『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています! 今回は長年育成世代のバスケットボールを取材している青木美帆氏が、最も記憶に残る全中(全国中学校バスケットボール大会)の試合を選出。現在はBリーグで活躍する富樫勇樹(本丸中)と田渡凌(京北中)が激突した、2008年決勝の名勝負を振り返ります。

「私の一番」。今回、編集部からこのようなテーマで依頼を受け、今まで仕事として立ち会った様々な試合を思い浮かべてみた。

 しかし、結局のところ、この試合以上に私を衝き動かした一戦は存在しないと気づくのに、そう時間はかからなかった。

 2008年8月25日。新潟で行われた全国中学校バスケットボール大会(通称「全中」)男子決勝、本丸中×京北中。

 こたつ記事の執筆が収入の大半を占めるバスケットボールライター(自称)から脱却するため、「中学生専門のバスケットボール雑誌」という超ニッチな雑誌の編集者に転じて、数か月。

 生まれて初めて見た中学バスケの全国大会で、こんなにとんでもないものを目撃することになるとは思ってもみなかった。

頭が沸騰しそうになる32分間。

 とにかく、両チームのエースがとんでもなかった。

 本丸中の富樫勇樹と、京北中の田渡凌。

 2人が繰り出すプレーの1つひとつに、頭が沸騰しそうになる32分間だった。

 これは本当に中学生の試合なのだろうか。数週間前に取材したばかりのインターハイでも、彼らほどのうまさを持った選手はそれほど多くなかったのではないだろうか。何度も何度も、そう思った。

 言うまでもなく、本丸中の富樫勇樹は、現在の日本代表や千葉ジェッツで活躍するあの富樫であり、京北中の田渡凌は横浜ビー・コルセアーズのキャプテンで、『テラスハウス』への出演でも話題を呼んだ田渡である。

「あの試合を生で見られたことは、すごくラッキーなことだと思うよ」

 先輩編集者からそう言われたのは、新潟から東京への帰り道だっただろうか。あれから10年以上が経った今、改めてその幸運を噛みしめずにはいられない。

富樫が36点、田渡が39点と、怪物級のスタッツ。

 シーソーゲームとなったこの試合の勝者は、富樫が所属する本丸中だった。

 両エースは富樫が36点、田渡が39点と、怪物級のスタッツを残しているが、その得点のとり方は対照的だった。

 田渡がマークの張り付いた状態で力強くシュートを打ち続けたのに対し、富樫は基本的にノーマークの場面でシュートを選択し、そうでないときは仲間にパスを送った。

 中学最後の、しかも地元での全国制覇がかかった試合にも関わらず、コート上の富樫からは、「闘志」や「気負い」という類のものを一切感じなかった。

 むしろ、ちょっと気を抜くと、165センチの小柄な体を見失いそうになった。

 そのくせ、ドンピシャのタイミングで速攻のループパスを演出したり、鋭いクロスオーバーから自分より20センチも高い相手の上にシュートを通したり、最終クォーター開始直後に完全ノーマークの3ポイントシュートを2連続で沈めたりするのだ。

 それも、なんてこともないように、ひとつも表情を変えることなく。

田渡が鋭い刀なら、富樫は風。

 田渡のプレーを鋭い刀とたとえるなら、富樫のそれは風だった。

 普段はとらえどころがなく、突如強烈なエネルギー体となって相手に襲い掛かり、またふいと消えてしまう。

 本丸中の当時のメンバーは、入学直後から地元全中での優勝を目指してきた。それゆえ試合後はみな、大願が成就した喜びを爆発させ、うれし涙を流している選手もいた。

 しかし、その中で富樫は、ごくごく小さな笑みをたたえるのみだった記憶がある。

 この数年後、富樫に当時の心境を聞く機会があった。うれしい感情をうまく表現できなかったのだろうと仮説を立てていたが、その回答は斜め上のものだった。

「優勝するのは当たり前だと思っていましたし、普通の大会で優勝するのと同じくらいの気持ちでしたね。チームメートは相当うれしかったみたいですけど……」

富樫は無意識に力をセーブしていた。

 バスケットへの情熱は確かなものだった。

 まだおむつが外れていない頃から小さなリングにシュートを打ち続け、体育館観覧席の最前列で、わき目もふらずに試合を見続けた。

 ただ、中学校最高峰の大会、その決勝にあっても、富樫は同世代と明らかな力の差を感じとり、無意識に力をセーブしていた。

 当時本丸中の監督をしていた富樫の父の英樹さんは、後にこう証言している。

「あいつはいつも帳尻を合わせてプレーしていた。試合展開に余裕があるときはまわりに攻めさせて、さぼって、オイシイところだけ出てくる(笑)。100パーセントの力でプレーすることなんてなかったんじゃないかな」

 富樫は全中終了後、アメリカの強豪・モントロス・クリスチャン高校への留学を決めた。日本バスケ界の随一の名将・中村和雄の猛プッシュを受け、本人が「その気になった」格好だ。

 英樹さんの恩師でもある中村は、小さいころから富樫の才能をよく理解していたという。同時に、富樫の心の奥に存在した”退屈”や”渇き”といったものにも気づいていたのかもしれない。

人前でプレーするのが嫌すぎて……。

 中学生のころの富樫は、実力に加え、強烈な寡黙さでも有名だった。

 メディア関係者はおろかチームメートであっても、会話は基本的に「はい」か「いいえ」。英樹さんも、「中学3年間、家でも学校でもひとつも口を聞いたことがない」とぼやいていた。

