JFL(J4に相当)昇格を目指し、地域リーグを勝ち抜いたチームを待ち受ける高き壁――。

 それが、全国地域サッカーチャンピオンズリーグである。

 かつては「全国地域サッカーリーグ決勝大会」という名称で、「地決」と略されていたこの大会には全国から12チームが参加。1次ラウンドと決勝ラウンドに分かれ、いずれも週末に3日連続の3連戦をこなす過酷な大会である。

 なぜ、これほどの過密日程が組まれているのか。

 地域リーグでプレーするほとんどの選手は、サッカー以外の仕事で生計を立てている。そのため、週末に集中的に試合をこなす必要があるのだ。

 体力の消耗もさることながら、3日間ずっと心理的プレッシャーを抱えながら、緊張感を保つのは難しい。短期決戦であるため、チームの歯車がひとたび狂えば、修正することも簡単ではない。

 FC今治の岡田武史オーナーの提案により、今治がJFLに昇格した翌年の'18年から決勝ラウンドは水、金、日と中1日の試合間隔になったとはいえ、それでも1次ラウンドの3試合と、決勝ラウンドの3試合を1週間で戦う過酷な日程であることには変わりなく、ピーキングやコンディショニング、戦い方など、独特の対処法が必要となる。

「地決」を勝ち抜いたという経験

 そんな「地決」を勝ち抜いた経験が、岡山一成にはあった。

 その経験が、VONDS市原は喉から手が出るほど、欲しかった。

「VONDSが初めて地決に行った2014年、1次ラウンドで僕がいる奈良クラブと対戦しているんです。奈良クラブが勝って、そのまま地決で優勝してJFLに昇格した。そのとき、僕がチームをまとめている姿を見ていたみたいで」

 一方、VONDS市原はその後、'17年、'19年と全国地域サッカーチャンピオンズリーグに出場しながら、高き壁に跳ね返されてきた。

「地決を知らない監督を連れてくるより、たとえ監督経験がなくても、地決を知っている人に任せるほうがいいんじゃないかということで、僕に託してくれたんです」

「ミラも『ぜひ、やるべきだ』と」

 '19年シーズンの終盤を迎えた頃、岡山は鈴鹿アンリミテッドに許可を取ったうえでVONDS市原と会談の場を持った。そして、自らがどんなサッカーをやりたいのか、熱弁した。

「といっても、難しいことは言ってないです。まず走る。全員で走って、全員で攻めて、全員で守る。ボールを取られたら、取られた人が取り返しに行って、切り替えを速くする。地決はみんなが走れなきゃ、勝てないんですよ。そういう話をした。VONDSサイドの話も聞いて、これはぜひ、やりたいなと」

 指導者として次のステージに向かおうとするコーチを、鈴鹿アンリミテッドは違約金を取ることなく、快く送り出してくれた。

「ミラも『ぜひ、やるべきだ』と言ってくれて。代表の方も『もう1年やってほしいけど、岡山さんがすごく成長して、いつかアンリミに帰ってきてくれる、という思いで送り出します』って」

 こうして市原の地で、“監督・岡山一成”は誕生したのだった。

山岸智もいるが、ほとんどが働きながら

 VONDS市原は、千葉県市原市をホームタウンとする市民クラブである。'16〜18年には、かつて清水エスパルスを率いたゼムノビッチ・ズドラヴコ監督が指揮を執り、川崎フロンターレで活躍したレナチーニョが在籍していたことでも知られる。'20年2月には将来のJリーグ入りを目指す「Jリーグ百年構想クラブ」として認定された。

