コロナ禍で多くのスポーツが延期や中止されるなか、NumberWebでは、『Sports Graphic Number』の過去の記事のなかから、「こんなときだからこそ読んで欲しい」と思う記事を特別公開します!
 今回は「781号 メンタル・バイブル」(2011年6月23日発売)に掲載された「トゥルシエが見た、日本人のメンタル論」。日韓W杯で日本代表の采配をとり、日本サッカーを大きく変えた彼は、日本人のメンタルを深く観察した指揮官でもあった。

 メンタルというのは、誰かにこうだと与えられるものではない。自分たちの感じる気持ちの強さや弱さ、それがメンタルだ。またメンタルは、周囲の環境と無関係には語れない。

 私が日本代表監督を務めた当時('98〜'02年)から今日までに、日本人のメンタルは大きく変わった。

 なぜ変わったのか?

 それは、日本そのものが変わったからだ。Jリーグ創設を機に、日本サッカーは大きな躍進を遂げた。ピッチの上だけに限らず、日本人はサッカーを取り巻く環境を変え、自分たちの考え方も変えた。強いメンタルも、そこから生まれたものだ。

 協会とリーグ、メディア、サポーターは、サッカーを動かす4つの装置だ。この20年間、彼らは膨大な努力とエネルギーを注ぎ込み、日本サッカーを前進させ、それが今日の基盤となった。

 クラブとリーグの組織化。若年層の育成と指導者の養成。メディアの伝える情報は、質・量ともに向上し、サポーターもサッカーを深く理解するようになった。彼らに支えられて、日本代表も結果を得た。メンタルの進化――それは選手だけでなく、日本人全体が精神的に成熟した――は、この環境の変化・サッカーの進歩と深く結びついている。

南アW杯がターニングポイントだった。

 ターニングポイントは、南アフリカW杯だった。ベスト16という予想外の結果に、すべての日本人が自信を得た。

 皆さんも良く覚えているだろう。大会前は、誰もが憂鬱だったことを。誰も代表を信じてはいなかったし、選手はコンプレックスと恐れを抱いていた。惨敗した日本が、再び暗黒の時代を迎えることも、十分に考えられた。

 そうはならなかったのは、日本が強固な基盤を築いていたからだ。だがそれは、地中に埋もれていて眼には見えなかった。上に建物を構築したときに、はじめてどれだけ優れたものであるか、20年間の努力と方向性が正しかったことに気づいたのだった。

日本だけに特徴的な現象。

 今、すべての世代がその恩恵にあずかっている。選手たちが、自分にもできるということに気づいたからだ。指導者も気持ちを強くした。躍進は劇的だった。五輪代表となでしこはアジア大会に優勝した。A代表はアジアカップを奪回した。選手は次々とヨーロッパに移籍し、ビッグクラブで活躍をはじめた。

 香川や内田、長友、岡崎……。彼らは優れた選手だが、日本では飛びぬけた存在ではなかった。それが海外で成功する。彼らに出来るのだから、自分にも可能性はあると、すべての選手に思わせた。これまでにないモチベーションと野心が、彼らの中に生まれた。

 このサッカー界全体を覆うダイナミズムは、 私が知る限り日本だけに特徴的な現象だ。日本のすべてが、ポジティブなリズムのなかで生きている。それこそがメンタルの正体だ。

1998年の欧州組は中田1人だった。

 他方で、南アで選手たちが見せたメンタルの強さは、ロッカールームのメンタルだ。批判を浴びて孤立した選手たちがロッカールームで気づいたのは、数千万人の日本人の期待を背負いながら、彼らは誰からも信頼されていないという事実だった。それが強い連帯意識を生み、岡田監督のもとでひとつになった。

 彼らは4試合を戦いぬき、南アの地で存在感を示して日本全土を覚醒させた。だがそのメンタルは、ロッカールームから生まれた限定的なもので、強固な基盤から生まれた今日のメンタルと同じではない。

 私の頃は、状況がまったく違っていた。私が初めて来日した'98年当時、ヨーロッパでプレーしていたのは中田英寿ただひとりだった。

 むろん中田は、今日に至るヨーロッパヘの道を切り開いたパイオニアだ。メンタル面でも彼は強かった。ひとりで現地の言葉や文化に適応し、ジャパンマネー獲得のための移籍ではといった偏見とも戦いながら、自らの価値をイタリアで証明した。

中田と本田の共通点と違い。

 しかし中田は同時に特別な存在であり、若者たちは自分が彼のレベルに到達できるとは想像しなかった。彼は日本ですでに成功していたからだ。小野や中村もそこは同じで、日本が誇るスター選手の移籍だった。

 だから中田は扉を開いたが、中田だから出来たのだと、誰もが彼を特別扱いした。そこには日本人のヨーロッパヘのコンプレックスと、中田に対する畏敬の念とがあった。

 本田の場合は違う。本田にも、中田と比較しうるメンタルの強さと個人としての強さがある。だが、彼が日本を旅立ったとき、日本人ですら誰も彼を知らなかった。本田は自分の価値と名声を、ゼロから築かねばならなかった。しかもオランダの2部リーグから。道は険しく、選手としてだけでなく、人間としてもチームメイトから認められなければならなかった。その意味で本田の成功は、中田に比べるとずっとコレクティブなものだ。

 そうであるから本田は、チームの中でコレクティブな役割を演じることができる。中田はグループから尊敬されていたが、グループを率いる能力は彼にはなかった。本田にはそれがある。彼はグループのリーダーたり得る。そこがふたりの大きな違いだ。

本田や香川は「特別」ではない。

 かつて中田や中村に対して抱いた敬意を、今の若者は本田や香川、長谷部らに対して抱かない。彼らはいい意味でごう慢で野心に溢れ、自分も長友になれると本気で思っている。コンプレックスも感じていない。それは対戦相手に対しても同じで、たとえブラジルが相手でも、何ら恐れを抱くことはないだろう。

 そのメンタルは、私が'02年W杯に向けて築きあげたものとは完全に異なる。私はメンタルを、人工的に作りだした。自然のままでは十分ではない。勝つためには、彼らを覚醒させねばならないと感じたからだ。

 私は選手を刺激し、彼らを挑発した。愛国心や代表への忠誠心を喚起し、情熱とエネルギーを発揮するように仕向けた。オープンなコミュニケーションがとれるように、彼らの心理状態を変えていった。

 選手が自分で現実に対応できるように、私は彼らをマネジメントした。そのために、若い彼らを敢えて厳しい状況に放り込んだ。既成の価値や習慣も、同時に壊しながら。

 効果はあった。実際のメンタルはそこまで強くなかったにせよ、強いのだと思い込むことはできたからだ。かりそめのメンタルではあったが選手は鎧として身にまとい、自分に自信を持ったチームを作ることはできた。

トルシエ流とザッケローニ流。

 もちろんそうしたことは、今日でも監督の仕事ではある。しかしザッケローニを見ると、彼はその部分でほとんど何もしていない。選手のメンタル面のエネルギーは、あらかじめ存在しているからだ。ときに過剰を感じ、抑えなければならないこともあるだろう。

 私はメンタルを作りあげ、彼はメンタルをコントロールする。求められるマネジメントが、彼と私では異なる。

 私の時代だったら、彼のやり方では十分ではなかったかもしれない。逆に私のやり方も、今、同じことをしてもうまくいかないだろう。それぞれの時代に、状況に適した真実があるということだ。

 時代は変わった。これから代表に選ばれる選手は、はじめからユニフォームの重さを知っている。ユニフォームに恥じない全力プレーをしなければならないことを、彼らはすでに分かっている。同時に代表のユニフォームを着たときは、何も恐れるものがなく、すべてが可能であるということも。

 つまり代表のメンタリティが、どういうものであるかということを。

(Number781号『トゥルシエが見た、日本人のメンタル論』より)

文=田村修一

photograph by Kazuaki Nishiyama