6月19日、宮里藍さんが36歳の誕生日をむかえました。彼女が選手生活を振り返った記事を再公開します。
その日本人史上初の世界ランク1位に上り詰めた2010年。快挙は喜びだけでなく、葛藤と戸惑いももたらした。だが世界中のゴルファーから尊敬を集めた笑顔と技術は、今の日本女子ゴルフ界で輝く「黄金世代」へ繋がった。'17年に惜しまれながら引退した第一人者が振り返る、アメリカでの挑戦の日々と、頂点から見えた風景とは。
初出:Number1000号(2020年3月26日発売/肩書等すべて当時)

 ナンバーワンの記憶は、弾ける喜びや眩しい栄光の煌めきとともに残っているとは限らない。

「1位だった間は辛い思い出しかないんです。結構きつかったなって」

 2010年、年間5勝を挙げた華々しいシーズンにあって、宮里藍の胸の内にくすぶっていたのは、ナンバーワンとは何か、どうあるべきかの葛藤だったという。

「自分のイメージとのギャップやプレッシャー、そういうものの狭間ですごく揺れていて、自分らしくいられた時間があまりなかった印象が残ってますね」

 '06年から女子でも導入された、男子と同じ直近2年の平均獲得ポイントで決まる世界ランキング制度。'90年代後半から一時代を築いたアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が初代ナンバーワンとなり、'07年からは約3年の長きにわたってロレーナ・オチョア(メキシコ)がその座に君臨した。

 どちらも宮里にとっては憧れの選手だが、オチョアは同時期に米ツアーで戦った親友でもあり、その陽気さ、親しみやすさに「理想の世界一」と感じていた。ゴルフ場にはメキシコ系移民のブルーカラーが多く、オチョアは毎週彼らを集めて激励していた。だから優勝争いをしていると、コース脇に彼らが集まってきて、いつしか「ロレーナ!」の大合唱になっている。

「こういう人が本当にみんなに応援される人なんだというのを見せてもらいました。だから自分もただカッコいいだけじゃなくて、愛されるような選手になりたいなとロレーナを見て思いました」

「私はまだナンバーワンになる準備ができてないよ」

 宮里にナンバーワンとなるチャンスが巡ってきたのは、そのオチョアがシーズン序盤で電撃引退した'10年だった。タイで行われた2月の開幕戦から2連勝し、世界ランキングはオチョア、申ジエ(韓国)に次ぐ3位に。ドライバーの大不振でスランプに陥った'08年末の42位から、1年余りで自己最高位を更新するまでになっていた。

 5月、盟友オチョアの引退試合でシーズン3勝目を挙げると、いよいよ頂点が見えてきた。だが、そこからの米ツアー3試合は低調な結果が続いた。次第にナンバーワンへの意識が頭をもたげてきたのだ。それは単純に“なれるかどうか”の心配より、もう少し複雑だった。

「ロレーナやアニカのような支配的な強さが自分にあるのかすごく疑問に思ったんです。英語も母国語ではない。ロレーナはアリゾナ大で英語を学んで、自分の言葉を英語で発信していくことに責任を持っていた。『インタビューはスペイン語ではできないな』というような意識があった。そういうものも伴ってない自分がナンバーワンにふさわしいのか。今だったら、そんなこと考えてる暇ないでしょ! まず1位になるために頑張りなさい! って言いますけど(笑)」

 その逡巡を突破できたのが6月のショップライト・クラシックだった。オチョアに代わって頂点に立った申ジエは虫垂炎で欠場しており、優勝すればナンバーワン。宮里は、いつものルーティンとして、練習日にキャディーのミック・シーボーンと立ち話をしながら課題や目標を詰めていった。

「私はまだナンバーワンになる準備ができてないよ」

「5年前は英語も全然しゃべれてなかったじゃないか。今ならもう大丈夫だ」

ミックが人差し指を立てていた

 信頼する相棒とやり取りを重ねることで、壁を1つ乗り越えられた。

「自分の気持ちを隠さずに吐き出して、すごくいい話ができた。ナンバーワンのことは意識していて、どうやっても逃れられない。それを踏まえた上で、どれだけ普段やっていることに集中できるか。それを確認し合って、きっちり整理ができたんです」

 初日から好位置につけ、2打差の3位からスタートした最終日は7バーディー、ノーボギーの完璧な内容で逆転優勝を飾った。

 やるべきことに照準を絞って試合に勝てた。ウィニングパットを決めて万歳した瞬間、まず感じたのはその達成感。顔を上げると、ミックが人差し指を立てていた。「ああ、そうか。これでナンバーワンになったんだ」。25歳の誕生日の翌日に挙げたシーズン4勝目。「こんなちっちゃな子でもナンバーワンになれるんだって身近に感じてくれれば」と語り、日本人初の世界ランク1位という大輪の花を咲かせた。

強さを証明する、ライバルからの賞賛

 それからツアー会場では、『アイ・ミヤザト』ではなく、『ナンバーワンプレーヤー』と呼ばれる機会が増えた。大会のプロモーションに駆り出され、挨拶する。ツアーの代表として、英語で、おかしなことは言えない……。

