人類を脅かす新型コロナウイルスは、高校球児から最大の目標を奪い去る。春の選抜に続いて、夏の甲子園も中止が決定した。

 プロ野球はもちろん、甲子園球場よりも長い歴史をもつ。今年の夏は第102回大会のはずだった。ただし、優勝校は延べ99校しかない。足りない2回分は1918年(大正7年)の第4回大会と、1941年(昭和16年)の第27回大会だ。

 第4回は代表校が出そろい、抽選まで済んでいたが、富山県で起こった米騒動が全国に飛び火。選手の安全を保証できないことから、大会直前の8月16日に中止が決まった。

 第27回が中止になったのは、すでに地方大会がスタートしていた7月。軍の移動と軍需物資の輸送を最優先するために、道府県境をまたいでの学徒の移動が禁じられた。これにより、全国規模の大会は開催できなくなった。しかし、防諜面の問題があるとして、こうした決定は詳しく報道されることもほとんどなかったのである。

大会史にない「幻の甲子園」。

 その後も戦時中は中断され、第28回大会が西宮球場で開催されたのは戦後の1946年。つまり大会史に刻まれてはいるが、優勝校が存在しないのが2度。それとは逆に、優勝校が存在するのに大会史から抜け落ちている「幻の甲子園」がある。

 1942年(昭和17年)の夏に「大日本学徒体育振興大会」が開催された。

 主催は文部省(現在は文部科学省)と、その外郭団体の大日本学徒体育振興会。国が主導し、戦意高揚を目的としている。武道など他競技も行われており、イメージとしては戦時色濃厚の高校総体といったところか。奈良県の橿原神宮の外苑運動場で催され、野球の会場は甲子園だった。

試合開始の合図はラッパ。

 地方大会を勝ち抜いたのは北海中(北海高)、仙台一中(仙台一高)、水戸商、京王商(専大付)、松本商(松商学園)、敦賀商(敦賀高)、一宮中(一宮高)、平安中(龍谷大平安)、市岡中(市岡高)、滝川中(滝川高)、海草中(向陽高)、広島商、徳島商、福岡工、大分商、台北工の16校。外地から唯一の出場となった台北工は、相当な危険を伴ったことだろう。ミッドウエー海戦があったのがこの年の6月で、すでに航海の安全は担保できない戦局になっていた。

 整列ではまず皇居の方角に一礼。試合開始や終了は吹奏楽用のラッパ(軍隊用ではない)の音で告げた。理由は「サイレンでは周辺住民が空襲警報と誤認するから」だった。「ストライク」や「ボール」はまだ使えたが、ユニホームのローマ字表記は漢字に変更させられた。スコアボードには「勝って兜の緒を締めよ」「戦い抜かう大東亜戦」など戦意高揚のための横断幕が掲げられた。

 選手ではなく選士。続行不能のけが以外では交代は認められず、投球をよけることも許されなかった。選士に求められたのは敢闘精神と突撃精神だったからだ。

優勝は徳島商。須本憲一と蔦文也。

 幻の優勝校は徳島商。京王商を延長14回、2対1で振り切ると、水戸商を1対0、海草中も1対0と投手戦を制した。下馬評の高かった平安中との決勝戦は一転して打撃戦に。延長11回、8対7で栄冠を手にした。すべて1点差。決勝戦はサヨナラ押し出しという幕切れだった。

 当時の主将兼遊撃手だった須本憲一は、卒業後に明治大へ進み、東急フライヤーズにも在籍した。須本は母校の監督を任されるが、それにより東急のチームメートであり、徳島商の先輩だった蔦文也は、山間部の池田高の監督になる。

 須本監督は板東英二を擁した1958年の第40回大会で準優勝。惜しくも逃した県勢悲願の初優勝を、その24年後の1982年の第64回大会で、蔦率いる池田の「やまびこ打線」が達成する。2人の歩んだ人生を思えば、何とも因縁深い。

甲子園の土を踏んだ誇りと喜び。

 主催の朝日新聞は、大会回数の継続や優勝旗の使用を申し出たそうだが、国は拒絶した。その「大日本学徒体育振興大会」も、戦局がさらに悪化したことからこの1回限りで終わっている。勝利の証である賞状と優勝旗は、終戦間際の徳島空襲で焼失。

 しかし大会史に刻まれることのない「幻の甲子園」の痕跡は、しっかりと残っている。1977年に文部省が新しい賞状と優勝盾を同校に授与。また試合後に審判から渡された優勝記念球(おそらくサヨナラ四球のものか)は、甲子園歴史館に展示されている。

 たとえ歴代優勝校としては扱われなくても、「元選士」は「私たちの時代は特別だった。そういう時代もあったのだと(今の高校生にも)思ってもらえれば、それでいい」と証言している。一方で「甲子園の土を踏んだ誇りと喜びがあった」とも。記録には残らないが、思う存分戦ったという記憶は深く刻まれている。

 第102回の球児たちが勝って得たはずの「誇り」や「喜び」、負けて知る悔しさや涙はどうなるのだろうか。何十年もたった後「そういう時代もあった」と語らせるのは、心が痛む。

文=小西斗真

photograph by Kyodo News