奇跡めいた出来事は、偶然に紛れた必然のピースを探してできるパズルのようでもある。

 2007年の5月20日は日本のゴルフシーンにおいて、紛れもなく歴史的な一日。なにより、ひとりの男子高校生の人生を変貌させた一日だった。

 13年前、岡山県・東児が丘マリンヒルズで行われたマンシングウェアオープンKSBカップ。男子プロゴルフツアーに初めて出場した15歳のアマチュア・石川遼が優勝した。以来、あらゆる最年少記録を更新し、この1勝の権利を行使してプロ転向したのが翌年1月のこと。賞金王に輝いたのがそのまた翌年のこと。

 すべてはあの日が物語の始まりだった。

無名の15歳が出場できた理由。

 当時の石川は高校に入学したばかり。中3時に全国大会で優勝し、すでに多くの同級生や後輩たちからは見上げられる存在ではあったが、それはジュニアゴルフ界に限ってのことだった。プロの世界ではもちろん無名。

 そもそも一介の高校生アマが、プロツアーに出られたのにはワケがあった。大会の1カ月半前、石川はこの試合のプロを含めた“予選会”に出場した。カットラインに届かなかったものの、アマチュアのなかで最上位の成績を残していた。プレーはもとより、溌溂とした佇まいが主催の瀬戸内海放送(KSB)関係者の目に留まり、推薦枠で本戦のフィールドに加わったのである。

 話はさらに遡る。中学時代の石川は早くからプロ入りを夢を描き、他県も含め多くの高校ゴルフ部からの誘いを断っていた。卒業後も地元埼玉の公立高校で陸上部に入りながら、課外活動としてゴルフに取り組むつもりでいた。

 だが、選んだのは東京の私立・杉並学院高。吉岡徹治監督(当時)の、他の強豪校とは少し異なる方針、トップジュニアにプロゴルファーとプレーする機会をいち早く、より多くつくるという育成方針に共感して入学を決めた。

 それゆえ、当時は進学して早々にこのKSBカップ以外のプロツアーの予選会にも参加していた。運命の日のちょうど1週間前も、栃木県のゴルフ場で予選をプレーした夜に宇都宮から新幹線を乗り継ぎ、キャディバッグを担いでひとり岡山へ。帰路につく頃、世界が一変していることなど想像すらしていなかったのは言うまでもない。

プロの凄みに驚き、赤っ恥もかいた。

 初めてのプロツアー参戦の心境を「まさに社会科見学だった」と石川は思い返す。会場で選手をサポートする各メーカーの大型バスで新品のボールをもらって興奮し、69歳だった永久シード選手、故・杉原輝雄のショット練習を眺めてあんぐり口をあけた。

「ぜんぶ同じところにボールが落ちて。プロってすげえ……!って」

 実は盛大に赤っ恥もかいていた。

 芝生のドライビングレンジには試合期間中、練習可能なエリアを示すため、列をなす選手たちに沿うように1本の長いロープが地面に張ってある。開幕2日前、石川がスイングをすると、フォロースルーの際にクラブヘッドが勢いよくこのロープに引っかかってしまった。ロープはたちまち各選手の足元から目の前に舞い上がり、「いきなり、プロの皆さんに迷惑をかけてしまった」記憶がいまも気恥ずかしい。

同組でプレーしたのは立山光広。

 試合に入っても、不思議な縁があった。
 
 大会は初日、強風の影響で昼過ぎに中止された。すでにスタートしていた選手たちも多くいたが、その時点ですべてのスコアが取り消しになり、翌2日目に改めて第1ラウンドの18ホールが行われることになった(3日目に第2ラウンド18ホール、最終日に決勝ラウンド進出の上位者が36ホールをプレー)。

 その初日、OB連発で下位に低迷していた立山光広は第1ラウンドがやり直しになると聞くなり大喜び。「ロッカールームで立山さんの“万歳三唱”が聞こえたんです。おもしろいなあ……と思って」と、隅っこで控えめに笑っていた石川だったが、まさかそのベテランと日曜日に同じ組、36ホールを一緒にプレーすることになろうとは……。

