パッと目を覚ましてみたら、そこには誰もいない。

 オーガスタナショナル・ゴルフクラブ(GC)のピンクのアザレアや、白いハナミズキはさぞや驚いていることだろう。どうして今年はこんなにしんと静まり返っているのかしらと。

 2020年4月10日、本来ならマスターズの大会2日目が行われているはずだった。

 ジョージア州の田舎町に世界中の人が集まり、各国の名手たちが美しさと裏腹の苛酷なコースに挑む。緑の絨毯、ガラスのグリーン。パトロンたちの興奮の叫び、落胆のため息――。そのすべてがすっぽりと抜け落ち、マグノリアレーンからクラブハウスへと続くワシントンロード沿いの門も今は固く閉ざされている。

震災から1カ月、日の丸を縫い付けて。

 ゴルフ界最大の祭典、マスターズが本来醸し出すはずの祝祭ムード。ちょうど9年前の4月10日、2011年大会の最終日を思い出すと、その真っ只中にいた松山英樹の姿が浮かんでくる。

 初出場だったこの年にベストアマに輝いた松山は、最終日に日本人で初めてマスターズの表彰式の場に立つこととなった。西日に照らされた晴れ舞台で、通訳を介して日本語でこうメッセージを伝えた。

「被災地はまだ大変ではありますが、マスターズでのプレーが少しでも希望と喜びを与えられたと思います。オーガスタの皆さんに感謝します」

 最後に「Thank you.」と言うと、出席者から一斉にスタンディングオベーション。延々と続くかのような拍手の渦に、松山は驚いた様子で何度も何度もお辞儀を繰り返していた。

 当時は東日本大震災からまだ1カ月。震災の爪痕は深く、日本はまだまだ先の見通せない状況でもあった。ゴルフをやっていていいのか。出場を思い悩んだ時には、メールやFAXで寄せられた激励のメッセージに目を通して気持ちを奮い立たせていたという。

 初日のスタート前には東北地方で震度6強の大きな余震があり、大学のある仙台でも停電が起きた。それでも「逆に頑張ろうと思って集中できた」とウエアの右袖に日の丸を縫い付け、キャディーバッグには「まけるな日本」のバッジをつけて、オーガスタデビューを迎えたのである。

非凡な才を持つ青年へ拍手と歓声。

 1番ホールではティーショットを右のバンカーに入れ、2打目もグリーンをショートしたが、2mに寄せて辛くもパーセーブ。「あれで気分が楽になった」と4番ホールでは20mのロングパットを沈めて初バーディーを奪った。最後は3連続ボギーを叩いたが、一時は4位に浮上するなど「奇跡に近い」というイーブンパーの31位で初日を終えた。

 2日目も1オーバーの73で踏ん張り、出場したアマチュアで唯一の予選通過を決めた。この時点でベストアマは確定したが、3日目には5バーディー、1ボギーの68をマーク。トッププロが居並ぶ中で、ベストと1打差の好スコアを叩きだして43位から18位まで大きく順位を上げた。

 マスターズには数多くの日本人トッププロが挑んできたが、60台をマークしたのはこの時の松山がようやく9人目。まだ19歳だった青年は、この時点ですでに将来につながる非凡さを示していたといえる。

 74で回った最終日は、18番ホールをバーディーで締めくくった。グリーンを幾重にも取り囲んだパトロンから背筋がゾクゾクするほど大きな拍手と歓声を浴び、4日間の戦いを終えたのだった。

「また回りたいなあ。今から回れないかな」

 通算1アンダーの27位でベストアマを獲得。表彰式に先立ってバトラー・キャビンで行われたテレビ用のセレモニーに、前年優勝のフィル・ミケルソン(米国)やこの年の優勝者となったシャール・シュワルツェル(南アフリカ)と一緒に参加した。スター選手の横にちょこんと座って少し所在なげではあったが、こうした経験がキャリアの大きな礎となった。

 ホールアウト直後は「こんなに疲れた1週間もなかった」と話していたのに、「また回りたいなあ。今から回れないかな」と名残惜しそうにしていた松山。その願いは、その後、自らの力で叶えていくことになる。

 プロ転向直後の2013年大会を除いて毎年出場を果たし、2015年は5位、2016年は7位。再びオーガスタの夕日を浴びて表彰式に立つ日も訪れるのではないか。アマチュアで喝采を浴びたあの日から9年、松山はあの時以上にそう期待させる存在であり続けている。

秋開催のオーガスタはどんな景色か。

 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、PGAツアーも“第5のメジャー”とも呼ばれる3月のプレーヤーズ選手権の第1日を最後に中断された。その日、コースレコードで首位発進した松山のプレーも幻となった。すでに戦後初めての延期が決まっていたマスターズは、今月6日に代替日程が発表され、11月12〜15日に開催される予定である。

 例年ならオーガスタナショナルGCは4月の大会後から10月までクローズとなる。厳格なメンバーシップ制度があるために、その期間はもちろんのこと、我々が大会週以外でその姿を拝める機会はまったく存在しないと言っていい。

 緑に包まれ、アーメンコーナーやコースのあちこちに咲き誇る花々とともに春の訪れを告げてくれたオーガスタの景色が、秋開催によってどのように変わるのか。

 グリーンの下に温度と水分を管理する特殊配管装置「サブエアシステム」を埋設して徹底したコンディション管理を行い、トーナメントウィークに合わせて花の咲く時期までコントロールすると噂されたマスターズの主催者である。秋の祭典にふさわしい完璧なしつらえをしてくるのではないか。ひょっとしたら秋にアザレアの花を咲かせることだってしてしまうかもしれない。

 これから7カ月、パンデミックの収束が少しでも期待できる状況になっていたら、そんなことを楽しみにして、開幕の日を待つことができるはずなのだ。

文=雨宮圭吾

photograph by AFLO