「そういうのを考えてやってると、すっごい疲れるんですよ(笑)。ナンバーワンだと自負して鼓舞することもあったし、いいところもたくさんあったんですけど」

 1位になること、1位でいること。それはまた別物だった。

「いま考えても不思議な心境でしたね。私は完璧主義なところがあるので、世界ランク1位=強いというイメージがあって、それと自分が合っていない気がしたんです。年間5勝(この年の最多勝だった)していたら相当いいはずなのに、自分の中にその感覚があまりなくて、周りから強いって見られてるのかな? と悩んでいました」

 認められていなかったはずはない。当時のライバルたちの言葉を紐解けばわかる。

「彼女は3番ウッドでいつも私のピッチングウェッジより内側につけてくる。それでパターまで入ったら、もうお手上げでしょ」(ブリタニー・リンシカム/アメリカ)

 何より宮里の強さを印象づけるのが、ショップライト・クラシック最終日に同組で回った選手のこの言葉である。

「思わずキャディーに言ったの。『見て! カップを突き刺すようなあの眼を』って。とんでもない集中力だった」(キャサリン・ハル/オーストラリア)

 これを聞いて宮里は吹き出した。

「それ、いろんな人に言われます。上田桃子や有村智恵には『もう10人ぐらい人を殺してる眼ですよね?』って(笑)」

 冗談ではなく、ショットやパットの前、宮里は能面をかけかえるようにして別人に変わった。その目力は同組の選手を震え上がらせるほど威圧的だった。

世界1位だったのは、通算10週

 その根底には、ソレンスタムも学んだ「ビジョン54」と呼ばれるメソッドがあった。ないものねだりをせず、自分が作用できるものに最大限の力を注ぎ、1打でもよいスコアを目指す。スランプ脱出の契機ともなった思考法、練習法を血肉化し、実践できるようになっていたのである。

 だが、ことナンバーワンの強さに関して思うのは、やっぱりオチョアであり、ソレンスタムだった。ツアーの看板を背負って、なおかつ勝ち続ける強い存在だった。

「別に背負わなくたっていいんですよ。それぐらい彼女たちがすごかったんです。ミスをしようが、何を発言しようが、『私はナンバーワンだからいいでしょ』って開き直れたらよかった。自分はこうだからいいという強さがあれば、もう少し1位をキープできていたかもしれないですね」

 世界ランク1位の在位期間はこのシーズンの通算10週で幕を閉じた。翌年からも上位にはいたものの、ツアーの覇権はヤニ・ツェン(台湾)へと移っていった。

世界ランク1位は歴代14人だけ

 もし世界ランク1位に至る過程でメジャータイトルを勝ち取っていたら、自分の強さに対する評価も少しは違っていたのだろうか。ゴルファーにとって最大の目標は、大抵の場合は世界ランキングよりもメジャーで勝つことにあるからだ。

「私も小さい頃から夢はメジャーチャンピオンだったので、当時は世界ランク1位になった喜びよりメジャーを獲れない悔しさの方が大きかったです。でも、引退して他競技の人と話をさせてもらうようになって気づきました。何の世界でも1位になるのは本当に難しいんだなって。私としてはいろんなタイミングが重なってそこにポンと入っていけた感覚でしたけど、あの時頑張って1位になっていてよかった。引退した今の方がそう感じる機会が多いです」

 ナンバーワンになった選手は歴代で14人しかいない。メジャー優勝者は同じ'06年からでも40人。宮里はそれだけ稀有な時間を過ごしていたのだった。

 そして、その時間も10年向こうに遠ざかり、今は彼女に憧れた世代が活躍する時代が訪れている。

「20歳の時は『32歳で引退して、若い世代の選手と話してるよ』と言われても信じないと思います。『いやいや、私、40歳までゴルフやるから』って。だから、今の自分は想像できなかった未来にいるんですよね」

 ナンバーワンとなるために――。あとに続く選手たちに残す言葉は。

今はゴルフが「うおー、おもしろい」

「日本で戦う。米ツアーに挑戦する。それは個人の問題で、どちらも正解だと思う。ただ、ゴルフだけじゃなくて、世界を見ることはすごくいいことだと思います。いろんな文化があって、いろんな選手、人種がいる。そこで自分の人生観が影響を受けると、ゴルフが少し変わっていったりする。ゴルフだけじゃない。人生の中にゴルフがある。何かあったとき、つまずいたときに視野を広く持てるかどうかは大事なこと。若い選手にはチャンスがあるなら海外に出ることを勧めたいです」

 最近ではラウンドするのは2カ月に1回ぐらいのペースだという。毎週コースに通い、毎日クラブを振っていた時にはそんなことはなかったのに、久しぶりにゴルフをしたらマメができた。

「『うおー、おもしろい』って驚いてます。力の入れ方……、じゃなくて抜き方ですね。そういうのを忘れているんだなって」

 人生の中のゴルフ。ナンバーワンを巡る葛藤があり、手のひらの中にも想像できなかった未来が潜んでいる。その時間を宮里はいまも楽しんでいるように見えた。

styling by Miku Ogawa/hair&make-up by Yoshiko Jinguji 衣装協力:ONWARD(JOSEPH)/Vince/Enasoluna

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宮里藍Ai Miyazato

1985年6月19日、沖縄県生まれ。'03年高校生でプロデビュー。'04年年間獲得賞金1億円を突破。'06年から米ツアーに参戦し、'09年エビアン・マスターズで初優勝。'10年日本人史上最多の年間5勝を挙げて世界ランク1位に。米9勝、日本15勝。'17年現役引退。155cm。

文=雨宮圭吾