名門・前橋育英高校の「背番号14」――。

 9月18日、伝統ある番号を引き継ぐ櫻井辰徳が、来季からヴィッセル神戸へ加入することを発表した。

「本当に14番は重い。昨年、背番号が『14』に変わっただけで、周りの目がガラッと変わりました。正直、そのプレッシャーが凄すぎて、押しつぶされそうになる時もありましたね」

「14番」の歴史を振り返ると、名ボランチとして鳴らした山口素弘(1986年度卒業)まで遡る。日本代表としてW杯フランス大会にボランチとして出場。日本サッカー界の新たな幕開けを彩った山口は、黄色と黒の“タイガーユニフォーム”の14番を背負い、高校サッカーでも輝きを放っていた。

山田監督の14番を背負った男たち……

 もともと、この番号は前橋育英を全国トップレベルの強豪に仕立てた山田耕介監督が、自身の高校時代に背負っていたもの。監督に就任以降、チームの核を担う選手に14番を与えてきた。

 山口を輩出した8年後には故・松田直樹(1994年度卒業)が引き継いだ。攻守の要としてボランチやCBとして活躍すると、先輩に次いで同校OBで2人目となるW杯出場(2002年日韓大会)を果たしている。

 それ以降も、しっかりとその系譜は受け継がれ、「前橋育英の14番」から多くのプロ選手が巣立っていった。青木拓矢(浦和)、小島秀仁(千葉)、鈴木徳真(徳島)など、その大半がボランチの選手。高校サッカー選手権初優勝を達成した3年前の14番・田部井涼は、現在は法政大3年でプロ注目のボランチに成長。2年前は秋山裕紀(沼津)がJリーガーとなっている。

 神戸入りを決めた櫻井のメインポジションもボランチ。右利きだが、両足のキックの精度が高く、正確なファーストタッチとプレー選択の早さが売り。展開力にも定評があり、縦パスで攻撃のスイッチを入れられる選手だ。

櫻井の魅力は「学ぶ姿勢」

 何より魅力なのは櫻井の人間性である。

 決して目立つことを好むタイプではないが、しっかりと人や物事を観察し、見習うべきところを抽出して、有益な学びを引き出す。これまで多くの中高生と接してきたが、大成する選手はこの姿勢を必ず持ち合わせている。プロサッカー選手としてキャリアを積み上げるうえで欠かせない重要な要素なのだ。

 新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、将来への不安と進路に悩みにぶち当たった櫻井だったが、神戸入りを決める過程でその力は大いに役立っていた。

憧れの14番、2年生で背負うも……

 櫻井にとって昨年の1年間は「14番」の重責と戦うシーズンだった。

 前橋育英が選手権で準優勝した試合を見ていたのが、小学校6年生のとき。その舞台はずっと憧れの場所だった。

「準決勝の流通経済大柏戦で0−1の試合終了間際に、徳真さんが起死回生の同点ゴールを挙げて、PK戦の末に勝ったんです。その姿を見て、前橋育英の14番はチームを救える選手だと思いましたし、そうなりたいと思ったんです」

 憧れは現実のものとなる。前橋育英の門をたたいた櫻井は成長を続け、高校2年生ながら14番を託される存在にまで上り詰めた。

 しかし、その年のインターハイは初戦敗退。選手権では直前の練習試合での怪我が悪化し、初戦はベンチ外。チームは神村学園の前にPK負けを喫したことで、出場は叶わなかった。櫻井はベンチの裏のメインスタンドのコンコースから戦況をただ見つめることしか出来ず、ジャージ姿のまま涙を流した。

悔しい経験が飛躍のきっかけとなった

「先輩たちは逆に励ましてくれました。でも、1学年下だとはいえ、14番がピッチにいない時点で僕は『チームに迷惑をかけた』としか思っていません。14番をつけている以上はピッチに立って、チームを勝たせないといけない。なのに、インターハイでは結果を残せず、選手権はピッチにすら立てなかった。僕は徳真さんや14番の偉大な先輩たちのようにチームを勝たせられる14番ではありません。しばらくこの敗戦を引きずってしまいました」

