昨季まで女子バスケットボール・Wリーグのトヨタ自動車に所属したヒル・理奈さん(27歳)がこのほど、SNSで自らについて「トランスジェンダー」であることを公表した。強豪・桜花学園高時代にはU-17日本代表の主将として世界選手権にも出場した花形で、東京五輪の出場も目指していた。現役引退を契機として、9月末に胸の乳腺摘出手術を受け、名前も「ヒル・ライアン」に改名予定。自身の生物学上の性を心の性に近づけるための第一歩を踏み出したヒルさんが、NumberWebのインタビューに答えた。


「僕は……」。ごく自然に、その一人称で語り始めた。刈り上げた栗色の髪に茶目っ気たっぷりの瞳。がっしりとした肩幅や、Tシャツの袖からのぞく鍛え上げられた上腕部は、どこからどう見ても「男性アスリート」の佇まいだ。

 10月10日にインスタグラムやツイッターなどSNSを更新し、自身の性自認について「男性」であると公表。同時に、胸の手術を前にしたありのままの姿を記録したセミヌード写真をアップした。

「嘘をついていたわけではないんですけど、自分の一番大切にしている部分を隠している気がして。あとは特に若い世代に向けて、色々な生き方があってもいい、生き方として僕のような表現の仕方もあるよ、と勇気を与えられたらという思いです。悩みを抱えているのは自分だけじゃないんだとか、こんな風に壁を乗り越えたり受け入れている人もいるんだ、というメッセージになればと思っています」

女性として見られることが耐えられなかった

 かつては自身を苦しめた、生物学上の“女性”としての「体」。写真に残し、投稿した理由をこんな風に語った。

「女性の体のパーツへの嫌悪感や葛藤は今でも、もちろんあります。でも、長く自分の心と身体と向き合うことですべてを受け入れて好きになることができた。日の目を見たことのないおっぱいなんですけどね(笑)。27年間お世話になった身体なので、ありがとうという意味も込めて撮影をしました」

 アメリカ人の父と日本人の母の間の5人兄弟という家庭に育ったヒルさんが心の性と体の性との間に違和感を覚え始めたのは、バスケットボールを始めた10歳ごろのことだ。

「体がちょっとずつ変わり始めて……、という時期。ただ反抗期という感じではない、自分の体に対する嫌だと感じたことや、女性らしく扱われることに違和感を覚えたことがきっかけでした。一方で、かわいらしい服を着たり、“ギャル文字”を書いたり、周りに変な目で見られないために無理して(型通りの女の子らしさに)寄せている自分もいた。でも、誉め言葉として“かわいい”よりも“かっこいい”といわれるのが嬉しくて。これは一体、何なんだろうなと。小学6年生くらいになると、結構男子にモテたんですよ。でも女性として見られている感じが、僕は耐えられなかった」

世界選手権に出場し、初めての彼女も

 中学生になるとインターネットの検索で「トランスジェンダー」や「FtM」(Female to Male)という言葉に出会い、抱えてきた違和感の正体に気づいた。バスケットボールに打ち込み、高校は桜花学園高校(愛知)に進学。全国高校女子最多となる計67回の全国タイトルを獲得している強豪校で1年生から活躍した。U-17日本代表にも選ばれ、主将として世界選手権にも出場。アスリートとしての華々しいキャリアの始まりだった。

「そこから、型にはまろうとか、周りに合わせようとかは少しずつしなくなりました。高校1年生の時に初めて彼女ができて、その時も親しい友人にはオープンにしていました。高校3年時にはチームメートもほとんど知っていました。僕がはっきり言ったことはないんですけど、立ち居振る舞いとか接していくなかで僕を男性と感じる方が多かったのであえてわざわざ伝える必要もないかなと。いずれバスケをやめたら男性へのトランジッション(性別移行)を始めていくことも伝えている人は多かったです」

身体を見られることで生まれる恐怖

 一方で、女子チームの一員として寮生活を送った部活ならではの苦労もあった。

「日々の生活でいうとロッカールームが一緒だったり、遠征先で部屋も一緒。自分がここにいるのも変な感じというのと、女性の身体を見られることによって、女性と認識されてしまうのではないかという恐怖があったので、なるべく見られないような努力をしていました。共同のお風呂とかは可能な限り、うまくタイミングをずらしていました」

 理解ある友人や家族に囲まれ「性的指向(性愛の対象)」については自然な形で受け入れられていたが、「性自認」についてこの時期にあえてカミングアウトするという選択肢はなかった。

