新型コロナウイルスによって歩みを止めたスポーツ界がどんな道を模索していくのか。短期集中連載「スポーツはどこへ行く」では、現場の声からそれを探ってきた。
一方、その中で第一線を支える無名の人々の葛藤もまたあった。今回はプロ野球が開幕に漕ぎ着けるまでに、野球人とともに希望と絶望の間を往き来した、あるトレーナーの物語――。

 手嶋秀和の「甲子園スポーツトリートメント治療院」は、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場から車で5分とかからないところにある。歩いても10数分の距離である。

その立地は手嶋が野球と共に生きると決めたことの証でもある。

手嶋はプロ野球・阪神タイガースのトレーナーを12年間、務めた。それを辞して独立したのは今年1月のことだ。

人気球団での職をなぜ手放したのか。

理由はプロ野球の最前線にいながら抱えてきたジレンマにあったという。

「痛いところがあると言ってきた選手に、やめておけと言うのは簡単なんです。『この選手は怪我をしています』と監督やコーチに報告すれば、それは球団にとっては良いトレーナーでしょう。ただ、選手はそれによって二軍に落とされ、チャンスを失って、野球人生が終わってしまう場合もある。そういう選手をたくさん見てきました。球団にとって良いトレーナーと、選手にとって良いトレーナーというのはまた別なんです」

止めるべきか。やらせるべきか。

手嶋は組織と個人の狭間で悩んできた。

阪神・島本浩也が育成から成長した姿を見て……。

「本当は二軍と一軍の間にいるような選手も診てあげたいんです。でも、チームとしては毎日試合にでるレギュラーを優先に、1時間、2時間と治療の時間を割いていく事になる。当然ですよね。必然的に、一軍と二軍の境目、もう一歩頑張れば人生変わるというところにいる選手はたとえ診れたとしても10分ほどになってしまう。そうするうちに小さな痛みが大怪我になって潰れていってしまった選手も多いんです」

昨シーズンで言えば、手嶋が胸を熱くしたのはリリーフ左腕・島本浩也が身体のいたるところに痛みを抱えながらも、日々何とかマウンドに立って、1シーズンを投げ続け、オフに年俸3700万円(推定)を勝ち取ったことだ。

球団にとっては特別に大きなことではなかったかもしれないが、育成出身の小柄な左腕にしてみれば人生の大転換点なのだ。

 痛くても投げるしかない。人生ここしかないんだ、という選手をなんとかマウンドに立てる状態にしてやること、なんとかバットを振れる状態にしてやること、それこそがトレーナーの仕事だと手嶋は考えていた。

球団のトレーナーをしていては救えなかった個人を救う手はないか。それを考えた末に、独立開業という道にたどり着いた。

「ただ痛いから治してくれという選手は成功しない」

一方、神奈川の鎌倉学園で甲子園をめざした高校球児でもあった手嶋は、アマチュア選手の力になりたいとも考えていた。

「才能がありながら故障で潰れてしまう選手はいます。しかも何度も何度も同じ怪我をしてくる選手が多いんです。だから特にアマチュアの選手には、痛みを取り除く治療だけではなく、人体の構造としてどういう動作をすれば、故障しなくなるのか。そういうことも一緒に考えながら、アドバイスするようにしています。

 プロもそうですが、ただ、痛いから治してくれと言ってくるだけの選手は絶対に成功できません」

新しい人生の第一歩で、いきなりコロナ禍に。

ベッドが2つ。完全予約制。1対1で個人と向き合う手嶋の治療院には多くの野球人が訪れるようになった。

『きょう今から空いてますか? ちょっと痛みがあるところがあって……』

チーム内では知られたくない故障を抱えたプロ選手が電話してくる。そんな時は、朝6時からでも、夜中の12時からでも対応した。

開業当時、保健所に提出する書類に店舗の営業時間を書く欄があったが、手嶋は困ってしまった。開店も閉店も、あってないようなものだったからだ。だから窓口担当者に相談して、そこには「随時」と記した。

「何時から何時までという仕事ではありませんから。いつでも対応できなければ、個人でやる意味がないんです」

トレーナーとしての手嶋が新しい人生を踏み出した春、そんな時に新型コロナ・ウィルスはやってきた。

まずセンバツ高校野球が中止となった。

プロ野球の開幕も延期となった。

日常から野球を奪われて、戸惑う選手たち。そんな彼らをまず励ましたのは、手嶋の方だった。

「インスタとFacebookに『こんなときだからこそライバルに差をつけよう。これはチャンスなんだ』と、そういうメッセージを発信したんです。そうしたら、呼応してくれる選手が結構いたんです」

