新型コロナウィルス感染拡大の影響で、メジャーリーグもまだ先行きが見えない。今年から「ガルフ・コーストリーグ・ツインズ」の監督として指揮を執っている三好貴士も、キャンプ地のフロリダ州フォートマイヤーズの球団施設に残り、ステイホームの日々を送っている。

 三好はツインズにとって、1901年の創立以来初となる日本人監督だ。MLBマイナーやNPBでのプレー経験がなく、MLB傘下で監督になった初の日本人でもある。

 ルーキーリーグで監督としての第一歩を踏み出すはずだった今シーズン。その出鼻をくじかれた格好になったが、三好はすこぶる元気だ。13時間の時差を超えて、ZOOMから聞こえてくる声にも張りがある。

「けっこう忙しくしてます。平日は毎日、カテゴリーに分かれてのテレミーティングがありますし。球団からは課題が出されます。シーズン中にはできない勉強もしているので、毎日あっという間に過ぎていきます」

あのロッド・カルーと同じグラウンドに立つ。

 ふだんからポジティブを絵に描いたような三好だが、キャンプではそのマインドを高めるエポックな出来事があった。3月の11日間と限られた期間ではあったが、メジャーから招待され、スプリングトレーニングに参加したのだ。

「僕はもともとメジャーだから大きい仕事、という発想はないんです。マイナーでもぶれることなくプライドを持って仕事をしています。ですが、マーウィン・ゴンザレスといった一流選手や、世界でもトップレベルのコーチングスタッフと一緒の時間を過ごせたのは、大きな刺激になりました」

 メジャーの懐の深さにも触れた。11日間を終え、三好はトップのミネソタ・ツインズ監督のロッコ・バルデッリにお礼のメールをした。すると、丁寧な返信が届いたという。

「多忙なメジャーの監督ですからね。返信はしなくていいよ、と書いたんです。それなのに誠実な彼は返信をくれたばかりか、メジャーのスタッフ全員に僕のメールを転送してくれまして……つい忘れがちになるこういう初心やリスペクトの気持ちがチームを強くする、ロッコのメールにはそう添えられてました」

 それにしても、と三好は思う。

「よくここまでたどり着けたなと。(首位打者3度の)トニー・オリーバと(MLB通算3053安打の)ロッド・カルー(ともに巡回コーチ)と同じグラウンドに立てるなんて想像もできなかった。もちろん、まだ道半ばですけどね」

「失敗を恐れて挑戦を怖がっている生徒たちに」

 渡米前の2月上旬――。三好の姿は都内の定時制高校にあった。知人の先生からのたっての願いで講演を引き受けたのだ。

「失敗を恐れて挑戦を怖がっている生徒たちに、僕がたどってきた道のりを話してほしいと頼まれまして。生徒たちのほとんどが、何らかの理由でドロップアウトした経験を持っているのでと」

 三好は、メジャー傘下の監督に就任するまでどんな山々を乗り越えてきたか、熱っぽく語りかけた。自身の苦労話的なことを公の場で伝えるのは初めてだった。

GMからは必要ない、来るなと存在を否定され。

 挑戦が始まったのは31歳の時。2009年のことだ。当時、7球団を渡り歩いたアメリカ独立リーグでの選手生活を終え、日本でサラリーマンをしていた。だが三好には野球に対する不完全燃焼感がずっとくすぶっていた。しかし1球団目から厳しい現実を突きつけられる。MLB通算414本塁打のダレル・エバンスに人間性を評価され、彼が監督を務めるビクトリア・シールズでアシスタントコーチになるも報酬はなし。GMからは必要ない、来るなと毎日、存在を否定された。

 それでも、まったくめげなかった。

「エバンスのもとで野球を学べるチャンスは、たとえ無給でもそうはないですからね。それに31歳で無給という普通は選ばない道を行くのなら、それを自分の強みにしたかったんです」

 三好はチームの雑用を一手に引き受け、やがて600ドルの月給を得る。日本円にして7万円にも満たないが、ようやく「プロ」のコーチとして認められた。

ボイラールームに寝泊まりし続けて直談判!

 2球団目のブロックトン・ロックスでは、MLBで通算22シーズンプレーした監督のビル・バックナーに声をかけられ、1カ月500ドルでアシスタントコーチに採用された。ところが、サポートするはずだった日本人選手が就労ビザを取得できなかった。チームに合流するとバックナーから「日本人選手がいないのに、なんでお前はここにいるんだ」と追い返されてしまう。

 むろん三好は引き下がることなく、ボイラールームで寝泊まりしながら、グラウンドに日参。バックナーは1カ月間、口も利いてくれなかったが、毎日ストーカーのように接近し、質問を浴びせ続けた。すると三好の理解者が現れ、ついにはバックナーも折れた。

道なき道を自分で切り開いてきた三好。

 他にもエピソードには事欠かない。

 3球団目はMLBの2Aレベルに相当する独立リーグのチームと契約したが、球団側に書類の不備があり、就労ビザが却下されることに。入国できないピンチに陥ったが、1200ドル払えば2週間という短期間で審査してもらえると聞き、自力で書類を作成。危機を乗り切った。

「球団が変わるたびにいろいろなことがありました。ですが、何が起きても、諦めようとか、やめようとは1ミリも思わなかったです」

 三好がたどってきた道は、三好の意志によって作られた道だ。途中途中で意志にぶれがあったら、現在地も違ったものになっていただろう。

 MLB球団と契約する道も、誰かから教わったわけではない。はじめは自費でMLBのキャンプ地に行き、球場の入口で履歴書を渡した。どこも受け取ってくれなかったが、あるチームのスタッフから、どこに送ればいいか聞き出す。それを糸口に全30球団の採用情報と担当責任者を調べ上げた。

大事なのは“グリット”と“マインドセット”。

 講演会の終わりに、三好は定時制の生徒たちにこう言った。

「11年間アメリカでやってきて思うのは、人がもともと持っている力にはそんなに差がない、ということです。では、何が差になるかというと、それは“グリット”と“マインドセット”。グリットは止まらないでやり続ける力で、マインドセットは意識づけです」

 グリットを体現してきた三好が、マインドセットの大切さを知ったのは2014年。4球団目になるグランドプレーリー・エアホッグスに在籍していた時だ。三好はある試合で3塁コーチを任された。このリーグで日本人が3塁コーチを任されたのは初めて。日本ではほとんど報道されなかったが、世界の野球からすると画期的なことだった。

「この時からですね。初の日本人監督にならなければ、と思ったのは。監督になる、と公言するようにもなりました」

 果たしてこの翌年、三好はソノマ・ストンパーズで、シーズン途中から監督になる。次の16年シーズンには前期・後期優勝の完全優勝に導き、16、17年と2年連続で最優秀監督賞を受賞した。この実績がMLB球団との契約を勝ち取る上で、大きな武器になったのは間違いない。

 有言実行することで自らをプロモートしてきた三好は、さらなるステージを目指している。

「メジャーの監督になって1000勝することです。そう言うと周りからは笑われますけどね。ハハハ」

 前人未到の山に登る挑戦。その第2章が始まった。

文=上原伸一

photograph by Takashi Miyoshi