最近、「きずな」って言葉、聞かなくなったなぁ……って、フッと思った。

 同じように「未曾有の国難」といわれた2011年の「東日本大震災」。

 あの時は、きずな、絆……日本じゅうが「きずな」に埋め尽くされた。

 野球の世界でも同じ状況だったので、意地悪な質問者としては、「絆って、わかりやすく言うとなんなの?」とか、「漢字でどう書くの?」とかはしたない突っ込み方をして、ずいぶんとイヤな顔をされたものだ。

 別に、困らせようと思って、そうしたわけじゃない。ほんとのところ、どういう意味かも知らずに、うわべの言葉の響きの心地よさだけで、きずな……と言ってほしくなかっただけのことだった。

「絆」……自分を2番目以下に思う心。二の次に思う心でもよいかもしれない。

 私なりに、そんな意味で「絆」という言葉をとらえている。「思いやり」なんて、わかったような、わからないようないい方はしたくない。

 もしかしたら、あの時以上の「国難」なのかもしれない今。

 インターネット上に飛び交う情報や発言の中に、「絆」という言葉をあまり見ないように思う。

例年なら実戦が始まる頃。

 4月も中旬になって、いつもの年ならアマチュア野球もたけなわの季節だ。

 高校野球はセンバツから各地の春の県大会に舞台が移り、大学野球も全国のあちらこちらで開幕して、社会人野球だって都市対抗を目指して、実戦が始まる頃なのだが、今年はいつもの年とは様相が異なる。

「実戦の場」 というのは、もちろん勝負をかけて奮戦することが第一義なのだろうが、同時に選手たちにとっては、自分より優れた選手や興味深く思える選手のプレーを目の当たりにして、そこから、その“ワザ”を学ぶことのできる貴重な場でもある。

 とりわけ、下級生の選手たちにとっては、年長の選手からその技術を継承する場として、とても大切な学習の場となる。

自分の野球を後輩に伝承するために。

 技を磨いて、“夏”や将来に備えようとするレギュラーや上級生にとって、春の実戦が少なくなるのはさぞ痛手であろうが、ボンヤリしていては、それを受け継いでいってほしい下級生にとっても、なんとも勿体ない空白の時間になりかねない。

 自らの不運、不遇ばかりを嘆いていてもしょうがない。

 ここはいちばん、自分のことは二の次にして心機一転。自らが構築してきた「野球」を、後輩に語り継いでいくための時間に使ってみたらどうだろう。

 たとえば高校3年生の球児だって、「まだ子ども」だと言ってしまえばそれっきりだが、8歳から野球を始めていれば、野球経験10年の立派な「ベテラン」である。頼まれれば、後輩に語って聞かせる理論や極意の1つや2つ、間違いなく隠し持っているはずである。

学校の後輩に伝えるだけではなく。

 チームの後輩たちを一堂に集めて一席ぶてば手っとり早いのだが、今は集会はご法度。こんな時こそ、お得意のSNSの出番であろう。スマホ、パソコンを使って、自分なりの野球理論を後輩たちに発信し、語り継いでおこう。

 たとえばキャッチャーなら、オレなりの「配球」の考え方っていうのは……でもいいし、内野手だったら、打者のこんなしぐさから打球がこっちに飛んでくるのが予測できるんだ……でもいい。

 バッティングに自信のあるヤツなら、こういうスイング軌道にしたらとんでもなく飛ぶようになったでも、追い込まれてからのしのぎ方はこんな感じ、でもなんでもいい。

 欲をいえば、人から教わったことより、自分で気づいたこと、自分が思いついたアイディア。オリジナリティのある教えのほうが、いただくほうはありがたいような。

 せっかく苦労して構築してきた理論、技術をタダで教えてやるなんて……そんなケチな了見、この非常時だ、さっさと捨て去ろう。

 自分より、人のためになれば。そんな風に考えることが、“絆”のとっかかりというものではないか。

「野球クラスター」なら拡散したい。

 みんなが発信した「お宝」を、おっ、これは使える、ありがたい! と思った後輩が、他校の野球仲間に伝える。その野球仲間が、別の野球仲間にまた伝えていく。

 このようにして拡散していく「野球クラスター」なら、世の中になんの害もないはずだ。

 たまたまこうした国難に遭遇し、しばらくの間、実戦の場を失い、野球に不自由したオレたちだったが、自分たちの「野球」を次代に引き継いだことで、オレたちの高校野球、学生野球の足跡は、「2020年」の野球の歴史にバッチリ残っているのだ。

 そんな心の折りたたみ方があっても、私はとても素敵な高校野球、学生野球のあり方じゃないかと思う。

 そして特別な言葉を一度も発せずとも、結果として、自分たちが構築してきた「野球」で、多くの人と人をつなげ、つながった人たちに「絆」という人の輪を構築したことにはならないだろうか。

 今この時、球児たちがなすべきことは、実はいくつもあるんだ。

 説教くさい話は長くなってはいけない。このへんで切り上げよう。

 体の具合のよくない時は、休むことが前に進むこと。世の中の具合がよくない時は、じっと我慢することが前に進むこと。

 ここは、もうひと頑張り、やれることは励みながら、辛抱しよう。

文=安倍昌彦

photograph by Hideki Sugiyama