選手たちは手嶋のもとへとやってきた。

『まだ夏がありますから。チームがもう1回集合した時に、見違えるようになっていたいんです』

ある強豪高校の選手はそう言った。

プロ野球選手たちもやってきた。

『この期間に身体を治しておきたいんです。今しかやれないことですし、いつ試合が始まるかもわからないですから』

コロナ禍で、無力感にさいなまれ続けた日々。

ただ、そんな希望をのみ込むようにウィルスによる感染は次々と広がっていった。プロ野球界では阪神タイガースが初の感染者を出すことになり、開幕はほとんど白紙の状態になってしまった。

手嶋は、藤浪晋太郎が入団してきた時から、彼の身体に対する意識の高さを知っていただけに「なぜだ」という思いが強かった。ただトレーナーとして何もできることはなく、やるせない思いで事態を見つめているしかなかった。

 そして、ついに夏の甲子園が中止となることが決まった。

「もう絶望ですよ。運命を恨むしかない……。あんなに頑張っていた彼らもさすがに来なくなりました」

手嶋の治療院から球児たちの姿が消えていった。

球団から外出禁止令が出たプロ選手たちもさすがに顔を見せなくなった。

手嶋はただ無力感の中にいた。

球団にいてはできなかったことをやろうと思って、タイガースを飛び出した。

それなのに今、また何もできない自分を直視しなければならない。

全国に緊急事態宣言が発令され、多くの業種に休業要請が出る中、治療院にはそれが出されなかった。

そのことが幸なのか不幸なのかさえ、わからなくなっていた。

甲子園を奪われるという深すぎる絶望を知る男。

ただ、そんな手嶋を無力感のどん底から引き上げたのは、他ならぬ選手たちだった。

しばらくすると、球児が戻ってきたのだ。

『まだ野球は続きますから……』

自分の進路を見据えながら、ひとりでトレーニングを始めている選手がいた。

手嶋もかつて高校球児だった。甲子園を夢見て、最後の夏は神奈川県大会の4回戦で敗れた。

その夢を今は小学生の息子に託している。仕事に少しでも隙間ができれば、近くの公園で子供の野球に付き合っている。

だからわかるのだ。少年時代から、家族の犠牲や協力のもとに目指してきた甲子園を奪われるというのがどんなことか。

その深すぎる絶望から立ち上がり、また白球を手にしようする球児が目の前にいる。その姿に心を打たれた。

「真夜中に走っている選手を見たこともあります」

プロ選手も同じだった。

手嶋が朝、ランニングをしようとまだ人影のない公園へ行くと、どこかで見たことのある顔がボールを投げ、バットを振っていた。

夜の浜辺でひとり走っている者もいた。

「誰もいない、朝の早い時間帯を見計らって、練習している選手を見かけましたよ。真夜中に走っている選手を見たこともあります」

 これまで毎日、甲子園でナイター照明を浴びていた男たちが街の片隅で汗を流していた。

もしかしたら球団から外出禁止を言い渡されている期間だったかもしれない。たとえそうだったとしても彼らを責める気には到底ならなかった。野球を仕事として生きるというのはそういうことなのだと、妙に胸が熱くなった。

いつしか、無力感は消えていた。

『球団から治療だけは行っていいと言われているので……。今からお願いできますか?』

やがてプロ選手から電話がかかってくるようになった。目の覚めるような思いがした。

再び、手嶋の日常が始まった。

プロ野球開幕で、また忙しい日々が帰ってきた。

6月19日。ついにプロ野球が開幕した。手嶋は慌ただしい日々を送っている。

「昼間はアマチュアの選手を診ることが多いですが、プロ野球のスケジュールなんかもチェックして、ああ、この時間に来そうだなと思ったら、そこは『休憩』として空けておくんです。ユニホームを着れば、彼らは体が変わるということを僕は知っています。一旦、始まれば緊張感からどうしても体に張りが出るんです。だから試合の前にはそれを取り除いておきたい。だったら、このぐらいの時間にやってくるだろうなと……」

案の定、手嶋の電話が鳴る。

馴染みのタテジマの選手からだ。

『今から、いけますか?』

読み通りである。

「プロ野球も、タイガースも、いろいろありましたし、この期間に考えることもあったはずです。僕もそうでした。でも……、だからこそ乞うご期待ですよ。僕はそう思っています」

ウィルスによってスポーツは死なない。野球は死なない。

手嶋には今、その実感がある。

文=鈴木忠平

photograph by Hidekazu Tejima