猛威を振るう新型コロナウイルスは、スポーツ界にも甚大なダメージを与えている。すでに延期が決定した東京五輪はもとより、プロ野球、Jリーグも開催できない状況だ。あるいは甲子園、インターハイと高校生たちの集大成の場も奪われてしまった。他にもこれからがトップシーズンとなる各種スポーツの開催も、見通しは立っていない。

 すでにシーズンオフとなったウインタースポーツも例外ではない。

 2年後の北京五輪でのメダル獲得が期待されるスノーボードクロスの高原宜希(敷島製パン)は、実家のある福井県でもどかしい日々を過ごしていた。

スノーボードクロスの新星・高原。

 長野五輪が開催された1998年生まれの高原が、両親に誘われてスノーボードを始めたのは5歳の時。すぐにのめり込み、自宅から1時間ほどのところにあるスキー場に、毎週のように通った。中学まではスノーボードだけでなく、野球や空手と様々なスポーツをこなしたが、高校に進学すると、スノーボードに専念することになる。

 スノーボードは大きく3つの種目に分かれる。技の難易度を競い合う採点種目の「フリースタイル」。タイムを争うスピード種目の「アルペン」。そして障害のあるコースで順位を争うレース種目の「クロス」だ。

 当初は「フリースタイル」をやりたかったという高原だったが、福井県にはその環境がなかったことに加え、「採点種目じゃなく、勝ち負けがはっきりしているので自分に合っていると思った」という理由で、16歳の時にスノーボードクロスの道に進むことを選択した。

 その才能は、すぐさま開花することとなる。2015年には17歳にして、JSBA(日本スノーボード協会)アマチュアランキングで1位に輝き、同年にプロ資格を取得。国内プロデビュー戦でも優勝を成し遂げ、スノーボード界の新星として、大きな注目を集めた。

 その後、中京大学に進学した高原は、SAJ(全日本スキー連盟)ナショナルチームにも選出され、2017-2018シーズンには19歳にしてワールドカップに参戦が決定。ところが初戦となる大会の直前に大怪我を負い、そのシーズンを棒に振ることとなってしまう。

大怪我から日本人史上最高の4位。

 それでも実質的にワールドカップのデビューイヤーとなった2018-19シーズン。2月にドイツで行われた大会で、日本人史上最高となる4位に入賞。大怪我から見事に復活を遂げた高原は、大舞台でも物怖じせず、その力を証明してみせたのだ。

 スノーボードクロスの歴史は比較的浅く、日本でもさほどメジャーな種目ではない。そのため海外に比べコースレベルは高くなく、練習環境もいいとは言えない。

 また接触や転倒が頻繁に起きるレース種目のため、体格に勝る欧米選手のほうが有利と言われる。そのなかで決して大柄ではない高原が世界のトップと互角に渡り合ったのは、まさに快挙と言えた。

 そして迎えた2019-20シーズン。ワールドカップでのメダル獲得を目指して臨んだ高原だったが、シーズン当初はなかなか状態が上がらず、決勝の舞台に顔を出すこともままならなかった。それでも年が明け、徐々に調子を取り戻しつつあった。

「結果はいつか出ると思っていた」

 そんな確信を抱いていたなかで訪れた、コロナ禍だった。

派遣取りやめでシーズンが突然終焉。

 ワールドカップ自体は最後まで開催されたが、SAJが日本人選手の派遣を取りやめたことで、高原のシーズンは突如終焉を迎えた。

「大会自体は行われたので、行けないと分かった時は正直ショックでした。ただ、今となっては行かなくて良かったと思っています。残り試合の会場はスイスとスペインだったのですが、ヨーロッパの状況を見れば、賢明な判断だったと思います」

 この春、高原は中京大学を卒業し、3月下旬に東京に拠点を移している。都内にあるナショナルトレーニングセンター(NTC)でフィジカルトレーニングを行うためだ。しかしコロナの影響でNTCも閉鎖。東京にいてもトレーニングはできないと判断し、実家のある福井に帰る決断を下した。

「東京での生活は1週間程度でしたね(笑)。福井に戻るのも悩みましたけど、トレーニングする環境が東京にはなかったので、それを求めるのは不要不急ではないと判断しました。もちろん周りに迷惑はかけてはいけないので、2週間は自宅で待機して、家族以外には会いませんでした」

