言葉は悪いが「やりたい放題」である。

 巨人は元木大介ヘッドコーチが虫垂炎で入院したことを受け、9月16日の阪神戦から急遽、阿部慎之助二軍監督を一軍のヘッドコーチ代行に引き上げ、村田修一・二軍野手総合コーチを二軍監督代行とする臨時の配置転換を行った。

 元木ヘッドの病欠による異例の人事だった。

 ことの経緯はこうだった。

 16日の朝に元木ヘッドが腹痛を訴え、病院で検査の結果、虫垂炎であることが判明。医師の判断により入院して手術をすることになった。この経緯が原辰徳監督に報告されたのが、午後1時半過ぎ。そこで原監督が阿部二軍監督のヘッド代行を即決した。

通常なら代行を置くとすれば一軍スタッフの中から

「今日(東京ドームに)来てから、トレーナーと(元木)ヘッドが来て『ちょっとこういう訳で手術する』ということで、よし分かった、と。一つ体の方を大事に、ということでそこからですね。13時半くらいじゃないでしょうか。それで二軍の監督代行に関しては村田に任せるということで」

 これで急遽、この日神奈川・平塚球場でナイターのDeNA戦を予定していた阿部二軍監督が東京ドームに呼ばれることになったのだという。

 ヘッドコーチが病気で、ある期間ベンチに入れなくなった訳だが、通常なら代行を置くとすれば一軍スタッフの中からそれ相応な人物が選ばれるのが対処法だ。

 今の一軍スタッフを見回せば吉村禎章作戦コーチという打ってつけの人物もいる。それで十分のはずだろう。またあえてヘッドコーチの代行は置かずに、元木コーチが欠けたままで何試合かを消化するという考えもあるだろう。

 しかしわざわざ二軍監督を呼び寄せ、一軍のヘッドコーチ代行に据える。そこにはそれなりの意図があり、何らかの思惑がなければありえない配転であることは間違いない。

「その風景を見る心境はその時々で随分と変わっていく」

「最善策だって。最善策ということですよ」

 試合後にその点を問われた原監督はこう話すのみで、多くを語ろうとはしなかった。

 それでももちろん自分の後継候補の筆頭にいるのが阿部二軍監督であることは周知の事実である。これを機会に指導者として経験を積ませるチャンスとして、呼び寄せたことは明白だった。

 阿部二軍監督にしてみれば、つい昨年までは現役選手として見てきた東京ドームの一塁ベンチからのグラウンド風景のはずだ。

「人が人生や仕事で見る風景は変わることはないけれど、その風景を見る心境はその時々で随分と変わっていくものなんだよね」

“内野5人シフト”を敢行した采配を振り返った

 原監督がこんな風に、立場、経験による世界観の変化を語ったことがある。

 阿部二軍監督本人は昨年は「半分はコーチの気持ちでベンチから試合を見ていた」(阿部)と語っていた。二軍監督となった今季もファームの試合で東京ドームの一塁ベンチから指揮を執った経験もある。それでも一軍の指導者として、ベンチから見る東京ドームのグラウンドの風景はこれが初めてのはずだった。

 そういう経験をすることの意味。

 同じ「景色」という言葉を使って、原監督がその意味を説明したことがある。

 2度目の監督時代の2014年7月11日の阪神戦でレフトの亀井善行外野手を内野に移動させて“内野5人シフト”を敢行した采配を振り返った時だった。

「実際にそういうシチュエーションで守ってみることで、選手が次に違ってくる。例えば(阿部)慎之助(捕手)はどういうリードが必要なのかとか、経験できて考える材料が増えるはずです。守っている選手たちも、一度、やってみることで本番で見えてくる『景色』が変わるはずなんだ。そういう経験を積ませるチャンスだと思った」

必ず本当に勝負のときに役に立つ

 阿部二軍監督にとってみれば、これまでも散々、見てきた景色が一軍の首脳陣として、ヘッドコーチ代行として見たときに、どう映るのか。一度、それを経験することの大事さ。そこで見た景色は、必ず本当に勝負のときに役に立つ。

 そんな思いで即決した配転だったのである。

 もちろん阿部二軍監督にしても監督に就任して、実戦を通して“阿部流”の動きは身につけてきたはずだ。

 ただ、二軍は育成ありきの勝負の世界。一軍のベンチでは、勝負にかかる比重が比較にならないほど高くなる。それだけにこれまで二軍では経験したことのないような、1球毎に変わる目まぐるしい作戦の組み立て直しや選手起用の変更など、指導者としての視野を広げる機会にも繋がったはずだ。

その機を伺っていたからこそ、即断即決できた

 ヘッドコーチ代行初日の阪神戦では一塁を守っていた亀井の守備交代のタイミングが遅れるなど、不慣れが見える場面もあった。

「僕もあの目線で一軍の試合を指導者として見るのは初めて。凄く色々なことを考えないといけないなと思いながら、ずっと試合を見ていましたけど。あの目線からだと難しい部分は感じますし、元木ヘッドが戻るまで、足を引っ張ることがないようにやれればいいし、できることはやっていきたい」

 そういうことを指導者の立場でできるだけ早く経験することで、二軍に戻ったときにも、またベンチワークの幅を広げるきっかけにもなる。だからこそできるだけ早く一度は一軍のベンチからの景色を見せたい。変わらぬ景色を見たとしても、見えてくる景色は確実に変わってくるはずなのである。

 原監督はその機を伺っていたからこそ、即断即決で配転を決意できたことだった。

“阿部チルドレン”がグラウンドを駆け回った

 坂本勇人内野手と岡本和真内野手を2人の主力選手を欠いた阿部ヘッドデビューの阪神戦。それでも右下手投げの青柳晃洋投手の先発に対して、若手主体で球団史上初となるオール左打者で組んだ打線が爆発。開幕から二軍で鍛えられてきた田中俊太内野手や立岡宗一郎外野手らの“阿部チルドレン”がグラウンドを駆け回ってヘッド代行の初陣を白星で飾った。

「勝つことが最大の目的であり、それが私が監督になった最大の役割。でももう1つ、今度はやならければならないと思っていることがある。それは後継者の育成です」

 一昨年のオフに3度目の監督就任が決まった直後の原監督の誓いだった。

 その2つの目標を一軍の舞台で両立させてしまう。

 ペナントレース独走の原巨人は、まさに「やりたい放題」である。

文=鷲田康

photograph by KYODO