 小学校低学年のころ、人前でプレーするのが嫌すぎて、ユニフォームを持った母に追いかけ回された……。

 そんな逸話があるくらいの超シャイな少年が、アメリカの強豪高校に留学すると聞いたときは他人事ながら心配になったが、富樫は1年次からロスター入り。2年次からはスタメンとして起用されることが増え、そのシーズンの全米ランキング2位入りに貢献する活躍を見せている。

 当時はまだ、海外の試合動画を気軽に見られる時代ではなかった。富樫がどんなプレーをしているかはわからなかったが、コーチやチームメートと意思疎通のとれないポイントガードが絶対に試合に出られないことは、誰にでも想像できることだ。

 後の取材で、富樫は当時を「やらなきゃバスケができない状況だったので、とにかく毎日頑張っていただけ」と振り返っていた。「バスケがしたい」という強い欲求に従い、富樫は自らの殻を破ったのだ。

「家族にも『よくしゃべるようになったね』と」

 富樫が高校を卒業し、帰国した夏、「ワークアウトのメニュー紹介」という取材に協力してもらったことがある。

 富樫は自分の経験や考えを実になめらかに語り、メニューのコツを次々レクチャーした。別フロアにある編集部を案内したときには「この雑誌は何人くらいで作ってるんですか?」「他の人たちはどんな雑誌を作ってるんですか?」と逆質問まで受けた。

 4年前までは、誰かの隣(もしくは後ろ)で、何も言わずはにかむだけの少年だった。あの時の彼と目の前にいる人物が本当に同一人物なのだろうかと驚いたが、近しい人々の反応も似たようなものだったようだ。

「家族にも『よくしゃべるようになったね』と驚かれます。1年目の夏に実家に帰った時には、お父さんに『これまでの15年間よりも、この夏のほうがしゃべってるな』って言われました」

 富樫はそう言って、さらりと笑っていた。

「野心的なメンタルを高く評価している」

 今年2月、久しぶりに富樫の単独インタビューを行う機会があった。

 高卒でプロになって7年。NBAやイタリアリーグにも挑戦し、すっかりたくましくなった26歳の富樫は、高校時代に経験したもうひとつの成長について話してくれた。

「日本人っていい意味で他人思いで、チームプレーに徹することができるんですけど、変に譲り合ったり、主力の選手に遠慮しているところがあるじゃないですか。

 アメリカでは練習中、試合に出ていない選手がスタメンの選手とケンカしたりすることが当たり前のようにありました。それくらい、みんなが『試合に出たい』という気持ちを持って、それを表現していたんです。

 特に僕は、この身長で、この見た目(童顔)だったので、チームメートからの『こんなやつに負けるわけがない』という雰囲気は常に感じていました。練習の時から、自分がボールを持つと、明らかに他の選手よりプレッシャーが強くなる。そういう環境が僕を成長させたんだと思っています」

 今年度の日本代表の活動が始まる直前、日本代表のフリオ・ラマスヘッドコーチがメディアセッションを開いた。

 質疑応答で富樫について問われたラマスは、「相手が誰であろうと挑戦できる、野心的なメンタルを高く評価している」とコメントしているが、このメンタルは、間違いなく高校時代に磨かれたものだろう。

「それだけ1試合にかける思いが強いってこと」

 現在の富樫は、決して品行方正なプレーヤーではない。納得できないジャッジには遠慮なく抗議するし、激しいマークを受ければ、審判の目を盗んでそれを強く払う。しかし、これは富樫の本気の表れなのだ。

「Bリーグでも、自分の感情を出す選手がいないというか。審判にテクニカルをとられるくらいでもいいと思うんですけどね。それだけ1試合にかける思いが強いってことじゃないですか。

 そういう感情を抑えて、冷静でいるのがいいみたいな考えは、僕はちょっと違うんじゃないかと思います」

 富樫のこの言葉を聞き、惨敗に終わった昨年のワールドカップを思い出した。取材を重ねる中で、日本代表には初手を封じられたときの対応力、そして、劣勢を打開しようとするメンタリティが欠けていたことを痛感した。

 若いころから日本のトップを走り続けてきたエリートたちは、黒星を重ねるごとに心を削られてゆき、八村塁が去った順位決定ラウンド以降は、NBAという大きな挑戦を掲げる渡邊雄太と馬場雄大の孤軍奮闘が目立った。

 この大会でのスタメン起用がほぼ当確だった富樫は、合宿開始直後の骨折で、この大一番に立ち会っていない。この男の“ファイトするメンタル”が、日本代表にどのようなエナジーを与えるのか……その答えは、来年に延期されたオリンピックで明らかになることだろう。

「この経験なしでは今の自分はないのに……」

 先日、新型コロナウイルスの影響を受け、今年度の全中が中止されることが決まった。

 富樫は自らのSNSで、全中決勝のジャンプボールのときの写真と共に、「この経験なしでは今の自分はないのに…」という一文を投稿した。

 全中についてそっけなく話していたはずの富樫は、様々な経験をし、日本バスケを引っ張るエースとなった今、15歳の夏に経験した一戦の尊さを噛みしめているようだ。

 小さくて、華奢で、人見知りで、それでも大人たちの度肝を抜いたあの日の少年は、富樫の中に今も息づき、彼を動かしている。

文=青木美帆

photograph by Izumi Nakagawa/NIPPON BUNKA PUBLISHING