 この経験は櫻井のプレーの精度をグッと引き上げた。9月4日のプリンスリーグ関東開幕戦の矢板中央戦では、密集地帯でも浮き球やスピードあるボールをワンタッチで正確にコントロールして、しっかりと相手を引きつけてから配球。スルーパスやクサビのパスは目を見張るものだった。

週1回のサッカーノート、先輩の言葉

 ただ、ここまで大きく成長させたのは、昨年の悔しい経験だけではない。中学時代から両足から繰り出す展開力には自信を持っていたが、高1の夏にもらったある2人の言葉が櫻井の意識を大きく変化させている。

 週1回提出するサッカーノート。コーチや山田監督が目を通して返却されるのだが、ある日のノートに山田監督から「両足のキックはいいから、それをもっと出そう。しっかりとやっていれば必ず結果がついてくるから頑張ろう」とメッセージが添えられていた。

「びっくりしました。もともと両足のキックは自分の武器ではあったのですが、もっと自信を持っていいんだ、ここを磨けば育英で戦えるんだという監督の評価が、僕の武器になることを確信させてくれました」

 自信をつけた櫻井は、当時、“雲の上の存在”だった先輩・秋山に思い切って質問をぶつけてみた。

「ボランチとして、どういうことを意識していますか?」

 すると秋山は笑顔でこう答える。

「相手を食いつかせたり、意図的に動かしてから縦パスを入れることを考えているよ。タツはキックがうまいんだから、もっと相手を見てそれを生かした方がいいよ」

2人の助言で世代別代表に、そこでも衝撃が

 2人からしっかりと“学び”を受けた櫻井は「そこから相手との駆け引きを相当意識するようになった」。昨年8月には年代別日本代表に初選出。そのU-17日本代表候補合宿は直前にU-17W杯ブラジル大会を控えた重要な合宿だった。

 結果として落選となったが、櫻井はそこでもしっかりと“学び”を吸収する。合宿でボランチコンビを組んだ成岡輝瑠(清水ユース)に大きな衝撃を受けたのだ。

「代表常連の輝瑠にとって、初選出の僕がどんな特徴や考えを持っているかなんて分からなかったと思うんです。にも関わらず、まるでずっと昔から知っているかのように僕の良さを引き出してくれたんです。『キックを出したいなら、ボールサイドだけではなく、もっと周りを見たほうがいいよ』とアドバイスをくれたり、『大丈夫、上手くやれるよ』と励ましてくれた。だから僕は思い切って自分を出すことができた。尊敬できる選手だと思ったし、同時に『この選手を超えないと僕は上で戦えないな』と勝手にライバル視をするようになりました」

驚いたイニエスタのスルーパス

 今年3月には神戸から練習参加の打診を受け、5日間参加した。櫻井はそこでも“学び”を得る。

「プレースピード、ボールスピードが全然違った。イニエスタ、サンペールという世界的な選手や、山口蛍さん、酒井高徳さん、古橋亨梧さんという日本でもトップクラスの選手たちがしのぎを削っていて、もう圧倒されました。特にイニエスタは同じポジションで、体の入れ方、ドリブルの緩急、そして見ている場所が全然違って驚きの連続でしたね」

 練習参加の最終日に行われたJ2ファジアーノ岡山との練習試合。ベンチスタートの櫻井はピッチ上のイニエスタを注視していた。ハーフライン手前。相手ゴールに対して背を向けてたまま、バックステップを踏みながら斜めのパスをもらおうとしたイニエスタに、岡山の選手は背後から猛然とプレスをかけた。その瞬間、イニエスタはその姿勢のままワンタッチで30m先の裏のスペースに走り出した古橋へスルーパスを通した。

「あの体勢でいつあそこを見て、なぜそのタイミングで正確に出せるの?と。これが世界トップレベルかと、本物を見た気がしました。イニエスタと自分を比べること自体、おこがましいことですが、僕が目指すものはここにあると思ったんです。

 紅白戦では10分程度ですが、イニエスタとコンビを組むことができました。隣に並んだ時、立っているだけでちょっと意識が変わりました。

 外から試合を見ていても佇まいすらも違うんです。それほどに違いが出せる選手になることができれば、チームを勝利に導ける存在になれると思うんです」

自粛期間を奮い立たせてくれたもの

 練習試合のあと、トルステン・フィンク監督と三浦淳寛スポーツディレクターから「スルーパス、ポジショニング、味方を生かすプレーは良かった」と褒められ、その場で再度、練習参加の要請を受けた。

