箱根駅伝を終えて、秋から取材に使ってきた数冊のノートを整理する。監督、選手たちの声が膨大な文字となって記されている。

 ずっと読んでいると、駒澤大学の藤田敦史コーチを取材した際のメモが目に入ってきた。Number 1017号「箱根駅伝 ベストチームを探せ!」で、「大八木弘明、進化する愛の名将」を書く際に使ったノートである。

 藤田コーチは1995年に駒大に入学し、そのシーズンの最中にOBの大八木氏がコーチとして母校に戻ってきた。

 福島県出身のふたりにとってこれは運命的な出会いで、学生時代には箱根駅伝出場4回、4年生で走った4区では当時の区間新記録を樹立した。そして卒業間際に走ったびわ湖毎日マラソンでは2時間10分07秒のタイムで2位に入り、世界陸上セビリア大会の代表となって6位に入賞した。当時から寮母の役割を担っていた大八木監督の夫人、京子さんはこう振り返る。

「主人は藤田君を自宅の方に呼んで、マッサージをしていたこともありました」

1999年の箱根駅伝、4区で順大を抜いて首位に立ち、区間新記録をマークした藤田

シード落ちも……「青学時代」の苦難

 駒大から富士通に進んで2013年に現役を退き、2015年からは駒大のコーチに就任した。母校、そして大八木監督に恩返しする番が来たのである。

 藤田コーチが就任する前に行われた2015年の箱根駅伝では、駒大が4区まで先頭に立ちながら、5区で青山学院大の神野大地が「新・山の神」と呼ばれる走りを見せて逆転、駒大は総合2位に終わった。

 ちょうど「青学時代」の到来期にコーチに就任したわけだが、これ以降、駒大は苦難の時期を迎える。

 2016年、3位。
 2017年、9位。
 2018年、12位。
 2019年、4位。
 2020年、8位。

 特に2018年のシード落ちは、精神的にもこたえたという。

「大八木は落ち込んでいましたけど……」

 藤田コーチは当事者として責任を感じながら、還暦を迎える恩師が悩む姿を傍らで観ていた。

「大八木は落ち込んでいましたし、いろいろと葛藤があったと思います。でも、そのころから『変わらないといけない』という意識が強くなっていったと思います」

 大八木監督自身は、2018年から2019年にかけ、東京オリンピックのマラソン代表を目指していた中村匠吾への指導を通じて、指導方法に変化が表れた。藤田コーチはいう。

「同じマラソンに取り組んだと言っても、私と中村では、タイプがまったく違います。私は大八木と同郷ということもあって、コミュニケーションは取りやすい方だったと思いますが、中村は口数が少なく、黙々と練習をこなすタイプですから、大八木もいろいろなアプローチを考えたんだと思います」

「学生の意見を聞くようになりました」

 その結果、生まれたのが「対話型」路線への変更だった。

 現役時代、大八木監督の存在は絶対で、監督の言葉に従順に従うことが強くなる早道だと思われていた。

 しかし、いまは違う。選手たちは従っているように見えても、信じ切っているかどうかはまた別の話である。コーチの目からは、対話型に舵を切ることで、大八木監督は学生の自覚を促したという。

「まず、大八木は学生の意見を聞くようになりました。そのうえで、『じゃあ、こうしていこうか』という結論に到達しますが、学生にすれば自分で発言したことで、責任が生じるわけです。ここ数年、大八木は柔軟に対応していますね」

 指導者に限らず、人間、50歳を過ぎると自分のメソッドを変えるのは難しい。しかも、大八木監督ほどの成功者であれば、なおさら。しかし藤田コーチの目からは、勝てない時期が続いたことで、監督はより柔軟になっていったという。

エース田澤の練習強度を“セーブ”する理由

「今の学生気質に対応しているのが、すごいところです。あれだけの成功を収めたわけですから、当然のことながらプライドもあるでしょう。学生からすれば、畏れ多い存在ですよね。でも、大八木は自ら学生の目線まで降りていく。練習メニューの立案についても貪欲です。世界最先端の情報を取り入れ、アレンジしながら田澤(廉)というエースを育て、その一方で部員たちの底上げをする。きっと、楽しいと思いますね」

