1月10日、春高バレー男子決勝。

 最後の1点を決めるのは俺だ、とばかりに、トスを呼ぶ声が響く

「持って来い!」

 東福岡のエース・柳北悠李の声に2年生セッターの近藤蘭丸も応える。

「あの場面は悠李さんしかいないと思った。悠李さんに最後は決めてもらいたかったし、悠李さんの得点で日本一になりたかった。どんなパスが来ても、最後は絶対、悠李さんに上げようと決めていました」

 高々と上がったトスを、豪快に打ち抜いた柳北のバックアタックが決まり25−19。東福岡が優勝を決めたその瞬間、ただその映像だけを見れば「やはり最後は頼れるエースが決めた」と思う人も多いだろう。

 確かに、連覇を遂げた2015年、16年を含めたこれまではそうだった。だが、5年ぶりに頂点に立った今大会は少し、いや、大きく違う。藤元聡一監督は、噛みしめるように言った。

名将の心が折れかけた理由

「春高は3年生の大会。意地や魂、感謝、そういうものを全部持った3年生の強い背中を1、2年生が追って行く。今まではそうやってきたし、そのうえでこれがダメだったらこのルート、こっちのやり方もある、と頂上へ登るためのルートが何個もあったんです。でも今年はそうじゃない。

 肝心のエースが引っ張るんじゃなく、周りの3年生や2年生からケツを叩かれ、嫌々登ってくる。手を尽くして、すべて尽くして万全だと思っても裏切られる。正直、僕も心が折れかけたことがありました」

東福岡・藤元監督 ©︎Yohei Osada/AFLO SPORT

 2011年に春高が1月開催へ移行して以降、3度も春高を制している名将の心をも折る問題児。それが柳北だった。

 バレーボール選手としての素質だけに目を向ければ申し分はない。最高到達点345cmの高さ、パワー、テクニック。荒削りではあるものの将来性も抜群で、日本の将来を背負う選手になり得るポテンシャルを持つ。藤元監督にとっても柳北は何としても育てねばならない存在だった。

 藤元監督は、入学間もない1年時から柳北を試合に出場させて経験を積ませながら、栄養士やトレーナーなど専門家の指導に基づく身体づくりにも重きを置いた。

 だが、どれだけ手をかけ、時間を割いても当の本人には響かない。2年連続センターコートに立てないまま春高を終えても、U18日本代表選手として強化合宿や国際試合に参加しても、戻ってきたら食べたいものを食べ、平然とお菓子に手を出してしまう。

自粛開け、体重はなんと「102kg」に

 あっという間に最終学年となった2020年。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が発令され、完全休校となり部活動もできなかった春先。チームはZoomでのトレーニングやミーティングを欠かさず、来るべきときに備える準備をしてきたが、休校期間が終わると、自己申告では「88kg」だったはずの柳北が102kgになって現れた。これには藤元監督もさすがに呆れ果てた。

「自粛期間中も体重のことをずっと言われていたけれど、周りと比べても自分だけ、だいぶ違う形で合流してしまった」(柳北)

 100kgを超えた甘さにさすがの本人も苦笑いするしかなかったのだろう。

 どれほど能力があろうと、この体重では膝や腰に負担がかかるだけ。適正体重に戻すまでは公式戦どころか練習試合にも出さないと匙を投げかけた藤元監督に代わり、「自分たちがやるしかない」と立ち上がったのは主将の川波虎太郎を中心に3年生たちだった。

 柳北を含めて5名しかいない3年生にとってはこれが最後の1年。ましてや2年生が主軸を担うチームである以上、試合に出れない自分たちの分までチームを引っ張ってほしいという思いもあった。それに勝つためにはエースの柳北の活躍なくしては語れない。

 朝、昼、練習後と柳北のランニングに付き合い、その都度体重も計った。同じ練習をして、食事制限もしているはずなのに顔が丸くなり、体重が増えているのを見るたび「お前何か食ったやろ」とカバンを開けると案の定、中からお菓子が出てくる。

「何やこいつ、って思いました。でも悔しいけれど僕らは試合に出られないから、託すしかない。日本一になるためには絶対あいつの力が必要なので、サポートするのが自分の仕事だ、って思いました」(川波)

 内心では何度も「ふざけんな」と思った。それでも、同級生の自分たちが見捨てるわけにはいかない。もうお菓子は食べない、と言いながらまた食べる。そんなことを何度も繰り返す柳北へ、泣きながら思いをぶつけたことも数知れない。それでも「いつか、絶対やってくれる」と信じ続けた。