 立山は茶髪にヒゲ、キャップはかぶらないという少々尖ったスタイルである。幼気な15歳からすれば見た目が怖くて仕方がない。長丁場のラウンドを控えた早朝の練習グリーンであいさつ。

「そのときが緊張のピークだった。ビビりまくっていた」

「きょうの主役はここにいるぞ!」

 だが、世紀の瞬間が近づくにつれ、そんなベテランが頼もしい存在になっていった。

「立山さんと久保谷健一さん(もうひとりの同伴競技者)の掛け合いがおもしろくて、ずっと笑っていた。緊張しそうな場面になると話しかけてくれて」

 優勝争いの真っただ中、最後の9ホールを控えて10番ティに立ったとき、石川は初めて見る大ギャラリーに気圧された。すると突然、立山が石川の手首をつかみ上げ、ボクサーの判定勝ちを伝えるレフリーよろしく「きょうの主役はココにいるぞ!」と叫ぶと、周囲は喝采。重圧になるはずの大観衆は一瞬にして味方になった。

 石川はいまも、「実力以上のものが出た。運もあった。奇跡もあった」とどこか他人事のように13年前を振り返る。その一方で快挙を演出してくれた当時の大人たちへの感謝を募らせる。

 才能を見出してくれた指導者、出場のチャンスをくれた大会の関係者、温かい目で迎えてくれた先輩プロたち。

「たくさんの人が自分を見ていてくれた。それがなければ、いまはない」

見極める目と研磨は大人の仕事。

 いま、新型コロナウイルス感染拡大によるスポーツシーズンの中断を憂いているのはプロアスリートだけではない。

 あの頃の石川と同じ、学生アマチュアも大好きな競技で汗を流せないでいる。ゴルフ界のみならず、インターハイをはじめとした他スポーツの全国規模の大会も中止が相次ぎ、大一番を集大成にすると考えていた選手、あるいは将来や進路へのステップとして考えていた選手にしてみれば、やりきれない。

 だからこそ、28歳になった石川は「大人が選手の人生をより左右する立場になりうる」と強調した。世に出るきっかけづくりをしてくれたのは、無論自分ではなかった。

「いまこそ、選手を見るスペシャリストの腕の見せ所。情報はそれぞれの業界内で絶えず回っているはず。大人の“真贋”を見極める力が求められる」

 原石がいずれ輝くかは、石を見分ける目と研磨次第。それは大人の仕事だ。

 そして石川は、悲劇に直面した学生アスリートにも思いを寄せる。

「出たかったインターハイが行われない立場に自分がなったら、ショックで、泣くと思う。選手たちの絶好のアピールの機会もなくなってしまったかもしれない。それでも、見捨てられることはない。学生の皆さんにはこれまでの努力が無駄になってしまったとは捉えてほしくない。仮に受験勉強を一生懸命して、試験が中止になってしまっても、蓄えた知識は無駄にはならないし、人間的な成長がきっとある」

想像通りにならないことばかり。

 間もなく人生の半分近くがプロ生活になる。

 振り返って思うのは、「『ああいう1年を迎えたい』と思っていたことと、実際に自分が来てみた“いま”は違う。必ずズレがある」ということ。良い方にも、悪い方にも、想像していた通りにはならないことばかりだ。

「もっと練習できる時間が、環境があれば……と嘆いても状況はなかなか変わらない。新型コロナウイルスの影響でこうなった世界は前と比べたら異常な状況だけど、『これが普通なんだ、これが日常なんだ』と早く落とし込める人は強い。タフで、負担のかかる選択を強いられているのは本当に気の毒だと思う。けれど、次の一歩をどう踏み出していくかに悩むその反面、その分、必ず強くなれる」

 未曽有の事態で苦境を強いられた彼ら、彼女たちだからこそ知る、これからに活かされる局面も感情もある。石川は10代の瑞々しい感性に訴えかけた。

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文=桂川洋一

photograph by Kyodo News