「次の練習参加で絶対に内定を勝ち取ってやる」

 そう意気込んでいる矢先に新型コロナウイルスが襲ってきた。すべてのJクラブにとっても、有望選手の練習参加を要請できない状況に陥り、スカウト陣たちが新人選手を見極める高校、大学サッカーの場も奪われた。櫻井自身もプリンスリーグの延期、インターハイの中止など公式戦の機会がなくなり、自粛生活を強いられた。

「同級生が続々と進路を決めていく中で、僕はもう一度、練習参加しないと決まらない。その1回がいつになるかも分からない。どうやって決めればいいんだと不安な日々が続きました。先が見えない恐怖が一番大きかったです」

 そんな中、櫻井を奮い立たせてくれたのが、先輩・秋山と清水エスパルスでプレーするDF金井貢史の存在だったという。

 秋山は先輩として「必ず誰かが見てくれているから頑張れ」と常に気にかけてくれた。以前から交流があった金井からは「目指すところは変わらないから、自分の目標としているところにどうすればいけるかを考えて、それに見合った行動をすれば、必ず目標は達成できる」と言葉をかけられ、ともに今も大切に櫻井の胸に刻まれている。

「『これで自主トレを頑張れ』と、金井さんが心拍数を測るアップルウォッチを送ってもらいました。自主トレの度にそれを見て『頑張らないといけない』と奮い立っています。本当に裕紀さん、金井さんには感謝しかありません」

即答した神戸からのオファー

 信じて前に進み続ける。自粛期間が明けた6月、山田監督との面談で驚きの事実を耳にする。

「(神戸とは違う)他のJ1とJ2のクラブが辰徳の獲得を検討しているぞ」

 驚きと共に、公式戦でプレーしていない自分を評価してくれたことへの感謝の念が湧いた。

「関心を示していただいているクラブの試合をきっちりと観るようになりました。どのクラブも自分が成長できるのは間違いないと思いました。でも、やっぱりあの練習参加の印象が強かった。イニエスタと同じチームでプレーできる機会なんてもうないし、こんなチャンスを自分から手放すのは、違うのではないかと思ったんです。山口さん、高徳さん、練習参加の時にお世話になった郷家(友太)さん、本当に偉大な選手たちの存在が『ヴィッセルでプレーしたい』という気持ちをどんどん強くさせていきました」

 8月中旬、静岡遠征で櫻井は静岡学園、市立船橋を相手に存在感を示すと、その遠征期間中に神戸から正式オファーが届いた。

「もう即答でした」

 神戸のオファーを快諾し、18日に内定発表を迎えた。

身近で見て、盗んで、聞いて、学んで

「神戸は選手層が厚い。世界的な選手もそろっていて、1年目から出場するのは難しいことは分かっています。サッカー選手は試合に出てナンボという意見は多くあると思うのですが、僕の中では将来的には海外でプレーしたいという目標と、サッカー人生を長く深くしたいという目標があるので、世界的な選手、日本のトップの選手と一緒に過ごし、練習することでも絶対に成長できると思うんです。どんな環境でも、受け止め方や自分の考え方次第でプラスにすることができる。ヴィッセルというクラブで自覚と責任と意欲をもって取り組めば、その目標も現実的なものになるのではないかと思っています。

 身近で見て、盗んで、聞いて、学んで、感じることにデメリットなんて1つもない。もう1秒たりとも無駄にできないと思っています」

 葛藤を繰り返しながら、他者からの気づきと学びを得続けてきたからこそ、手にしたものがある。長いサッカー人生、彼にとって学び続ける姿勢はこれからも一切変わらないだろう。

 切り開かれた将来を目の前にして、彼は最後に伝統の14番を引き継ぎし者としての自覚を口にした。

「僕が小6の時に見た徳真さんのように堂々と、大舞台で結果を出せる14番になれていない。歴代の先輩たちに対して、『プロになれたからOK』と思わずに、責任を持ちながら、残りの高校生活を過ごしたい。そして次の後輩に引き継ぎたい。まだまだこれからです」

文=安藤隆人

photograph by Takahito Ando