 藤田コーチによれば、大八木監督は田澤の育成については、「ブレーキとアクセルをうまく使い分けています」という。練習強度をセーブしている状態で、「本当はもっと強くなれますが、今は実業団に行ってから伸びるようにじっくりと土台を作っている状態」だという。

 エースの成長を促す一方で、チームビルディングにも成功したわけだが、学年によって色合いが違い、戦力を整える作業は決して簡単ではなかったという。

「いまの3年生の世代は、リクルーティングで苦戦したのは間違いありませんでしたが、今では3年生もメンバーに絡んでくるようになりました。2年生は田澤が来てくれて、他のメンバーもなかなか面白いですし、1年生は『みんなで駒澤に入って優勝しよう』と意欲に燃えて入学してきました。すごい世代ですから、これからが楽しみです」

 11月の段階では3年生は戦力にカウントされているとは言い難かったが、箱根の本戦ではアンカーの石川拓慎はじめ、3年生の活躍がなければ駒大の優勝はなかった。

「駒澤を受験します」

 そして藤田コーチが、「2年生で面白い」といったメンバーが、9区を走った山野力だった。

 山野は高校2年から3年の春にかけて、5000mのベストタイムは14分45秒だった。20年前ならいざ知らず、今では大学から声がかからないレベルのタイムだ。しかし山野は駒大で走ってみたいと思い、部活動を続けながら受験勉強にも励んでいたが、トラックシーズンが進んだところで14分17秒が出た。こうなると、どの大学も放っておかない。しかし山野の決心は揺るがなかったと、藤田コーチはいう。

「おそらく、いい条件での誘いもあったんじゃないかと思います。でも、山野本人は頑として駒澤を受験します、と揺るがなかったんです。そして、一般受験を突破して来てくれた。そうした選手たちが伸びています」

 山野は9区で区間6位。先頭を走っていた創価大の石津佳晃が区間賞の素晴らしい走りを見せたため、相対的にかすんでしまったが、山野の堅実な走りは駒大に入って順調に成長したことをうかがわせる。

 そして今回、1年生も1区白鳥哲汰(区間15位)、5区鈴木芽吹(区間4位)、7区花尾恭輔(区間4位)と3人が走り、経験を積んだ。藤田コーチは「1年生と田澤との距離はまだまだありますが……田澤がいい目標になってくれるでしょう」と話す。来年度、さらなる成長が見込めるだろう。

「あれは大八木の、学生に対する『愛』なので…」

 13年ぶりの優勝を果たした駒大。今年のメンバーで卒業するのは3区を走った小林歩(区間2位)だけで、常識的に考えるならば来年も優勝候補の筆頭になる。

 大八木監督は当日変更で3人の4年生、加藤淳、伊東颯汰、主将の神戸駿介を外したが、それは苦渋の決断だった。しかし、勝負師は情を排除し、下級生を起用して優勝したことで、将来に向けての基盤はさらに強固になった。

 今回の取材を通じて、大八木監督がいろいろな顔を持つ人物だということは、藤田コーチの話から十分に伝わってきた。

 最後に、1017号の記事のタイトルに「愛」の文字が入ったのは、藤田コーチから得た言葉が反映されていることを紹介したい。

 11月23日に行われた学連記録挑戦会で、大八木監督はスタンドからの応援を自粛するように言われていたにもかかわらず、

「ここだ、ここ。粘らなきゃ」

 など、駒大の選手を叱咤激励するのをやめなかった。そのことについて、藤田コーチはこう話してくれた。

「あれは大八木の、学生に対する『愛』なので。もちろん、声を出すのがいい、悪いという議論はあります。でも、大八木の熱意が黙っていることを許さないんだと思います」

 私は文章に「愛」という言葉を入れた。

 そして、タイトルを決めるデスクも、「愛」を採用した。

 今季、箱根駅伝について話を聞いた中で、最高のキラーワードだった。

文=生島淳

photograph by JMPA