東京都渋谷区の「原宿」といえば、まちがいなく全国的に名の知れた地名である。

 ひと頃は駅前の竹下通りなど、コロナ禍の今では信じられないほどの高密度で、全国から集まった若者(特に中高生たち)で溢れかえっていた。ここに来れば流行の最先端に近づけるとの思いが、若者たちをこの「聖地」に引き寄せたのだろう。

 近年では毎年増加する外国人観光客もこの地域に多く集まり、山手線の原宿駅は少し前まで常にごった返していたものである。その大混雑が2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催時にはさらに激しさを増すことに疑問を抱く人などほとんどいなかったに違いない。

 ついでながら、原宿駅に接続する東京メトロ千代田線・副都心線の駅名も10年前からは「明治神宮前<原宿>」と括弧書きで原宿の名を入れている。

五輪を機に建て替えが現実的に

 オリンピック・パラリンピックを前に現実的になったのが、老朽化していた木造駅舎の建て替えである。耐火基準を満たす必要性もあったそうで、大正時代から親しまれてきた風見鶏のあるハーフティンバーの洋館建築はこの8月末に取り壊しがはじまった。

消えた原宿と消える原宿駅

 今はガラス張りの新顔が鎮座しているが、解体を惜しまれた風見鶏の家の方は、そのうち隣に再建されるという。もっともそんな「剥製」がモダン建築の隣に再現されても、現役として生きてこその駅舎であり、なんとか補修で切り抜けられなかったのだろうかと残念である。

 多くの人を引き寄せ続けている原宿。その地名はますます国際的な注目度を上げているにもかかわらず、東京渋谷区にはそもそも「原宿」という町名は存在しない。原宿駅の現住所は神宮前一丁目であるし、表参道をしばらく下っても同じ神宮前だ。

 実は原宿という地名は、およそ半世紀前の昭和40(1965)年をもって消えたのである。

たしかに「実害」はあった。しかし……

 原宿は戦国時代にはすでに文献に登場するというから、少なくとも500年以上は続いた地名だ。かつて奥州から鎌倉へ通じた鎌倉街道沿いの宿場で、台地上のために「原宿」の名が与えられたというのが由来らしい。それがあっさりと消された理由は、住居表示法(住居表示に関する法律)による町の統廃合の結果だ。

 この法律は、わかりにくい都市部の住所の表示を合理化すべしという長年の議論を背景に成立したもので、昭和37年(1962)5月10日に公布・施行されている。東京オリンピックの2年半前という時期からもわかるように、「オリンピックまでに外国人にもわかりやすい住所を」というスローガンのもとで進められた。

 日本の住所がわかりにくい原因は、そもそも土地の財産番号である地番を住所に「代用」してきたことにある。

 東京都で言えば、都心部よりはむしろ旧東京市15区の外側、かつて郡部であった大田、世田谷、渋谷、豊島、板橋、練馬、足立などのエリアでわかりにくさが顕著であった。巨大都市の急速な膨張のため、農村時代の広大な一筆の土地が無計画に数百に分けられ、都市化に地番整理が追いつかなくなったのである。

 細かいことを言えば、地番の枝番号は土地が分割された順に振っていくという不動産登記法の規定があるため、同じ親番号(番地)であってもたとえば枝番号1の隣が231、その隣が58、そして次が2に戻るといった脈絡のない並びが各所に出現した。必然的に郵便などの配達や救急車の駆けつけに支障を来す「実害」があり、切実な事情があったのは確かである。

 しかしそれがなぜ町名の大規模な統廃合にまで発展したのだろうか。

歴史的地名を次々に破壊した理由

 どうやら「町の境界は道路とする」「丁目は皇居に近い方から振る」「地名の表記は簡明に」「当用漢字の範囲内で」などのさまざまな制約をクリアするのが大変で、いっそ「エイヤッ」とばかりに新しい地名を設定した方が面倒がなくていい、という乱暴な思考に陥ったようである。太平洋戦争が終わって、過去の「封建的な伝統」をすべて悪とみなす風潮もそれを助けたようだ。

 実際に原宿にお住まいだった70代の知人に聞いた話によれば、区役所による説明会などなく、いきなり「何日から神宮前にする」と通知があっただけだという。もし知らないところで説明会があったとしても、通り一遍の儀式に過ぎなかっただろうことは想像がつく。

 住所の表示合理化については旧郵政省や運送会社など実際に配達業務を行うところに加えて、NHKや各新聞社などのメディアも積極的にその推進を訴えた。しかし蓋を開けてみれば、住所をわかりやすくするという目的にしては異様なほど、歴史的地名が破壊されてしまったのである。

オリンピックと歩んだ街、原宿

「住居表示法」の施行を受けてこの原宿も、隣の穏田(おんでん)、竹下町(竹下通りの名に残るが)などとともに、現在の「神宮前」という町名があてがわれた。なるほどその名の通り明治神宮を目指す表参道がまん中を通っているのは確かだが……。

 原宿駅は昭和39(1964)年の東京オリンピックで水泳やバスケットボールのメイン会場となった国立代々木競技場の最寄り駅となった。丹下健三の代表作として知られる建物は今も古びていない。

 第二体育館も含むこの広大な土地は、それ以前はワシントンハイツという名の米軍専用住宅地であった。戦前は日本陸軍の代々木練兵場で、それを戦後に米軍が接収したものである。競技場に加えて選手村として利用するために返還交渉が行われたが、かなりギリギリのスケジュールとなったそうだ。

 ここの住所も今は神南(じんなん)だが、昭和45(1970)年までは神南(かんなみ)町と称した。読みが変わり、その領域も微妙に変化している。昭和7(1932)年の東京市編入より前の同3年以前に遡れば、さらに豊多摩郡渋谷町大字上渋谷の一部と、地名はまったく異なる。

 ついでながら原宿駅が開業した明治39(1906)年当時の駅の所在地(竹下口より少し北側)は、豊多摩郡千駄ヶ谷村大字原宿字石田。近現代と呼ばれる100年少々の間に、いかに目まぐるしく地名が変わったことだろう。

 これでは『武蔵野』を書いてこの近所に暮らした国木田独歩が突然よみがえったとしても、ただ迷うしかない。

文=今尾恵介

photograph by NumberWeb