光が、彼女の表情に人工的な照明で作ったのとは違う明と暗を作り出す。

「変顔いきましょう!」

 与えられた時間は10分。渋野は場を緊張させるようなキャラクターではないが、それでも初対面のカメラマンと被写体が、最初の1枚からいきなりいい写真が撮れるものではないのだろう。

 鈴木さんは何度も何度も渋野に言葉を投げかけながら、周囲にいるスタッフにも声をかけ、その場の空気を解きほぐしていく。横にいた編集者に突然タイムキーパー役を命じ、スマホのストップウォッチで時間を測らせてあえて慌てたそぶりを見せたりした。

 にこりと笑って、きりりと引き締まって。見たことのあるもの、見たことのないもの。シャッターを切るたびに、いろんな表情の渋野がモニターに映し出されていった。

 あっという間に10分は過ぎた。タイムキーパー(編集者)が叫ぶ。

「ロスタイム入ってます!」

 試合終了は目前。ここで鈴木さんは最後の一押しに出た。

「変顔いきましょう!」

本人がたまらず吹き出すと。

 それは、ちょっと強引なんじゃ……、と見ているこちらは思ったけれど、何千人も撮影してきた彼は、どこまで踏み込めるかの境界線をもう掴んでいたのだろう。

 渋野は「変顔ですか!?」と言った後、顔をすぼめて、「いーん」とカメラに向かって歯をむいた表情で応えてくれた。

 たまらず本人がすぐに吹き出し、周りもそれにつられて大きく笑った。鈴木カメラマンの人差し指が最後のシャッターを切った。

 数あるカットの中で、誰もが真っ先にチョイスするベストショットがそこに残っていた。がらんとして冷え冷えとしていたホールも、いつの間にかぽかぽかとして、太陽の光がホールの壁や床を白く照らしていた。

 2011年の東日本大震災の直後、漫画家の井上雄彦は、Twitterに「すべての人の無事を祈ります」と書き込み、笑顔の少年やお年寄り、動物を描いた「Smile」の連作を立て続けに投稿した。被災者へのエールはどれだけの人の癒しになっただろう。

 空爆や砲撃が続く内戦下のシリアに住んでいたアブドラ・ムハンマドは、3歳の娘サルワちゃんの恐怖心を和らげるために、“爆発音が聞こえたら笑う”というゲームを考えた。「爆発したら笑おうね」。今年2月にアップされた父娘で笑い合う動画は、瞬く間に世界中に拡散した。

 笑顔にはそういう力がある。

日本に漂う重たい雰囲気。

 今の日本では、街行く人の顔はマスクに覆われてその表情からは多くを読み取れず、他人と向き合う時の距離は今までよりなんだか少し遠くなった。誰もが少し疑心暗鬼になっている。

 スポーツイベントやエンターテイメントの興行は自粛を求められ、それがまた人々の笑顔を奪っていく。

 渋野の今季初戦となるはずだったタイ、シンガポールでの米女子ツアーのイベントも中止となった。それならば沖縄での国内ツアー開幕戦で、と思っていたら、こちらも一度は無観客試合と発表され、最終的には中止が決まった。笑えない。笑えない事態だ。

こんな風に思い切り笑おうよ。

 そんなタイミングで、渋野の満面の笑みがNumberの表紙を飾った。笑顔を撮るのが誰よりもうまい人がいて、笑顔でいる瞬間が誰よりも輝く人がいる。もし笑い方を忘れた人がいたとしたら、「こうすればいいんだよ」と教えればいいお手本のような一枚である。

 書店や駅の売店、電車の中吊りやSNSのタイムライン、街中でちらっとでもそれを見る人がいるはずだ。その時、その人たちの心に小さな陽射しが差し込めば――。

 取材の時点ではもちろん、表紙の写真が決まったときだってこの状況が想像できていたわけではない。ただし、今は思う。勝手な祈りのようなものとして。

 もう少し時間が経って、安心できるときがきたら、マスクを外して笑おう。

 こんな風に思い切り笑おうよ。

文=雨宮圭吾

photograph by Shin Suzuki