ライバル東山の棄権

 そして福岡県予選を勝ち抜いて迎えた春高。頂点に立つべく、大きな関門と位置付けていた3回戦と準々決勝が行われた7日、予期せぬ事態にも見舞われた。昨年の覇者であり、東福岡にとっても最大のライバルと掲げてきた東山に発熱者が発生し、大会途中で棄権することになった。突然の出来事に藤元監督も「東山と戦いたかったので喪失感があり、切り替えが難しかった」と動揺もあった。しかし、それでも試合は続く。

 最後まで全員が万全の体調で臨めるように、と一層の注意を払う中、会場入場時の検温も当初の顔認証方式から、準決勝からは接触型に変更。決勝戦では医師の問診も行われるなど、選手の健康チェックも厳しくなった。昨年末のバスケットボールのウィンターカップでも厳しい措置が取られていたことから、藤元監督は「トレーナーの指導のもと、アップ前とアップ後、練習前と練習後に体温を測る。どれぐらいダウンに時間を割けば体温が下がるか、それぞれに落とし込んできたので、(春高でも)まず外で動いてから入場したが、その際も体温のコントロール方法がわかるよう練習してきた」と事前の対策を明かしてくれた。

コロナ対策も、柳北管理も万全

 コロナ対策だけでなく、懸念材料だった柳北の体重の徹底管理も続いた。年末年始に好きなものだけ食べることがないようにと、川波が自宅へ招き「野菜中心の食事にしてもらった」と最後まで3年生たちが見守った。

 出来る限りのことを尽くし、まさに万全の状態で臨んだ最後の春高。そこでようやく柳北が覚醒した。

抜群の跳躍力から放たれる強烈なスパイク ©︎Yohei Osada/AFLO SPORT

 下へと打ち付けるのではなく、高い打点からコートの奥を狙って、大きく伸びやかなフォームから放つスパイクで得点を叩き出す。打数が偏ろうが、試合を重ねるごとに打点の高さや打球の重さも増し、競った場面ではセッターの近藤に「苦しい時には全部俺に持ってきていいから」と声をかけ、上がって来たトスは有言実行とばかりにほぼすべて決めた。

 当然ながら相手も柳北を止めようとさまざまな策を練る。特に藤元監督が「流れを捉えて的確な指示ができる監督なので、1つでも気を抜いたり後手に回ると一気に持って行かれる」と称する清風や駿台学園はともにVリーグで選手、アナリストを経験した監督が率いる、組織力や戦術遂行能力に長けたチームだ。当然ながらポイントゲッターの柳北にはベストブロッカーを当て、ブロックは複数人がつき、得意なスパイクコースにリベロも入る。なおかつ少しでも攻撃しづらいように、柳北の助走コースやセッターが出てくる動線を狙ってサーブを打つなど、東福岡の長所を封じてくる。

 しかし、準決勝、決勝で放たれた柳北のスパイクは、そんな策をも上回った。

 サーブでレシーブが乱れて、ブロックが何枚つこうが構わず打つ。時に上から、また別の時にはブロックを弾き飛ばすスパイクに、駿台学園の梅川大介監督も舌を巻いた。

「柳北くんに打たれることはわかっていましたが、想像以上に拾えなかった。守備で全幅の信頼を置くリベロの矢島(大輝)が拾えないなら、拾えない。日本のユース(U18)代表のエースであるだけのプレーヤーでした」

徹底マークをも凌駕した柳北のスパイク ©︎Yohei Osada/AFLO SPORT

「諦めなかった彼らの存在がなければ」

 記録に残る活躍で東福岡5年ぶりの優勝に貢献したのは、紛れもなくエースの柳北だ。

 だが、記録に残らずとも、頼りないエースを、頼れるエースに成長させた陰の功労者たちがいる。「彼らこそMVP」とばかりに、藤元監督が語る。

「1、2年の頃は無理矢理でも僕が柳北を引っ張り上げようと思っていたんです。でもいつまでたっても僕がやらせる、やらされている段階では日本一にはなれない。自分の足で上がらない限り、僕がいくら頂上まで引っ張り上げようとしてもダメだから自覚に任せよう、と耐え忍んだけれどダメだった。

 それでも同級生たちは諦めないんですよ。またお菓子を食べた、また太った、と呆れながらもそれでも毎日、毎日、『悠李しかいないんだから』と繰り返す。そういう3年生の姿があったから、彼らのために頑張ろう、と思って僕もここまでくることができたし、みんなに押してもらった分、最後の最後で悠李が引っ張ってくれた。諦めなかった彼らの存在がなければ、成り立たないストーリーでした」

 お菓子の食べ過ぎで100kgを超えちゃう、少し頼りないエース。でも最後は必ずやってくれる。たとえ自分はコートに立たずとも、「いつか」を信じ、最後まで諦めなかった3年生たちの勝利だった。

文=田中夕子

photograph by Yohei Osada/AFLO SPORT