累計発行部数4000万部超えのヒットを記録した『ハイキュー!!』が2020年7月、惜しまれつつ週刊少年ジャンプでの連載に終止符を打った。2012年2月に登場して以来、8年半に渡り多くのファンを魅了してきた連載の終了に、コミックだけにとどまらずアニメ、演劇などさまざまなカテゴリーの『ハイキュー!!』ファンからは別れを惜しむ声があがった。

 原作者・古舘春一氏による高校のバレーボール部を題材とした『ハイキュー!!』は、主人公の日向翔陽やチームメート、対戦相手を含めた登場人物それぞれが、バレーボールという競技を通じて成長していく姿を描いた物語だ。個性的な登場人物がときにはぶつかり、ときには挫折を味わいながら絆を深めていく。

 その様はバレーボールファンだけではなく、バレーボールにさほど興味のない読者の胸にも強く響いた。

 そして『ハイキュー!!』は、これまであまり語られることのなかったバレーボール競技の特性にもスポットライトを当てた。スピーディーな試合展開の中で数々の戦術が遂行され、高度な読み合いが繰り広げられているという、バレーボールの持つ隠れた魅力を伝えてくれた。難しいとされているバレーボールの戦術や専門用語を台詞や物語の合間に自然に挟み込み、主人公らと一緒に読者がバレーボールを理解していくよう仕向けた構成の手法は見事だった。

バレー用語の普及に大きく貢献

 たとえば『ハイキュー!!』の41話「2回戦突入」では、対戦相手である伊達工高のリードブロックシステムについて、登場人物がこのような台詞で触れている。

『今までの対戦校はコミットブロックつう、相手をある程度予測して飛ぶブロックが多かったけど伊達工は徹底したリードブロック。トスがどこに上がるか見てから跳ぶってことは、囮にはなかなか引っかかってくれないつーことだ』

 このほかにもアタックの始動の早さを表す「ファーストテンポ」やトスの種類を表す「ダイレクトデリバリー」など、連載スタート当時にはまだ指導者やプレーヤーにも浸透していなかった専門用語を、登場人物に生きた言葉として語らせた。それによりバレーボールの専門用語は『ハイキュー!!』の読者を中心に瞬く間に広がった。

 バレーボールの専門用語の普及に大いに貢献したと言っていいだろう。

『ハイキュー!!』が参考にした文献は?

 こうして『ハイキュー!!』に専門用語や、戦術の名前が登場するたびに、着想はもとより、用語についての知識を作者はどうやって仕入れたのかという疑問が浮かんだ。そして「参考にしたのではないか」とバレーボール関係者の間でささやかれていたのが、日本文化出版から発行された『バレーペディア』(2012年改定版)である。

『バレーペディア』の発刊に携わり、当時編集委員長を務めた日本バレーボール学会会長・静岡大教授の河合学氏に話を聞いた。

「そもそもバレーボール学会の中で『用語を整理しよう』という提案は今から20年くらい前に出ていました。当時、バレーボールの技術がどんどん上がってきている中で、用語が対応できてない。一度、きちんと整理したほうがいいのではないかということで制作しました。まず2005年にバレーボール学会の中に用語検討ワーキングというグループを作り、ありとあらゆるバレーボールに関わる用語を集め始めました。そのときには確か350くらいの用語が集まったと記憶しています」

 その後、15周年を迎えるバレーボール学会の記念行事のひとつとして、2010年に用語集の発行が決まる。こうして発刊されたのが『バレーペディア』の初版本だった。

「当時は誰にバレーボールを教わったのか、どこでバレーボールをプレーしてきたかによって、プレーの呼び方がバラバラでした」(河合氏)

レシーブ、キャッチ、カット、パス

 たとえば相手のサーブをレシーブする動作は、今でこそ「レセプション」と統一されつつあるものの、以前は「レシーブ」「キャッチ」「カット」「パス」など様々な呼び方があり混乱を極めていた。男子と女子、大学と実業団などで使う用語が違うため、記事を書く際、校正する際には幾度も頭を抱えたものだ。河合氏は続ける。

「当時は毎年のように国際大会がテレビで放映されていまして、解説をされるかたの使う用語もバラバラ。まずは、それを何とかしないと言葉は統一されないだろう、と。当時はリードブロックのシステムも正しく理解している人が少なかった。理解して、みんなで正しいバレーボールをやりましょうという思いがありました」

 そして、バレーボール学会のワーキンググループが編集作業を進める上で、最も参考にした文献が、1993年にベースボール・マガジン社が発行したアリー・セリンジャー著による『セリンジャーのパワーバレーボール』だったという。

初めて見る用語がいっぱい

「とにかく驚きました。我々が初めて見る用語がいっぱい載っているわけです。たとえば『ハイキュー!!』にも登場する“テンポ”の理論も載っていて、これまで我々のような指導者やプレーヤーがゲームではやっていたものの、呼び方の決まっていなかったプレーや戦術、フォーメーションにきちんと名前がついていた。『こういう言葉で表すのか』と非常に参考になりました。

