今、東京のサッカーシーンがすこぶる熱い。

 東京をホームタウンとして活動するJクラブは、FC東京、東京ヴェルディ、FC町田ゼルビアの3クラブだが、彼らに続けとばかりに、将来のJリーグ入りを目指す東京のクラブがここ数年、急増しているのだ。

 横河電機サッカー部を母体とし、JFLの強豪として君臨する東京武蔵野シティFC(JFL所属/武蔵野市)。

「バウル」の愛称で親しまれた土屋征夫が監督を務める東京23フットボールクラブ(関東1部所属/東京23区)。

 元日本代表DFの岩政大樹がかつて所属した東京ユナイテッドFC(関東1部所属/文京区を中心とした東京23区)。

 元浦和レッズのGK岩舘直が加入したCriacao Shinjuku(関東1部所属/新宿区)。

 名古屋グランパスなどで活躍した阿部翔平がプレーするTOKYO CITY FC(東京都2部所属/渋谷区)。

 さらに、エリース東京FC、八王子FC、アローレ八王子、スペリオ城北、江東ベイエリアFCなどが続く。先日は本田圭佑が「東京から世界に影響を与えられるサッカークラブを創りたい」と、ONE TOKYOを立ち上げたばかり。これはもう、ちょっとしたムーブメントと言っていい。

大空翼と「南葛SC」とJ百年構想。

 そんな群雄割拠の東京サッカーシーンで、夢の実現に大きく近づいたクラブがある。

 葛飾区をホームタウンに活動する南葛SC(東京都1部)だ。

 この名前にピンとくるサッカーファンも少なくないだろう。

『キャプテン翼』の主人公、大空翼の小学生時代のチーム名とまったく同じ――。

 漫画の舞台は静岡県南葛市という架空の街だが、そのモチーフは、作者である高橋陽一氏が生まれ育ち、今も暮らす葛飾区。南葛の名前は、高橋氏の母校である南葛飾高校にちなんでいる。

 2013年、葛飾区で活動していた葛飾ヴィトアードが高橋氏を後援会長に迎えて南葛SCとして生まれ変わり、本格的にJリーグ参入を目指すことになった。

 その南葛SCが2月25日、「Jリーグ百年構想クラブ」として承認されたのだ。

申請すること自体めったにない。

 Jリーグ百年構想クラブとは、Jリーグへの入会を目指し、Jリーグから承認されたクラブのことで、かつては「Jリーグ準加盟クラブ」と呼ばれていた。

 現在、Jリーグ百年構想クラブは9クラブ。南葛SCを除くと、いずれもJFLか関東1部、つまり、J4、J5に相当するリーグに所属している。

 一方、南葛SCが所属する東京都1部はJ7に相当する。このカテゴリーのクラブがJリーグ百年構想クラブとして認められるのは、異例中の異例だ。

「そもそも、このカテゴリーのクラブが申請すること自体、めったにないことなんです。早くて地域リーグ1部、ほとんどがJFLに上がってから。承認されると、毎月登録料を支払わなければならない。早めに申請して認められると、それだけお金が掛かりますからね」

 そう語るのは、南葛SCの岩本義弘GMである。紙媒体の制作やウェブメディアの運営、フットサル場の経営やセルジオ越後氏、高橋氏らのマネジメントなどを手掛けるスポーツ事業会社の代表取締役を務めた人物だ。

 '17年の退社後、高橋氏とともに株式会社TSUBASAを立ち上げ、『キャプテン翼』関連の事業を進めるとともに、ウェブメディアの編集長や解説者を務めるなど、自らもメディアに携わっている。

GM最初の仕事は柴村へのオファー。

 岩本GMが正式に南葛SCのフロントに入ったのは、'18年2月のことだった。

「高橋先生と二人三脚で会社を運営していましたから、いつかは南葛SCに携わることになるだろうなと思っていたし、それまでも女子チームのチャレンジリーグ(なでしこリーグ3部)挑戦のサポートなどはしていたんです。でも、こんなに早く本格的に携わることになるとは。東京都1部に昇格したタイミングで、高橋先生から『ここからより力を入れてJ1を目指したいから、入ってもらえませんか』と」

 その要請にふたつ返事で応えた岩本GMの最初の仕事は、ラトビアやウズベキスタン、ポーランドのクラブを渡り歩いた柴村直弥にオファーを出すことだった。

 柴村はこのとき、同じ東京都1部のクラブに所属していたが、岩本は熱心に誘った。

「柴村とは以前から知り合いだったんですけど、プレーヤーとしての能力や人間性はもちろん、J1のヴァンフォーレ甲府でプレーした翌年に東京都1部のクラブに移籍したキャリアも面白かったし、東京都1部を熟知しているのも魅力的で、どうしても来てほしいと。うちに来れば、解説業とか翼関連のビジネスとか、仕事もいろいろ広がると思うよと。彼もすごく悩んでいましたが、最終的には来てくれました」