「本来男性がわざわざ『僕は男性です』って表明しないように、わざわざ言うことの方が違和感がありました。いまでも自分のことを“チンチンついていない男”って言うんですけど、それが僕のなかで一番しっくり来る表現です」

コートの上ではただ全力でバスケができた

 高校卒業後は、アメリカ・フロリダ州にあるトップアスリートのためのトレーニング施設・IMGアカデミーで1年間過ごした後、ルイジアナ州立大に進学。元NBAのスター選手、シャキール・オニールを輩出した名門で文武両道を目指した。在学中、2020年夏季五輪の東京開催が決まった時期にはユニバーシアードの選考合宿にも招集され、夢も大きくふくらんでいた。

「いつか日本代表に入って東京五輪に出たいという思いはめちゃくちゃありました。(大学卒業後)トヨタ自動車に入団した理由のひとつも、日本にいる方がプレーを見てもらえる機会が増えて、代表に入るための合宿のような第一関門に近づけると思ったから。短い期間でいいから、日本にいるコーチの前で何か実績を残す必要があると考えて帰国を選択しました」

 大好きなバスケットボールに専心する環境に喜びを感じながらも、一方で常に性自認とのギャップから来る違和感もあった。

「自認している性は“男性”なのに、女性の体を都合よく利用して女子のカテゴリーでより高いレベルで競技しているというのは甘えなんじゃないか。そんな葛藤がすごくあって……。ただバスケットが好きで続けたいし、『バスケットでもっと上へ、いけるところまでいきたい』という目標がある中で、答えのない葛藤だったなと思います。ただ1つ言えるのは、バスケットは1つの競技以上の大きな存在だった。犠牲にしているものもあったけれど、コート上で自分を表現しているときは性別にもとらわれず、ただただ全力でバスケットができた。価値ある場所だったなと思っています」

カンボジアの子供たちを見て思ったこと

 2019年シーズン限りでトヨタ自動車を退団し現役生活に区切りをつけた。同年夏にカンボジアの最貧困地域でボランティア活動をするなかで、自身のアイデンティティともじっくりと向き合い決意を固めた。

「電気も電波もない井戸水生活だったんですが、めちゃくちゃ心豊かに過ごせた。特に子供たちは自分の感情に素直。子供たちと一緒に時間を過ごすことで、僕もどんどん自分の感情に素直になることができました。若い世代がありのままの自分をのびのび表現できる場所を作ることが、僕らの世代の役目とか責任なのかな、って。9月1日に帰国して、いまのタイミングがしっくりくるなと。(性別移行の)プロセスを始めるためそこからすぐに、アポをとって病院に行ってきました」

「ハグしてあげるくらい、自分に愛情を」

 元トップアスリートとしてあえて「カミングアウト」することに、使命を感じている。

「まだファンの方たちが覚えてくれているといいんですけど。元プロ選手というプラットフォームを使うことによって、いろいろな方たちにパワフルなメッセージを送ることができればと思っています。

 人生のなかで辛いことが一切ない人なんていないけれど、マイノリティーの方はなにげない日常生活の中で困難が多いのも事実。自分の感情を押し殺したりせず、悩み、苦しむ自分がいてもいい。自分をハグしてあげる、というくらい大きな愛があればいろいろなことはいい方向に変わってくる。自分に対する愛情を持ってほしいのと、それくらい大きな愛をもった人が、世の中にはいっぱいいるよ、というメッセージをみんなに知ってほしいと思います」

 男性主体で封建的なスポーツ界はLGBTがなかなか受け入れられない土壌があり、「ファイナルフロンティア」と表現される。10月11日には、東京五輪・パラリンピックの開幕に向けて、性的少数者の情報発信拠点となる「プライドハウス東京レガシー」が東京・新宿区にオープン。ヒルさんも、元トップアスリートとしてメッセージを伝える役割を担う。

「自分のありかたはそれぞれ。男性だから、女性だからだからこうしなきゃいけないというのはないし、自分の表現の仕方、あり方は思うままでいい。ただ、現実問題としてスポーツ界の受け入れ態勢など課題はある。LGBTQ+をサポートするのに、そのコミュニティーに属している必要は決してありません。ベターな環境を作るために、さまざまな分野の人々が協力し合い、一歩ずつでも共に前進していけたらと思います」

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文=佐藤春佳

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