 現在、チームには29人の選手が在籍しており、そのなかには、ジェフ千葉やサンフレッチェ広島で活躍した山岸智がいる。

 プロ契約の選手も何人かいるが、ほとんどの選手が働きながらサッカーをしており、多くの選手が市原市内の老人介護施設に介護士として従事している。

 大半の選手たちが仕事を持っているため、プレシーズンキャンプを組めなかったが、連日、徹底的に走り込み、ハードなトレーニングで追い込んで開幕に備えていた。

 アクシデントに見舞われたのは、その矢先のことだった。

川崎時代から慕う鬼木監督の意外な言葉

 新型コロナウイルスが蔓延し、4月5日に予定されていた関東1部リーグの開幕戦は延期となり、チームの練習も休止。先の見えない状況に陥ったのだ。

「でも、ここには専用のグラウンドもあるし、僕は練習をやりたかったんですよ」

 勝負の1年が始まるまでに、少しでもコンビネーションを磨き、戦術を浸透させたいと思うのは、新指揮官として自然なことだろう。そこで岡山は、現役時代から慕う川崎フロンターレの鬼木達監督に相談の連絡をした。

「鬼さんなら、僕の気持ちを分かってくれると思ったんです」

 ところが、鬼木から返ってきたのは、岡山の期待とは正反対の言葉だった。

「『昔、オカがフロンターレの選手だったとき、雷が鳴ったら、どうしてた?』って言われて」

 実は岡山が小学生の頃、近くの寝屋川市の小学校で落雷による児童の死亡事故があった。それを知った岡山少年は大きなショックを受け、雷恐怖症となった。そのため、川崎時代、練習中に雷が鳴ると監督の許可なく、一目散に避難していたのだ。

 当時の川崎には練習中に雷が鳴った際の規定がなかったが、岡山の事情を知ったキャプテンの鬼木が石崎信弘監督と話をして、雷が鳴ったら即撤収というルールを作ったのである。

「鬼さんが言うんですよ。『キャプテンとして最初、そこまで考えが及ばなかったけど、オカの話を聞いて、ひとりでも身の危険を感じるやつがいるなら、サッカーをやっている場合じゃないなと思った』って。『監督がやれ、と言ったら選手はやらないといけないんだぞ』と言われて、気づきました。やるべきじゃないなって」

 川崎はかなり早い段階から全体練習を中止していたが、VONDS市原もそれに倣って活動を休止にしたのだった。

待望の初戦で「心臓バクバク」の初勝利

 待ちに待ったリーグ戦の初陣は、7月12日の流通経済大ドラゴンズ龍ケ崎戦だった。押し込まれながらも“岡山VONDS”は虎の子の1点を守り抜き、勝利を挙げた。

「甘くなかったですね。本当に苦しみました。去年、アンリミでドラゴンズと対戦しているから、1点取ったら2点、2点取ったら3点取りにくるチームだということは分かっていた。だから、もし追いつかれたら、逆転される可能性もあった。そこで『もう1点取りに行きたい』という選手もいたんですけど、僕はあえて守り切るほうを取った。ここを1−0で乗り切れるかどうかは、今後モノを言うと思ったので。もう心臓がバクバクでしたよ。最後は5-4-1のベタ守りで、なんとか凌ぎました」

 続くCriacao Shinjuku戦では、さらなる困難が待っていた。

「1週間、介護の仕事を控えてもらいました」

 相手チームに新型コロナウイルス感染者との濃厚接触者が出て、7月19日に予定されていた試合が直前になって8月9日に延期されたのだ。

 Jリーグのプロクラブなら、新たに定められた試合日に向けてトレーニングをするだけだが、アマチュアリーグではそう簡単にはいかない。有給休暇を取り直し、勤務スケジュールを調整し直さなければならないからだ。

 しかも、VONDS市原の場合、介護施設で働いている選手が多いのだ。もし、選手が新型コロナウイルスに感染し、自覚症状のないままに、高齢者と接触し続けたら……。

「だから8月9日の試合を終えたあと、出場した選手たちは念のために1週間、介護の仕事を控えてもらいました。職場を休むにあたっては、自分たちが勝ち取った有給休暇を消化しなければならない。今回は試合前に分かったからまだいいんですけど、試合後に濃厚接触者がいたことが判明したら……。だから、うちもリーグと連係を取りながら、情報をしっかり共有していきたいと思います」

2戦連続で1−0勝利も「まだまだですわ」

 迎えたCriacao Shinjuku戦。元浦和レッズのGK岩舘直や元徳島ヴォルティスのDF井筒陸也を擁する相手に対し、10番を背負う野田卓宏を中心にしたパスワークでVONDS市原は攻め込んでいった。