W杯イヤーに全員と膝を突き合わせて。

 さらに、松本山雅FCやカターレ富山に所属したブラジル人ストライカーのカベッサ、ガンバ大阪や東京ヴェルディでプレー経験のある安田晃大の獲得にも成功した。

 春から夏にかけては選手全員と面談を行なった。

 '18年と言えばワールドカップイヤーである。メディアの仕事や高橋氏との事業で岩本GMのスケジュールは埋まっていたが、間隙を縫って全選手と膝を突き合わせた。

「ほとんどの選手たちが仕事をしているので、職場や自宅の近くまで足を運んで。クラブの方針の話がメインですけど、ときに仕事や人生についての相談に乗ったり。だいたい、ひとりにつき1〜2時間、多いときで1日に8時間くらい話をしました(苦笑)」

 さらに8月末には、元日本代表MFの福西崇史を現役に復帰させ、勝負を掛ける。

 こうしたトライが奏功し、南葛SCは昇格1年目にして東京都1部で優勝し、関東社会人大会出場を決めるのだ。

 ここで優勝すれば、関東リーグ2部への昇格が決まる。そんな勝負の大会で、思わぬ奇跡が起きた。

「南葛vs.東邦」にしたことで炎上。

 初戦で与野蹴魂会を下した南葛SCの準々決勝の相手は、東邦チタニウム――。

『キャプテン翼』で大空翼のライバルである日向小次郎の所属チームの名前は東邦学園だった。奇しくも南葛vs.東邦という漫画の世界が現実のものになったのである。

 だが、このカードをめぐって、SNS上ではちょっとした騒動が巻き起こった。いわゆる炎上である。

「もともと電光掲示板には『南葛SC』『東チタ』と表示されていたんです。ただ、電光掲示板が小さくて見えにくかったから、大会の関係者と話し合って、2文字のほうが見やすいだろうと。そうしたら、東チタさんも問題ないと。ただ、僕のツイートが言葉足らずで、僕が表示を変えさせたと誤解を生んでしまって(苦笑)」

 '18年11月4日に行なわれたこの試合を0−1で落とし、関東2部への昇格はお預けとなったが、GMに就任してまだ1年目。コーチングスタッフや選手など、自身のこだわるメンバーを揃えられたわけではなかった。

 それにもかかわらず、ぶっちぎりで東京都1部を制したことに手応えを掴んだ岩本GMは、就任2年目となる'19年シーズンに向け、妥協なき編成を試みる。

「負けた翌々日に高橋先生と話し合って、2つ上のカテゴリーでも優勝争いできるようなチーム編成をしましょうと。本気でJ1を目指しましょうと確認しました」

元鹿島・青木剛も昼に仕事をしながら。

 前年、現役に復帰してもらった福西に監督就任を要請し、フルタイムで指導できない福西をサポートするため、柴村にプレーイングコーチになってもらった。北海道コンサドーレ札幌や愛媛FCで活躍した石井謙伍、元鹿島アントラーズの佐々木竜太など、元Jリーガーを次々と獲得もした。

 さらに、大きな話題となったのが、元日本代表選手の加入である。鹿島やサガン鳥栖などでプレーした青木剛が南葛SCのユニホームに袖を通すことになったのだ。

 加入してしばらくした時期に、青木はこの挑戦についてこう語った。

「一時は現役引退も考えたんですけど、縁があって南葛に加入させてもらいました。みんな、昼間に仕事をしながら、サッカーを続けている。サッカーが大好きなんだなって感じるし、そんな環境にいて、自分も刺激をもらっています」

 '19年1月には後援会長を務めていた高橋氏がオーナー兼代表取締役に就任する。

 いわば、J1への本気のチャレンジ元年――。

 リーグ開幕前の'18年12月から'19年2月にかけて行なわれた東京都社会人サッカーチャンピオンシップ、通称「東京カップ」では、二次戦の決勝まで勝ち上がる。J1へのチャレンジは前途洋々に見えた。

 だが、その先に、落とし穴が潜んでいた。

独特なリーグの中にあった難しさ。

 カップ戦決勝進出で油断が生じたのか、リーグ戦が開幕すると、初戦で明治学院スカーレットと引き分け、4節の駒澤大学GIOCO世田谷戦で足元をすくわれた。大学生に不覚を取って危機感が芽生えたチームはその後、復調したものの、勝てば2位に浮上する7月28日の11節・アストラ倶楽部戦で、一瞬の隙を突かれて0−1で敗れてしまうのだ。

「圧倒的に支配はしていたんですけど、最後にカウンターでやられて、順位を6位に落としてしまった。この試合のあと1カ月、中断期間に入るんですけど、2位と6位では全然違う。残り4試合の相手は上位陣ばかり。焦りが出てしまって……」

