「希望の“希”です」

 今年1月4日、イタリアからリモート会見に臨んだ日本代表のエース・石川祐希(パワーバレー・ミラノ)は、2021年のテーマを漢字1文字で表してほしいと求められ、「希」の1字を書いた。

「2020年は誰もが予想していなかった状況になり、世界中のたくさんの人々がつらい経験や苦しい思いをしたので、2021年は希望があふれる年であってほしいなという思いを込めて、希望の“希”を選びました。僕自身、プロアスリートとして、“希望の種”になれるような年にしたいなと考えています」

 自身も苦しい経験をしてコートに戻ってきた石川が発する“希望”という言葉には重みがあった。

2021年の抱負を「希」という字で表現した石川祐希 ©︎GOOD ON YOU

コロナ陽性、発熱は39度まで上がった

 約1カ月前の12月7日に、イタリアバレーボール連盟により義務付けられている新型コロナウイルス感染症の検査を行った際、石川は陽性と判定された。検査の時点ではまったく症状はなかったが、その日の夜から倦怠感などの症状があらわれ、イタリア政府保健当局、医療機関の指導のもと、自宅療養に入った。

 石川は昨年8月から、『僕たちが今、できること。』と題して、医師の監修のもと、感染予防を徹底しながらバレーボールを楽しむためのガイドブックを作成し、部活やクラブチームなどでプレーする全国のバレーボール選手に無償配布する活動をしてきた。当然、石川自身も感染予防を徹底していただけに、「陽性がわかった時は、どこでかかったのかと、すごく驚きました」と振り返る。

 陽性と判明後3、4日ほどは38度台の発熱が続き、39度まで上がったこともあったという。3日以上も高熱が続くというのは身体的にも精神的にも厳しい。しかも海外で、たった1人の部屋で耐えなければならなかった。

「高熱が出た時は、この先どこまで症状が出続けるのだろうとか、あとどれくらいで回復するんだろうということがまったくわからなかったので、非常に不安でした」と当時の恐怖を明かした。

 幸いその後、熱は下がったが、咳や味覚・嗅覚の異常が生じたという。

 それでも、経過観察期間を経て、12月17日、22日の2度の検査でともに陰性が確認され、メディカルチェックでも異常はみられなかったため、28日にチームに合流し活動を再開。1月3日のセリエA・ベローナ戦に早速スタメン出場した。セットカウント1−3で敗れたが、石川はチーム2番目の15得点を挙げた。

「久しぶりに試合ができて嬉しかった。万全ではない中で試合をしないといけなかったので、非常に難しい一戦でしたが、僕自身の感覚としては、復帰明けにしては悪くなかったし、いいプレーも多かった」と安堵の表情を見せた。

©︎Powervolley Milnano

 まだ咳が少し残っており、味覚・嗅覚も半分ほどの回復だが、パフォーマンスへの影響は感じていないと言う。

「約3週間体を動かしていなかったので、筋力が落ちていて、その分、感染する前よりは疲労を感じるようになっていますし、試合勘もまったくなくなっているとは感じましたが、パフォーマンスにはそれほど影響していません」

 ただ、石川と同時期に感染が判明したチームメイトのブラジル人選手は、味覚・嗅覚の症状は完全に回復したが、練習中、「まだ呼吸がしづらい」と話していたという。「症状も人によって違うし、本当にわからないことが多いですね」と石川は言う。

東京五輪は「やってほしい」けど……

 2021年は改めての東京五輪イヤーとなるが、先行きは見通せない。

 その東京五輪について聞かれた石川は、「やってほしいかやってほしくないかと聞かれたら、やってほしいです。もちろんアスリートとしてオリンピックの舞台は特別だと思っているので、そこでプレーしたいという気持ちは強いです。でも、やっぱり今の世界情勢を考えると、非常に難しい判断だなというふうには思います。実際に自分が感染して症状も出た身としては、やはり健康で、元気であることが一番だと感じているので、人々の健康や命を最優先に考えてほしいなというふうに思っています」と今の率直な思いを口にした。

 石川は今季、イタリアでの6度目のシーズンを送っており、プロ選手としては3シーズン目を迎えた。経験を重ねるごとに、プレーの進化はもちろん、話し方や発信力も変化している。

 石川は星城高校2年の時に、すでにエースとして、チームを高校3冠(インターハイ、国体、春の高校バレー)に導いた。ただ当時は、コート上での堂々としたプレーとは対照的に、試合後、記者に囲まれると、聞き逃してしまいそうなほど小さな声で話していた。

 中央大学1年だった2014年には初めて日本代表に選出され、その年9月のアジア大会で活躍し準優勝に貢献したが、決勝戦後にミックスゾーンで大勢の記者に囲まれた際には、後方にいた記者に「石川選手!もっと大きな声で話してください!」と叫ばれ、面食らっていた。

 その年の冬、石川はイタリア・セリエAの強豪モデナに初めて短期留学し、翌年から日本代表の主力となった。特に大学卒業後にプロ選手となってからは、試合後の取材の受け答えが大きく変化した。質問者の目をまっすぐに見ながら、ゆっくり、ハッキリと話す。

「プロのアスリートとして」という言葉もよく口にするようになり、バレーボール界やスポーツ界全体を見渡した発言や行動も増えた。

「希望」ではなく「希望の種」に

 昨夏、感染予防のガイドブックを作成し配布することを発表した際には、「感染が怖いからという理由で競技人口が減っていく可能性もある。バレーボールがなくなって欲しくないという思いがあったので、発信しました」と語っていた。

 今回、新型コロナウイルスに感染した後の経過や心境、影響について丁寧に取材に応えたのも、まだアスリートの感染についての情報があまりない中、自分の経験を話すことが少しでも何かの役に立てばという思いがあったのかもしれない。

 プラスの経験も負の経験も糧にして、アスリートとして、人として成長し続ける。

 そんな中でも、人々の「希望になれるように」ではなく、「希望の“種”になれるように」と言うところが、どこか石川らしい。

文=米虫紀子

photograph by Powervolley Milnano