 それまでの日本には、まず、ひとつひとつの動作に名前をつけようとする人がいなかった。ボールを拾う動作はすべて“レシーブ”で、サーブレシーブとスパイクレシーブを分けて名付けているのを知り、サーブを拾うことと、スパイクを拾うことは違うという認識をもたせてくれました」(河合氏)

 この本がなかったら『バレーペディア』は完成しなかったと河合氏は振り返る。

『パワーバレーボール』の著者、アリー・セリンジャーは、日本の女子バレーボールの発展に大いに貢献した人物である。1984年のロスアンゼルス五輪でアメリカ女子を、1992年バルセロナ五輪ではオランダ男子を指揮し、それぞれを銀メダル獲得に導いた。

 1989年に来日し、ダイエー・オレンジアタッカーズの監督に就任。日本リーグ、Vリーグ、黒鷲旗あわせて6回の優勝を成し遂げ、2000年にはVリーグ1部昇格を決めたばかりのパイオニアレッドウィングスの監督となり2度、優勝に導いた。男子並みのパワフルなバックアタックを用いた戦術でチームを強化し、全日本でも活躍した山内美加、佐々木みき、吉原知子(現JT監督)らを育てた。

あいまいな感覚ではなく、決まりごとにする

 その、セリンジャー監督のもとで長年コーチを務め、現在はトヨタ車体クインシーズで指揮を執る印東玄弥監督は振り返る。

「セリンジャーさんと出会ったころのことは鮮明に覚えています。使い古された表現ですが、とにかく目から鱗が落ちました。セリンジャーさんが日本に来たのは1989年。わたしがダイエー・オレンジアタッカーズのコーチに就任した95年には、すでに選手たちは“スロット”や“テンポ”の概念を理解して練習していました。今まで明確ではなかったものに、こういう名前があったのかと驚きました」

 スロットとは自軍のコートをネットに向かって縦に、1メートル間隔で9つに割り、それぞれの位置に記号と番号をふった“場所の呼称”だ。こうしてコート上の場所を、記号と番号で表すことで、たとえばスロット番号5の位置からファースト(First:第1の)テンポで打つアタックを「51」、スロット番号5の位置から、セカンド(第2の)テンポで打つアタックを「52」と呼び、セリンジャー氏は練習や試合中に使用した。

「そのプレーに名前があることで、説明を短縮することができます。同時に、個々のあいまいな感覚で打つ位置を決めるのではなく、チームのシステム(決まり事)となれば誰でも再現が可能となります。おそらく当時、ほかのチームでは使っていなかったであろう用語を、移籍してくる選手がダイエーで初めて知って、覚えていく様子を目の当たりにしていました。ですから90年代辺りでそういった用語を使って練習、試合をしていたチームはダイエーだけだったのではないかと思います」(印東氏)

 こうして、セリンジャーによって日本に持ち込まれたバレーボールの専門用語が、20年近い時を経て、『ハイキュー!!』によって幅広い層に届いたのである。

なぜバレー用語は浸透しない?

 では、なぜバレーボールの用語は、浸透するまでに長い時間を要してしまったのか。バレーボール学会の河合氏は語る。

「バレーペディアを作ったときに、『ぜひこれを使ってください』という意味も込めてバレーボールの中継を行うテレビ局に送ったんですよ。そこから徐々にレセプションやディグといった用語を使ってくれるようになりました。ただ、うちの大学の生徒もいまだにレセプションのことを“キャッチ”と言ったりしますし、もはや方言のように根付いているものだと考えています。我々は、提案はしますけれど、それを使うかどうかはそれぞれの判断ですから……」

 現在もなお、サイドから攻撃するアタッカーを「ウィングスパイカー」と呼ぶか「アウトサイドヒッター」と呼ぶかで意見が分かれている。

 トヨタ車体の印東監督は語る。

「セリンジャーさんが用語を使っていたのは、コミュニケーションを楽にするためだったと考えています。うち(トヨタ車体)も今、セリンジャーさんが使っていた専門用語を使っていますが、新入団選手も、移籍してきた選手も、何度か説明すれば理解し、プレーに反映できています。ということは、そのほうが選手たちにとっても、わかりやすいのだと思います」

 専門用語は、それを使う人の認知のずれを防ぎ、プレーする人、見る人に共通認識を持たせる役割を担っている。指導者にとっても、選手にとっても、そして見る人にとっても、専門用語がさらに広まり、かつ統一されたほうが便利であることは事実だ。

 しかし現在、日本の指導現場ではプレー中に使う言語や用語統一の重要性はあまり語られていない。

『ハイキュー!!』の連載が始まった2012年以降、コミックの人気もあって高校の男子バレーボール部員がわずかではあるが増加したという話を聞く。コミックと現実がシンクロし始めている今、『ハイキュー!!』によって改めてスポットライトが当たった「専門用語の統一化」という課題を、バレーボール界がどう未来につなげていくのか。現実世界が担う責任は大きい。

文=市川忍

photograph by AFLO SPORT