 最終的に、6勝4分5敗で、リーグ7位に終わった。

「元Jリーガーを増やしたものの、Jと社会人リーグの違いとか、このリーグのことをあまり知らないとか、いろいろ誤算が生じてしまった。僕の見通しが甘かった。福西さんにとっても難しかったと思います。大学生も混ざった独特なリーグだし、うちのチームにも元プロとアマが混在している。どこまで教えて、どこまで任せればいいか、判断が難しかったと思います」

柴村との別れ、風間イズムを知る男。

 シーズンを終えると、GMとして辛い仕事が待っていた。自ら口説いた選手やスタッフとの別れを決断しなければならないからだ。

 なかでも柴村との別れには特別な想いがあった。

「彼とは友人なので、本当に辛い決断でした。プレーイングコーチになってもらったばかりに、決断を下さなければならなくなった。新しい監督、コーチが来るから、選手に戻します、というわけにはいかなかった。コーチ専任になってもらう考えはあったんですけど、彼自身は現役へのこだわりがあった。結果として、人生を懸けて来てくれた彼に、辛い想いをさせることになってしまって」

 '20年シーズンは「また足踏みをしたら、クラブは大きなダメージを受ける」と岩本GMが気を引き締める1年だ。この勝負のシーズン、名古屋で風間八宏前監督のもと、コーチを務めていた島岡健太にチームを託すことにした。

「島岡は風間さんからの信頼も厚かったし、プロはもちろん、大学サッカーでの指導経験もある。それにフルタイムでうちの指揮を執ってくれるし、名古屋時代もオフを利用して全国の指導者や子どもたちにサッカーを教えにいくなど、サッカーへの情熱も素晴らしいなと思って」

葛飾区と協力したスタジアム構想。

 勝負のシーズンの幕が開ける前、チームの士気を高める朗報が届く。それが、Jリーグ百年構想クラブへの承認だった。

「承認していただいたのは、これまでの活動の実績と、葛飾区のバックアップ体制、さらには、スタジアム構想を評価していただいたからだと思います。まだ東京都1部なのに、なぜ申請したのかというと、ひとつは何年かかってもJリーグという目標を達成するという覚悟を示すため。それと、Jリーグの“お墨付き”をもらうことで、行政との繋がりをさらに強固にして、スタジアムの建設をスピードアップさせたいと思っています」

 東京に限らず、現在、多くのクラブがJリーグ入りを目指しているが、最もネックとなるのがスタジアムの問題だ。

 これまで南葛SCは、葛飾区総合スポーツセンター陸上競技場をメインに使用しているが、ピッチが人工芝のため、JFLよりも上のカテゴリーでは使用できない。そこで、葛飾区の賛同と協力を得て、サッカースタジアムの建設に動き出している。

「青木克徳葛飾区長は後援会の名誉会長を務めてくださっていますし、行政は非常に協力的です。でも、ただサッカーのスタジアムを作っても採算が取れないので、今話し合っているのは商業施設を併設すること。そのために世界中のスタジアムを調べて、資料を作ったりしています」

キャプ翼、こち亀ミュージアムを。

 スタジアム建設から、夢はさらに広がっていく。岩本GMの言葉が熱を帯びる。

「高橋先生が絶対に作りたいと言っているのが、『キャプテン翼ミュージアム』。原画を飾ったり、翼関連のもので遊べたり。高橋先生は秋本治先生とも親しいので、『こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)ミュージアム』も作りたい。

 あと、葛飾区繋がりで、『男はつらいよ』で知られる山田洋次監督プロデュースの映画館を作るのはどうかとか。タカラトミーさんも葛飾区なので、トミカやリカちゃん人形、プラレールで遊べるテーマパークを作れたら素晴らしい。それなら、託児所もあったらいいなとか。そうしたら、平日に子どもが遊びに来られるじゃないですか」

 つまり、オール葛飾による娯楽の殿堂をスタジアムに作ってしまおうというわけだ。

楠神順平らの加入も決まった。

 もちろん、チームがいつまでも東京都1部で足踏みしているわけにもいかない。

 今オフには元鹿島のGK川俣慎一郎、元甲府のストライカー河本明人を獲得。さらに、3月2日にはJ1の清水エスパルスを退団した楠神順平の加入も決まった。

「楠神は彼のほうからうちに興味があると。それで会っていろいろ説明しました。その後、Jクラブを含めていくつか話があったようですが、最終的にうちへの加入を決めてくれました」

 サッカーセンスの塊で、相手の守備網を切り裂くドリブル突破が武器の楠神は、関東2部昇格に向け、切り札的な存在になるはずだ。

 想像してみてほしい。

 真新しいサッカースタジアムと併設された複合施設に親子連れが溢れかえる様子を。

 J1へと続く夢のピッチで南葛SCの選手たちが躍動し、スタンドには翼くんが描かれたフラッグが舞っている風景を。

「サッカーには夢がある」と言ったのは、ジャパネットたかたの創業者で、V・ファーレン長崎の高田明前社長だったが、南葛SCはサッカーファンの夢そのものだ。

文=飯尾篤史

photograph by Akihiro Serikawa