 スコアが動くのは後半4分、かつて大分トリニータに在籍した11番の野上拓哉が右サイドからカットインして鮮やかなミドルシュートを突き刺した。その後も初戦の反省からか、攻撃の手を緩めず、押し込んでいく。

 ゲーム終盤、立て続けにCKを取られ、相手はGK岩舘まで攻撃参加させてきたが、なんとか凌いで2試合続けて1−0の勝利を飾った。

 試合後、夕日が差すピッチ上で円になってストレッチをしている選手たちに声を掛けて回った岡山監督は、ベンチの裏までやって来ると、嬉しさと悔しさがない混ぜになったような笑顔を見せた。

「いやあ、2点目を取れるチャンスはあったんですけどねえ。まだまだですわ」

 近くに、途中出場だった9番の池田晃太を見つけると、彼を呼んでこう紹介した。

「今回はサブだったけど、イケはスタメンで出る力がある。ただ、『今はいろいろな戦い方を試しておきたいから、我慢してくれ』と話してるんです」

関さん、手倉森さん、鬼さんのように

 その後、VONDS市原は、日立ビルシステム、ジョイフル本田つくばFC、流通経済大FCにも勝利し、開幕5連勝とスタートダッシュに成功した。9月12日に行われた2位の栃木シティフットボールクラブとの首位攻防もスコアレスドローで乗り切り、関東1部リーグの首位を快走している。

「選手時代、いくつかのクラブで自分はJ1昇格に関われた。浦項でもACL優勝に貢献できたってすごく感じたんですよ。だから、指導者でも“成し遂げた”っていう想いを味わいたい。今はこのチームで、JFL昇格を成し遂げたいですね。自分は選手としては日本代表になれなかったけど、指導者って夢があるじゃないですか。ほら、関さん(関塚隆)とか、手倉森(誠)さんとか」

 岡山がいたずらっこのような笑みをこちらに向けた。

 岡山には、'04年の川崎で監督1年目の関塚と、'08年のベガルタ仙台で同じく監督1年目の手倉森と一緒に仕事をした経験がある。

「当時、おふたりがのちに五輪代表監督になるなんて、思いもしなかった(笑)。おふたりとも現役時代、日本代表じゃないですよね? 鬼さんもそう。日本代表とは縁遠かったけど、フロンターレにタイトルをいくつももたらした。だから、俺もいつか鬼さんのように。打倒鬼木です(笑)。いつか五輪代表監督の候補に僕と鬼さんの名前が挙がったら……。そんなことを言うと、鬼さんは『俺は今、フロンターレのことしか考えてないよ』って。鬼さんは優しいんで、『オカ、頑張れよ』とも言ってくれる。今は笑い話ですけど、このチームをJFLに昇格させるところから登っていきたいっすね」

「JFL、J3、J2、J1と昇格していって」

 岡山が今、思い浮かべて胸を熱くするのは、こんなシーンだ。現役時代に熱い声援を送ってもらったスタジアムに、対戦チームの監督として凱旋する自分の姿――。

「JFL、J3、J2、J1と昇格していって、古巣と対戦したいんですよ。さらにACLに出場して浦項とも対戦したい。選手時代、いろいろなカテゴリーを経験した強みを生かせると思います。もちろん、古巣の監督を任せてもらえたら、最高っすね。とにかく選手として経験したことを、監督として経験したいんです」

 ちなみに、岡山監督は「難しいことは一切してないんですよ。戦術うんぬんというより、まず『走れ』って」と話していたが、いやいやどうして。Criacao Shinjuku戦でのVONDS市原はボールを動かしながら相手を揺さぶり、見応えのあるサッカーを展開していた。少なくとも、走力にモノを言わせるようなサッカーではなかった。

(関連記事より前編「Jを沸かせた“岡山劇場”の岡山一成は今何を? スペイン人女性監督からの指摘と絆、指導者のリアル」もぜひご覧ください)

文=飯尾篤史

photograph by Atsushi Iio