練習している高校をやっと見つけた! という連絡をもらって、連絡をくれた人と連れ立って、そのグラウンドにおじゃまさせていただいた。

 そこの監督さんが旧知の方で、電話でお伺いを立てたら、「特別に……ですよ」と笑って了解をくださった。

 こうしたご時世ではあるが、その地区では「春の県大会」はまだ中止になっていない。そこに備えるために、“任意”の短縮時間練習なら……。

 その線で、学校からも許可をいただいての「練習」だという。

 ケガをしていたり、痛みを抱えている生徒さんは、その治療を優先することとして、1日4時間ほど。

「学校はずっと休校ですから、ほんとは倍ぐらいやりたいところですけどねぇ」

 それでも、グラウンドで存分に野球が出来るだけでありがたいと、そう言った時は、真顔になっていた。

見慣れたグラウンド風景が……。

 私自身、2月の初めに、雑誌の取材で高知高校のグラウンドに伺って以来の、「高校野球」の現場になった。

 快晴、弱い北風、ここ2、3日の暖かさで一気に開花した桜の下で、これ以上ない練習日和。

 広いグラウンドに選手たちが散らばって、バットを振り、ボールを追いかけ、ダイヤモンドを駆け回る。普通なら、なんの変哲もない見慣れたグラウンド風景が、どうして今日はこんなに染みるのか。

 40人ほどの部員が、集合がかかっても“円陣”にはならない。横一列に並んで、密集を避ける。やはり、それなりの気遣いはなされている。

他の学校の野球部員の視線を感じる。

 ある部員が、こんな話をしてくれた。

「練習の行き帰りに、駅なんかで野球部バッグ抱えて歩いてると、あいつらも絶対“野球部”だな……っていう高校生が、私服でこっち見てたりするんですよ」

 こんな時に練習なんかやりやがって、感染が広がったらどうするんだ。

 最初は、そんな“非難”の目なのかと思ったという。

「だから最初は、目を合わせないようにしてたんですよ、なるべく。こっちが悪いことしてるような気分になって……」

部活がないと何をしたらいいかわからない。

 ある日、その私服の集団の中に、中学時代のチームメイトを見つけた彼は、声をかけてみた。

「お前、練習できていいなって言われたんです。お前のほうが、練習なくて遊べて、いいじゃないかって言ったら、行くとこないっていうんです。やることないって。ほんとは“在宅”じゃないといけないんですけど、家にいると親がこっちに気を遣って、かえって居づらいって。

 でも、オレたち、こういう時に何をしたらいいのかわからないって言うんです。ほんと、そうなんですよ、自分たち。野球しかやってきてないから、野球以外の世の中の知識が全然ないんですよ。だからそいつも、行くとこなくて、駅でウロウロしてるって」

 自分たち、野球なかったらやることないんですよね。ギャグのつもりで笑って語った顔が、ちょっと悲しそうだった。

「普通に野球をしていることが、生きる喜びなんですですね、きっと。“分”ってやつですよね」

 監督さんのつぶやきは、「非常時」にしかつぶやかれることのない金言のようにも聞こえた。

40人で練習できている奇跡。

 その監督さんがこんな話をしていたと、別の選手が教えてくれた。

「当たり前だったことが当たり前にできない世の中になって、オレたちは当たり前や普通のありがたみを忘れるほど、思い上がった人間になっていたのかもしれないなぁ、って」

 いつものような、声を張った“訓示”ではなかったそうだ。

「なんか、監督さんが自分自身に向かって言っているような感じで。自分たちも珍しく監督さんの気持ちが伝わってきて、妙にしみじみしちゃいました」

「こないだ、自分フッと思ったんですけど、自分たち、この40人ぐらいで休むこともなくずっと練習続けてきて、コロナにかかったヤツ、誰もいないんですよ。すごいなって思ったんです。これだって、コロナ騒ぎがなかったら当たり前のことみたいに気がつかなかったと思うんです。なんか普通みたいなことも、普通じゃないって気づけるようになってる。敏感になってる……っていうのか、ボーッと生きてないみたいな」

 そんなことを言う選手もいれば、

「グラウンドの魔力っていうのか、最強の空間です、グラウンドは」

 普通なら、ある意味「気の重い場所」なんですけどね……とつけ加えながら、やっぱり球児は、グラウンドにいる時の顔がいちばん美しい。

高校球児だって社会の一員である。

 健康や生命の危険に脅かされつつ、いくつもの制約の中で、自分を自分でも縛りながら暮らしているきのう今日。

 ありがたいことに、食べ物だけには事欠かないが、飛んでくるのが弾ではなくウイルスだというだけで、状況としては「戦時」に近いのが、今のこの国と世界の状況のほんとのところであろう。

 高校球児たちだって間違いなく、その社会の一員である。

 今の世の中の不自由さ、不条理さの中で耐え忍びながら、高校球児の彼らも、学校という“空間”だけではなかなか学べないことを学習しながら、日々少しずつ成長しているようである。

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama