6月11日、バレーボール男子日本代表のエース、石川祐希がリモート記者会見を行い、来シーズン、イタリア・セリエAのミラノに移籍することを発表した。

 大学生だった2016/17シーズンから5季連続のイタリアでのシーズンとなる。しかし今年の決断は、例年よりも難しく、重いものだった。

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、スポーツにも大きな影を落としている。イタリアは、感染者数、死者数が特に多い国の1つだ。昨シーズン、石川はイタリア北部の街パドヴァでプレーしていたが、2月後半からそのイタリア北部を中心に爆発的に感染が拡大し、リーグは中断。移動制限や外出禁止の措置がとられた。

「感染のリスクがあったので、不安や心配はありました」と石川。

 それでも、リーグ再開や初のプレーオフ進出の可能性が残されていたため、パドヴァにとどまった。しかし再開はかなわず、4月下旬に帰国した。

自分の夢をかなえたい。

 何事もなければ今シーズンも迷いなくイタリアでのプレーを選んでいたが、コロナ禍の中、迷いはあったと明かす。

「イタリアは感染の被害も大きいので、大丈夫なのかな?という心配はもちろんありました。『日本でやったほうが身のためなのかな』と、実際悩みました。やはり体が資本なので、向こうに行って、できなくなったら、本末転倒になってしまうので。日本でやったほうがいいのか、やるべきなのか……。

 正直、今でも、不安や心配は感じています。でもそれ以上に、僕自身の目標を達成したいという思いが強いので、自分の夢をかなえたいという思いで、今回こういう決断をしました」

 石川は、「世界のトッププレーヤーになる」という目標の実現に向けて、走り続けることを選んだ。

石川を惹きつけるセリエA。

「イタリアの上位4チーム、モデナ、チビタノーバ、ペルージャ、トレントでスタメンを張って、優勝する。それがトップ」

 これが、大学生の頃から思い描き、卒業後にプロ選手になってからより明確になった石川の夢だ。

 バレーボールでは、イタリアやポーランドのリーグが最高峰と言われるが、石川にとってイタリア・セリエAは、特に惹きつけられてやまない舞台だ。

「外国人枠も多いので、世界中からいろんなトップ選手が集まってくる。その中でプレーすることで、僕自身、磨かれる。成長するにはもってこいの環境です」

 特に上位の4チームには各国の代表選手が揃い、さながら世界選抜である。その中で日本人選手がレギュラーをつかみ、優勝に導く。誰も達成したことのない、少し前までは誰も想像すらできなかった壮大な野望だが、石川は着実にそこへの階段を上っている。

シエナ、パドヴァ、そしてミラノ。

 石川が最初に見たセリエAのチームは、4強の1つ、モデナだった。中央大学1年生だった2014/15シーズン、短期移籍という形でモデナで約3カ月間過ごした。シーズン途中からの合流ということもあり、ほとんど試合に出場できずに帰国したが、「このチームでいつかはレギュラーとして活躍したい」という欲が生まれた。

 中央大の松永理生監督(当時)に直訴し、2016/17シーズンから再びイタリアへ。今度は試合に出場することを優先し、下位のチームからステップアップしてきた。

 '18/19シーズンに所属したシエナでは全試合に先発出場。昨シーズンのキオエネ・パドヴァでも中心選手としてチームを牽引し、「シエナの時よりも非常に高いパフォーマンスができていた。サーブがよかったし、スパイク、サーブレシーブに関しても前年以上の数字を出せている」と自身も成長を実感していた。

 そのパドヴァは13チーム中7位だった。そして今季移籍したミラノは、4強に次ぐ5位のチーム。着々と目標に近づいている。

「あと2、3年したら上位4つのチームで戦いたいなと思いますし、早ければ来シーズン、声をかけていただけるように、今シーズン戦いたい。今季のパフォーマンスがよければ、一気に、そこに到達できるというふうに考えているので、本当に大事なシーズンになると思っています」

 リモート取材の画面越しにそう語る石川は、いつも通り淡々としているのだが、その内にある、目標へと突き進む並々ならぬ熱情を感じた。

大学3年で「やっぱり海外でやりたい」

 ふと、石川が大学4年生だった時のことを思い出した。

 一度だけ、石川が涙を見せたことがある。中央大学4年の全日本インカレの時のことだ。

 それは、一度は「出ない」と決めた大会だった。

 大学3年の時、イタリアに再挑戦した石川は、今度は試合に出られることを優先して下位チームのラティーナを選んだ。しかしあくまでも大学の試合が優先だったため、大学3年の全日本インカレを終えてラティーナに合流した12月には、すでにレギュラーシーズンの約半分が終わっていた。そこからチームに馴染み、レギュラーを勝ち取るのは容易くない。チャンスをものにしながら徐々に出場機会を増やし、レギュラーをつかんだのはシーズン終盤だった。

「途中からの合流になったのは痛かったなと感じました。もう2回目はない。シーズン途中からの合流だと、もうどのチームも獲ってくれないし、試合に出られないので、次の年はやっぱり最初から、10月のリーグ開幕から行きたいと思いました。大学のチームのこともあるので、もちろん迷いましたけど、最終的に、やっぱり海外でやりたいから」

 ラティーナで熟考した結果、翌年の大学4年時は、大学の秋季リーグや全日本インカレには出場せず、夏場の日本代表の活動が終わればすぐにイタリアに渡ろうと決めた。

「日本にとどまる選手じゃない」

 毎年12月に行われる全日本インカレは、大学日本一を決める、その代の最後の大会であり、特に4年生にとっては4年間の集大成だ。しかも中央大は石川が1年生の時から全日本インカレを3連覇しており、翌年は4連覇がかかっていた。

 その大会に「出ない」と決めた。いちアスリートとしてのキャリアを第一に考えた、ある意味ドライな、“プロ”の決断に見えた。

 大学3年の2月、石川はラティーナから中央大の同級生たちに連絡をとり、思いを伝えた。

 星城高校からチームメイトだった武智洸史(JTサンダーズ)は、「オレたちのことは気にせず、頑張れよ」と答えた。

「祐希は、日本に、大学バレーにとどまる選手じゃないし、次元が違うと思っていたから。それに自分自身、祐希に頼りがちになっていたので、祐希がいない中でもチームを勝たせられるようになるいいチャンスだと思ったんです」と、のちに武智は振り返った。

 他の同級生たちも石川の決断を後押ししてくれた。

溢れ出る涙、内に秘めた熱い情。

 ただ結果的には、大学との話し合いで、全日本インカレの期間だけ帰国して出場することとなった。

 そして迎えた4年の全日本インカレ。4連覇を目指した中央大だったが、準決勝で筑波大にフルセットの激戦の末に敗れ、最終日は3位決定戦に回った。

 その大学最後の試合で、東海大に勝利した直後のコートインタビューの最中、石川は突然、声を詰まらせた。こらえようとするが、込み上げる涙を抑えることができず、顔をくしゃくしゃにしながら、「4年間の最後の試合……チームメイトのために……スタッフのために……戦いました」と絞り出した。

 ドライに見えたプロの決断の裏に、こんなに熱い情を押し込めていたのかと驚かされた。

「感情が入らないようにしてインタビューを始めたんですが、難しかったです。やっぱり監督やチームメイトにすごく迷惑をかけてきたので、そのことを思ったら……」

 仲間や恩師とともに大学最後の1年を戦い抜きたいという思いは強かった。しかしその感情を、世界のトップに駆け上がっていくのだという意志と向上心が上回った。

 石川はいつもひょうひょうと、ことも無げに大きな決断をして、迷いなくまっすぐに突き進んでいるように見える。しかしその裏には実は迷いも情もある。今シーズンの決断の裏にも、葛藤と、それを上回る大きな覚悟があった。そんな石川が、まだ日本人が果たしたことのない夢を実現する日は、きっと遠くない。

文=米虫紀子

photograph by Kiyoshi Sakamoto/AFLO