夏の仕上げ方次第で冬の結果が。

 通常、シーズンオフはリカバリーをしたうえで、次のシーズンに向けてフィジカルを高めていく時期に当たる。とりわけスノーボードクロスはフィジカル面が、大きなウエイトを占める競技だと高原は言う。

「夏の仕上げ方次第で、冬の結果がほとんど決まってしまうほど」

 この時期をいかに過ごすかが、結果を左右する分水嶺となるのだ。

 高原自身、「フィジカル不足」を痛感したシーズンだった。したがって今年のシーズンオフは「体重増加」をテーマに掲げていた。しかし、フィジカル強化を求めようとも、その環境がないのである。今は家の周囲や近くの山を走るなど、有酸素トレーニングこそこなせるものの、当然自宅にはトレーニングマシンなどなく、筋力アップを図ることは思うようにできていないという。

「NTCが使えないのが一番……」

「やっぱり、NTCが使えないことが一番困っていますね。あそこはトレーニングするのに最適の環境ですから。トレーニングパートナーがいないのも苦しいですね。当然コーチもいないので、すべてをひとりでやらなければいけない。今は忍耐力が試されていると感じます。あとは、こういう状況で何ができるのか。考える力も求められていると思います」

 新たなシーズンは、8月から南米で幕を開ける。しかしその開催も現時点では見通しが立っていない。ワールドカップがスタートする12月にはコロナが収束に向かっている可能性は高いとはいえ、それも希望的観測に過ぎない。

 そんななか、高原は何を目指して孤独なトレーニングを続けているのか。 

「直近では来年の3月に世界選手権が中国で開催される予定です。まずはそこで結果を出すことを目標にして、モチベーションを高めています」

 さらに来るべき新シーズンは北京五輪の選考レースもスタートする。前回の平昌五輪は、まだ競技歴が浅く目指せる状況ではなかっただけに、高原にとっては初めての経験だ。
目標とする五輪出場に向けて勝負のシーズンとなるはずだが、思うようなトレーニングをできない状況に、不安は決して小さくない。

W杯4位になったのは1回忘れて。

 それでも、高原は前向きに話す。

「こういう状況ですけど、今やれるトレーニングをしっかりやって、新シーズンに備えたい。ワールドカップが始まったら表彰台に立って、オリンピックの出場を決めたいと思っています」

 フィジカルで劣る高原が世界と伍して戦える理由は、スタートダッシュにある。この武器こそが、目標達成のカギとなる。

「スタートに関しては戦えると思っています。でもスタートだけではトップには立てない。そこからの伸びを求めるには、やっぱりフィジカルが重要。そこを高めていけば、世界のトップに近づけるという感覚はあります」

 ただし、高原は自信を過信とはせず、謙虚に足元を見つめている。そのスタンスの背景には、シーズンを棒に振ったあの大怪我が影響している。

「あの時は、調子に乗っていましたね。初めてのワールドカップだったので、心が浮ついていました。練習中から楽しくなっちゃって、ちょっと気が抜けた瞬間に、足首を折ってしまいました。落ち込みましたし、反省もしました。

 当然ですけど、どんな時でも集中しなければいけない。あの怪我から学びましたよ。調子に乗ってはいけないって。だから、ワールドカップで4位になったことも1回忘れて、初心に返って努力していくだけ。謙虚に、攻めていく。この意識を持ち続けたいですね」

東京に戻る日も決まっていないが。

 本当はアクティブなタイプだ。休みの日は仲間たちと遊びに行くのが楽しみだった。しかし今は実家に留まり、やれる範囲のトレーニングをこなす日々。早寝早起きを心がけ、時間があれば本を読む。実家の食卓に栄養バランスを考えられた食事が並ぶのは助かっている。

 まだ、先は見えていない。東京に戻る日も決まってはいない。それでも限られた環境の中で、ベストを尽くすだけ。新たなシーズンの開幕を願い、そこでの活躍を思い描きながら――。

 未曽有のパンデミックの中、高原の北京五輪へ向けた戦いはすでに始まっている。

文=原山裕平

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