今年初めてほっともっとフィールド神戸で開催された9月15日の試合で、観客を沸かせたのは、オリックスの大下誠一郎だった。

 前日に育成契約から支配下登録されたばかりのルーキーは、即一軍登録されると、8番・三塁でスタメン出場した。

 まず目を引いたのは3桁の背番号だ。15日からの3連戦は「THANKS KOBE〜がんばろうKOBE 25th〜」を掲げた試合で、選手たちは1995年当時のオリックス・ブルーウェーブの復刻ユニフォームを着用した。大下は支配下登録に伴い、背番号が「006」から「40」に変わったが、復刻ユニフォームが間に合わなかったため、山岡洋之打撃投手の「102」のユニフォームを着用してプレーした。

 そして2回裏、1−1の同点に追いついた直後の1死一、三塁の場面で、初打席が回ってきた。「気合が入るし、自分らしい。ファンの人たちも喜んでくれると思った」という登場曲、嶋大輔の「男の勲章」が流れると球場が沸き、「何かやってくれるのでは」という期待感が広がった。

初打席初本塁打に、中嶋監督代行も「まさか」

 171㎝、89kgのがっしりした体格で、ルーキーとは思えない貫禄たっぷりの風貌だが、実は緊張しやすいたち。初打席は「足震えてました」と苦笑する。それでも、しっかりとボールを見極め、フルカウントからのストレートをフルスイング。低い弾道で伸びていったライナーは、レフトスタンドに突き刺さり、値千金の3点本塁打となった。

 興奮の渦の中、全力疾走していた大下は、二塁手前で本塁打と気づいて速度をゆるめ、笑顔でダイヤモンドを回った。チームメイトのハイタッチに迎えられ、腕や体を揺らして喜びを表現した。

 育成ドラフトで入団した選手の初打席初本塁打は、プロ野球史上初。“持っている男”が、最下位チームとは思えない明るい雰囲気と、快勝を運んできた。

 大下を抜擢した中嶋聡監督代行は、「元気と、積極的なバッティングが一番欲しいところだった。大下のあの元気でチームを乗せてほしいなと思っていたけど、まさか、あんな大仕事をして、乗せてくれるとは」と笑った。

「入ったっち、思わんかったんですけど」

 “初”づくしのこの日の最後は、初のお立ち台。本塁打をこう振り返った。

「打球が低すぎて、入ったっち、思わんかったんですけど、一塁ベース回ったぐらいで、ファンの方々の声援が聞こえて、入ったと思いました。素直にうれしいですし、もっともっと頑張らないけんなっちゅうふうに思いました」

 愛嬌たっぷりの北九州弁で、また観客を喜ばせた。

 高校からは生まれ育った北九州市を離れて、栃木県の白鴎大足利高、白鴎大へと進んだが、周りの影響を受けることなく北九州弁を貫いてきた。

 ホームランボールをどうするか聞かれると、迷わず「親父に渡したいと思います」と答えた。

「親父も毎日病気で頑張ってるんで、自分が支えてやろうと思って、毎日野球やってるんで、親父のためにもこれからも頑張りたいと思います」

 父の一雅さんは、野球に打ち込む大下を全力で応援してくれた。

父のためにも勝ち取りたかった支配下登録

 建設業で働いていた一雅さんは、大下が小学3年生の時、家の隣を工事して練習場を作ってくれた。打撃マシンを購入し、ネットも設置した、まさに大下のためだけのバッティングセンター。そこで毎日夜遅く、自分が納得のいくまで打ちまくった。

 大下が高校3年生の時、一雅さんは脳内出血で倒れ、今も車椅子での生活を送る。そのことを機に、大下は家族を支えるためにプロ野球選手になろうと決意した。

 昨秋、育成ドラフト6巡目でオリックスに指名された。育成契約でも、「入ってしまえば一緒。ここから自分が頑張れば、上がれる」と迷うことはなかった。

 その決意の通り、1年目の途中で支配下登録を勝ち取り、「親父の病気のこともあるので、何としても、1日も早く支配下になりたかったんで、よかったです」と語っていた。そして初打席で本塁打という快挙だ。

 試合後、一雅さんに電話して喜びを分かち合った。

「ほんとによかったなー。これからが勝負やけん、頑張れ」と背中を押された。

グラウンドに響き渡る大下の声

 大下といえば“声”だ。2月のキャンプ取材に行った時、グラウンドに絶えず響いている大きな声の主を探すと、それが大下だった。

 今回のほっともっと神戸での3連戦でも、自分の打席が終わってベンチに戻るとすぐに、中嶋監督代行に一番近い、最前列の一番端に座って声を出し始める。守備の際も投手に頻繁に声をかけていた。

 実は、ここまで声を出すようになったのはプロに入ってからだと言う。

「人一倍声出して、目立とうと思って。それにオリックスはどちらかというと静かな人が多いんで、自分が声を出して盛り上げようと」

 その狙いは成功。声と元気が、大下を唯一無二の存在にした。

小谷野コーチから伝授された駆け引き

 もちろん声だけではない。打撃でも、プロ入り後は、「相手のピッチャーが嫌がることができるように」と意識してきた。それは、現役時代にその道の達人だった小谷野栄一二軍野手総合コーチから伝授されたものだ。

「ファームにいる時に、栄一さんに、『ピッチャーが嫌がることを考えろ』と常に言われていました。ただやみくもに行くんじゃなくて、しっかり頭を使うようにって。ここではこれを投げてくるやろうなとか、ここでこういう球を打ったらピッチャー嫌がるやろうなとか、いろんな駆け引きを教えてもらいましたし、とにかく追い込まれたら粘る、バットに当てる、ということを意識してやってきました」

 練習量も人一倍。キャンプでは一番最後まで残って打ち込み、シーズンが始まってからはオフを返上して練習することも。それでも、「自分としては努力と思ってなくて。好きな野球をやってるんで、当たり前のことかなと思います」と言ってのける。

“新品”のユニフォームも泥だらけに

 17日の試合では、4回裏に、追い込まれながらも楽天の先発・松井裕樹のストレートに食らいついて粘り、最後はフォークをライト線に運んだ。二塁ベースに頭から滑り込み、でき上がったばかりの背番号「40」のユニフォームを泥だらけにすると、また球場が沸いた。

 いつでも、気持ちいいほど全力で、だから大下の一挙手一投足に見る者は惹きつけられる。この日は4−5で敗れたが、球場をあとにするファンの記憶には、大下の必死な姿が刻まれたのではないだろうか。これこそが、プロの仕事。支配下になったばかりのルーキーが、そう教えてくれている。

文=米虫紀子

photograph by Kyodo News