いつ、どこで、それが生まれたのかは、インターネットで探ってもいまひとつハッキリしない。アゴを突き出して、首もとに手をやる「アイーン」のギャグ。そのポーズを見た後輩のお笑い芸人が、おもしろがって擬音をつけたという説が有力のようなのだが、今となっては本人の口から、再びルーツが明かされることはない。

 ただ、彼女たちが親愛なる思いを持って、歓喜の時間に「アイーン」をしたのは事実である。

 新型コロナウイルスは、何十年にもわたって日本中の人々を笑顔にしてきた存在を奪った。3月29日、タレントの志村けんさんが亡くなった。

 日常の何気ないシーンを笑いに変えてきた志村さんのコントには、ゴルフを題材にしたものもあった。空気の読めない騒がしいキャディに扮したり、セクハラを地で行くレッスンプロを演じたり。

 こんな人、いないでしょう? いやいや、いるよね、こういう人。

 誰にとっても分かりやすい笑いのなかには、皮肉もたっぷり込められているようで、コアなゴルフファンほど吹き出してしまうだろう。

SANKYOレディースのプレゼンター。

 志村さんとプロゴルフとの最たるつながりといえば、2000年から12回にわたって群馬・赤城CCなどで行われていた日本女子ツアー・SANKYOレディースオープンだった。主催者の株式会社三共が製造するパチンコ、パチスロ台のCMキャラクターを務めていたことから、毎年大会前のプロアマ戦に参加し、表彰式でプレゼンターを務めた。優勝した女子プロが一緒に「アイーン」のポーズで記念写真に収まるのが恒例になっていた。

 2004年大会で優勝した北田瑠衣はその日、自宅で訃報を知った。「志村さんが入院されてから、テレビの速報(ニュース)が出るたびに、ちょっとドキッとしていました。朝方、洗濯ものを干していて家族の『えー!』という声がして……。日本の優れた医療体制からしても、回復されると思っていたので本当にショックでした」と声を落とした。

「パター、うまいですねえ」

 16年前、SANKYOレディースでの優勝は北田にとってのツアー3勝目。レギュラーツアー実質2年目で、輝かしいシーズンを送っていた秋のことだった。おそらくは、カメラマンのリクエストで始まったという「アイーン」の2ショット。「恥ずかしかったですよ! したことなかったし……」と照れ笑いして振り返ったが、表彰式の空気はいまも鮮明だ。

「天気が良くなくて、外でやった表彰式では志村さんの眼鏡にも水滴がついていた。でも初めてお会いして、すごく穏やかな方だなあと思いました。私は芸能人の方との接点はあまりないんですけど、“有名な方”はピリッとしているのかなって勝手なイメージがあったんです。でも志村さんは、優しさが表情に出ていて。『パター、うまいですねえ』って言ってもらえた、その言葉がずっと胸に残っています」

 当時トーナメントプロデューサーを務めていた、現株式会社三共プランニングの福西清秀社長もバックヤードで同じような印象を持っていた。

「物静かな方に見えましたね。バカ殿様? いや、とんでもない(笑)。ゴルフもきちんとしたプレーをされる方で、周りの方にも常に気を遣われる方でした」

 試合は2011年を最後にツアーから撤退した。「大会が終わるとき、志村さんは『やめちゃうの? ゴルフとの接点が減っちゃうな』と残念そうでした」と思い返した。

宮里藍、諸見里しのぶも「アイーン」。

「アイーン」の写真が大会の歴史に残っているのは北田だけではない。2009年には宮里藍も、そしてその3年前の2006年には当時20歳だった諸見里しのぶも、照れながらカメラに向かって左ひじを突き出している。彼女にとって、この瞬間は通算9勝のなかでも深く胸に刻まれている。なにせキャリアにおける初勝利だったのだから。

「実際に大会に出るまでは、志村さんが会場にいらっしゃることを知らなくて。練習ラウンドをしていたとき、キャディさんに『この大会のプレゼンターは志村さんだよ』と聞いたんです。一緒に写真を撮っていただきたい、だから優勝したい……という気持ちでした」

薄氷を踏む思いでつかんだ初優勝。

 輝かしいアマチュア時代を経て、プロテストに合格したのが前年の夏。米ツアーとの掛け持ちで多忙なシーズンを送っていた。順調にステップを踏んでいるようで、「当時はプレッシャーかかっていましたね。いいところまで行くと、最終日に崩れて優勝に届いていなかった」と、悔しさも焦りも溜まっていた時期だった。

 大会は初日が中止になり、競技は36ホールに短縮された。諸見里は第1ラウンドに66で首位に立ちながら、最終ラウンドで77をたたき、薄氷を踏む思いでプロ初タイトルを勝ち取った。

「木が折れてしまうくらいの強風で、バックナインでめちゃめちゃ打ちました(ハーフ42)」

 苦しいゴルフの先で待っていてくれたのが、小さいころからテレビで親しんだスター。

「本当に優しく、志村さんに『じゃあ、一緒にアイーンしようか』と声をかけていただいた。あの瞬間、思い出自体が宝物です」

続いたやりとり、志村さんの丁寧な返信。

 彼女の“本気度”と、志村さんの人柄をさらに示すエピソードの続きがある。

 諸見里は翌年の大会で、プロアマで同じ組でプレーする機会に恵まれた。志村さんの腕前もなかなかのもので、「大たたきをするような感じではまったくなくて、お上手だったと記憶しています」。過去の映像に目をやると、確かにクセの少ないスムースなスイングのよう。

 だが、諸見里はそれにもまして志村さんの柔和な立ち振る舞いが印象に残った。「すごく落ち着いた感じで、何気ない一言ひとことで笑わせてくださって。お昼の食事のときも本当に優しく接していただいて、私のほうが浮かれてしまって一日興奮していました」

 夢のような時間を過ごすなかで、諸見里は連絡先の交換に成功した。そうは言っても気安く電話をかけられるような相手ではない。勇気を出すのは決まって年が明けたとき。

「新年のご挨拶をメールで送っていました。志村さんなんて、何百人、何千人という方からお電話もあったと思うんです。それでも私に『今、母と温泉に来ています』なんて、本当に丁寧に返してくださいました。実際にお会いしてからもっと大好きになりました」

 周りへの気遣いを忘れず、スマートに。大騒ぎするわけでもなく、何気ない一言で一緒にプレーする人を一日中ハッピーにする。コントで演じた役柄とは180度違う。志村けんさんはきっと、コースでは誰もが見習うべきゴルファーのひとりであったに違いない。

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文=桂川洋一

photograph by Kyodo News