1969年から42年の長きにわたりリビアを支配したカダフィ大佐が亡くなったのは、2011年10月20日のことだった。その少し前から内戦に突入し、いったんは収束したものの2014年には再び内乱が勃発して今日に至っている。

 度重なる戦火で国土はすっかり疲弊し、サッカーに関してもリーグ戦は2019年4月から開催されていない。試合といえば、アフリカのクラブカップ戦(チャンピオンズリーグとアフリカサッカー連盟カップ)と代表の国際試合が中立地でおこなわれているだけである。

 そんなリビアの様子を、フランク・シモン記者が『フランス・フットボール』誌2月4日発売号でレポートしている。まだ新型コロナ禍が全世界的に広まる前のことで、その後は世界もリビアと似た状況に陥ったと言えなくもないが、ひとつの国が数年にわたり騒乱状態にある厳しさはわれわれの想像を絶するものがある。

 だが、同時にシモン記者は、小さくはあるが希望の灯がともっていることも書き記している。その光が、コロナ禍によって翳らないことを今は願うばかりだが……。

監修:田村修一

2つに割れてしまった国のサッカー。

 この1月26日、黄色い大地の上で喜びが爆発した。ジョリバ・バマコ(マリ)を相手に、アウェーで予期せぬ勝利(1対0)をあげたアルナスル・ベンガジ(リビア)が、CAFカップ(アフリカサッカー連盟カップ)準々決勝進出を決めたのだった。

 勝利の直後ピッチに跪いた選手たちは、汗にまみれたユニフォームを脱ぎ捨てて勝利の喜びを身体中で表現した。

 その3日後、アイウン(西サハラ)では、モロッコと西サハラの求めに応じてCAFがフットサルのアフリカカップを開催し、モロッコがリビアを3対0で下した。スコアや結果に意味はない。スペイン人コーチのフリオ・フェルナンデス・コレイア率いるリビアが、試合に出場したこと自体に大きな意味があった。

 バマコとアイウン。

 ふたつのエピソードは、内戦で疲弊したリビアでは、サッカーが贅沢な娯楽になってしまった厳しい現実を示している。

 2011年にカダフィ大佐が逝去して以来、リビアは長期にわたる内戦に突入した。簡単に要約すれば、国は首都トリポリに本拠を置くファイズ・アルサラージ率いるユニオン・ナショナルが支配する西部と、東部最大の都市ベンガジ出身のカリファ・ハフター元帥に率いられた反乱軍が支配する東部のふたつに分断された。現在、戦線は西に移動し、トリポリは包囲された状態である。

代表も、国内クラブの試合もずっと無いままに。

 厳しい政治状況下でリビア代表は、2013年4月13日の中央アフリカとの親善試合を最後にホームで試合を行えていない。

 近隣諸国の理解を得て、チュニスやスファックス、モナスティル(ともにチュニジアの都市)、ブリダ(アルジェリア)、マラケシュ(モロッコ)、カイロ(エジプト)などでホームゲームを開催しているだけである。

 クラブの活動はさらに制限されている。リーグの公式戦が最後に行われたのは2019年4月6日まで遡る。直後にリビア協会は、十数節を経過した時点でリーグの中断を決めたのだった。

 昨年11月、トリポリと中部地方のクラブは、10月のリーグ再開を発表しながら実現しなかったサッカー協会を相手取り訴訟を起こした。

 協会が延期を決めた理由は、コミュニケによれば、「カリファ・ハフターがトリポリに脅威を与えている」からであった。

 協会によりアフリカ連盟のカップ戦出場が承認されたクラブだけが、中立地での試合を認められた。ベルギー人監督イバン・ミナールトに率いられたアルイティハド・トリポリは、こうしてコンフェデレーションカップに出場したが早々に敗退した。唯一、ベンガジのアルナスルだけが、チャンピオンズリーグで敗れた後も他の大会(コンフェデレーションカップ)に回り、2019年8月以降も12試合を勇壮に戦ったのだった。

リビアで最高の選手はチュニジアへ。

「活動停止の影響は、選手の国外離脱という形でまず現れた」と、協会のサブ・ゼネラルセクレタリーを務めるモハメド・グレミダは語る。

「選手たちは規則を改正して受け入れ態勢を整えた近隣諸国に主に流れていった。マグレブ諸国やエジプトでは、リビア人選手は自国選手と同等の扱いを受けている」

 エスペランス・ド・チュニスに所属するハムドゥ・エルフニがまさにその例で、リビア出身選手の中で最高という評価を得ている。

「国内に残った選手たちは、自分ひとりでもトレーニングを続けようとするが、クラブが活動を停止した今はそれも難しい」とグレミダは続ける。

「クラブの首脳同士が会うことすら難しい。彼らは協会会長の選挙を求めているが、セキュリティの問題から電話で意見を交換しているだけだ」

武装した兵士に囲まれ威嚇され……国から脱出。

 2017〜18年にアルイティハド・トリポリの監督を務めたフランス人のディエゴ・ガルジットは、リビアで最後に開催されたシーズンのリーグ戦をよく覚えている。

「私はセキュリティがしっかりしたトリポリのホテルに滞在していた。クラブの設備も充実していて、生活スペースやふたつのジム、天然芝と人工芝の質の高いピッチを揃えていた。練習にはいつも多くのサポーターが見学に来ていた。

 リーグはトリポリとベンガジのふたつのプールに分かれ、勝者がプレーオフを戦って優勝チームを決めた。

 当初、試合は無観客でおこなわれたが、やがて観客の入場が認められた。雰囲気は素晴らしかったよ! でも、それも、私たちがベンガジに試合に行くまでだった。空港からスタジアムまでは車で移動したが、車から降りると武装した兵士たちに囲まれて威嚇された。本当に恐ろしかった……。

 試合はしたけれども、当然のようにわれわれが負けた。試合の後で、私は即座に帰国を決意した。だが、それまでは本当にうまくいっていたんだ。リーグ戦はしっかりと組織されており、テレビでも中継されていた。アフリカのカップ戦も中立地(チュニジア)で戦うことができた」

リビア代表選手のほとんどは国外で活躍。

 自国でのホームゲーム開催が不能となってからも、リビア代表のチーム力は落ちなかった。

 2014年に南アフリカで開催されたCHAN(=アフリカネーションズチャンピオンシップ。アフリカ大陸の自国内のクラブに所属する選手のみに出場権が与えられた大陸選手権)に優勝したうえに、2018年のモロッコでの同大会でもベスト4に進出した。この4月にカメルーンでおこなわれる大会(註:コロナ禍により延期)にも当然ながら出場している。

 他方、A代表も、CAN(アフリカネーションズカップ)2021予選と2022年ワールドカップ予選を戦っている最中であり、2012年以来のCAN本大会出場を目指している。主力が国外のクラブに移籍していることが、逆にチュニジア出身のファウジ・ベンザルティ監督の仕事をしやすくしている。経験豊富なベンザルティは、リビアを率いるのは今回が2度目で、6カ月の短期契約である。

「もちろん状況を考えれば簡単ではない」と、ベンザルティは本音を語る。

「主力となる優れた選手たちはバーレーンやエジプト、ポルトガル、マグレブ諸国などに散らばっていて、彼らにアルナスル・ベンガジの選手を3〜4人加えると代表が出来上がる。チュニジアで合宿をおこなった後に、チュニジアかモロッコで試合をする。私は楽観的な性格だから、あまり心配はしていない。チームのレベルは高いからね」

内乱を逃れて続々と国外に流出する選手たち。

『ザ・リビア・オブザーバー』誌の記者でバロンドール投票委員でもあるアーメド・エダイリは、代表とアルナスルを除き結果は期待されていないという。

「学校と同様にサッカーも今は冬眠状態だ。選手の流出は継続的に続き、今では20〜30人が国外でプレーしている。いずれにせよひどい状況であるのは間違いない」

 アルナスル・ベンガジは、カップ戦のホームゲームをカイロで開催せざるを得なかった。監督のモハメド・アルキクリ(36歳)は、エースストライカーのモアマズ・アルメフディをはじめとする主力が国外に出て行ってしまったために、若手主体のチーム構成で試合に臨んだ。

 コンフェデレーションカップ準々決勝(註:3月におこなわれモロッコのアガジールに敗れる)に進出し、国民に誇りを取り戻させたこの才能に溢れる世代が、いつの日にか代表のユニフォームを纏い、リビアの観衆を熱狂させることはないと誰が言いきれるだろうか。あるいはカダフィ大佐時代に建てられた巨大なスタジアムで再開されるリーグ戦で、満員の観客を興奮の坩堝に誘わないと。

 ただ、今はまだトリポリでもベンガジでもミスラータでも、彼らがボールを蹴る姿を見かけることはあり得ないが……。

文=フランク・シモン

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