彼からすれば奇跡でも何でもない。

 とはいえ傍から見れば、これは奇跡というほかない。右目が見えないハンディキャップを乗り越えてニュージーランドの強豪への復帰を実現させたのだから。

 2020年12月15日、オークランド・シティの公式サイトに「Matsumoto returns to Navy Blues」のタイトルで松本光平の復帰が発表された。

 オセアニアで活動する31歳のサイドバックが不慮の事故に見舞われたのは2020年5月のこと。ニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに所属していた彼は、自宅の寮でトレーニングをした際にゴムチューブの留め具が外れて目に直撃。右目は見えなくなり、左目もおぼろげに見える程度まで視力を落とした。

「毎日、朝昼晩の3部練習をやっています」

 プロフットボーラーとしての選手生命は終わったかに思われた。手術を経て、筋力も落ちて体重は12㎏も減った。まっすぐに歩くこともままならない。だが彼には違うものが見えていた。数カ月先にプレーしている姿を、疑うことなどなかった。この不慮の事故から立ち上がって、競技復帰するためのクラウドファンディングを始めたことで世間の注目も集まった。

 7月末に話を聞いてから約半年。リモート画面に映る彼の体は明らかにゴツくなっていた。

昨年7月にインタビューした際の松本 (c)Yuki Suenaga

「毎日、朝昼晩の3部練習をやっています。実戦を増やしたいので、1日2試合するときもある。この目の状態を抱えて、目に何も問題ない人と一緒にサッカーをやるなら、それくらいしないと真摯にサッカーに取り組んでいる人に失礼。僕自身、軽い気持ちでサッカーを続けたいと言っているわけじゃない。しっかりトレーニングしてプレーできるところを見せないといけないなという気持ちです」

 オークランドは2月1日にカタールで開幕するクラブワールドカップ(CWC)への出場を決め、松本は開催地での合流を見据えて日本で調整を続けてきた。

「次のCWCに向けてしっかり準備できる」

 だが1月15日に衝撃のニュースが届く。FIFAがオークランドの「出場見送り」を発表したのだ。検疫や隔離など新型コロナウイルスの感染防止措置がニュージーランド当局の要件を満たさないことから、クラブは出場を断念したという。

 CWC出場を目指してきた彼は落胆しながらも、気持ちを切り替えようとしていた。

「(不参加の)連絡がきたときは“えっ!”と驚きましたけど、次のCWCに向けてしっかり準備できるというふうにポジティブに受け止めています。ただニュージーランドへの入国がとても難しい状況なので、この先どうなるかはちょっとまだ分からないですけど」

 ニュージーランドは新規の就労ビザ申請を見合わせている状況だという。いつ合流できるかまったく見通しが立たないものの、「なんとかなる」精神が揺らぐことはない。

 オークランドへの6年ぶりとなる復帰には松本の“猛アピール”があった。

気持ち悪くなって吐くこともしばしばだった

 現地の代理人を通じて馴染みの強化スタッフに練習や試合の映像を何度も送り、自分が戦力になることを訴え続けたことが実った。CWCは今年12月に2021年大会が日本で開催される予定となっており、2月の2020年大会と合わせて今年は2回行なわれることも後押しとなったようだ。

「目のことは練習や試合を見て判断してもらって、それに一度在籍した実績も大きかったのかなとは思います。日本でCWCが開催されるので、話題性のところも当然あります。実際、戦力としてどこまで期待してくれているかは正直分からない。ただニュージーランドでずっとやってきたのでレベルは分かるし、選手もチームメイトや対戦相手を含めて大体知っています。チームに入ってさえしまえば、やれるって証明できると思うので」

 競技復帰のために、彼は全精力を傾けてきた。

 8月に陸上トラックのある公園近くのマンスリーマンションに引っ越して、そこで歩くことから始めた。

 左目だけぼやけて見える状態のため、ふらついてこけてばかり。気持ち悪くなって吐くこともしばしばだった。それでも競技復帰を早めるなら休んでいる暇などない。

「最初はトラップできない」

 歩行がスムーズになると、次にランニングに移行する。気持ち悪くなる感覚もなくなって「苦労せずに」走れるようになる。徐々にスピードを上げても問題なかった。

 9月に入ると今度はサッカーのできる公園近くに引っ越しをして、ボールを蹴る練習に入る。しかしさすがに「ぼんやり見える」では対処できないことが多々あった。

「最初はトラップできない、浮き球でくるのが分からない。とんできたボールをかわす、サッカーとは違う種目になっていたんですけど」

 怖さがあったが、やっていくたびにボールが何となく分かるようになっていく。結論「場数をこなせば慣れる」。サッカー仲間のサポートもあって、ボール回しもできるようになった。蹴って、止めて、動いて。毎日それを繰り返して、パス交換の距離も段々と長くしていく。

 ここまでできた段階で拠点を地元の大阪に置くことにした。トレーニングをサポートしてくれる協力者があらわれ、対人プレー、ミニゲーム、トレーニングマッチと段階を一気に上げていく。社会人チームに入れてもらい、ユース、大学、社会人などいろんなチームと対戦して実戦感覚を取り戻そうとした。併行して筋力トレーニングもこなしていく。

ゴーグルをつけて対人プレーも問題なくこなす (C)Ryu Sato

「ラインの上げ下げも普通にやれています」

 防護用のゴーグルがあるため相手と激しく競り合っても問題ないことは確認できたが、さらに視野が狭くなったり、息が上がるとレンズが曇ったりとマイナス面にも慣れておく必要があった。

 サイドバックの視界もつかんでおかなければならない。右側の視覚情報が足りない難しさがあった。

「(右サイドバックのときは)中にいるパスの出し手は分かるんですけど、ボールをもらって右向いた瞬間に突然、人が出てくる感じなんで最初は“わっ”と驚いたことも多かったんです。逆に左をやるときは中にいる出し手が分かりづらい。中を向いて出し手を見るようにすると、今度は前が分かりづらい。どっちのサイドも違う難しさはあるんですけど、どっちのサイドも練習や試合をして場数を踏んだことで(視界の確保も)段々と自分なりにできるようになりました。ラインの上げ下げも普通にやれています」

 新たな問題も出てきた。

競技復帰の目標は、「チーム光平」全体の目標に

 言うまでもなく、ただ走ればいいというわけではない。ステップやターンもこなしていかなければならないし、走り方が悪ければ疲労やケガにもつながってしまう。助けてくれたのが、ガンバ大阪ユース時代にお世話になった吉道公一朗コーチ(現在はFC東京のフィジカルコーチ)だった。練習後に走り方をチェックしてもらってきたという。

「本当に有難かったです。上半身をガチガチに固めないと走れなくて、だいぶクセが出ていたんですけど、そこを修正してもらいました。ターンとかも最初はこけてばっかりで、コツを教えてもらって鍛えてもらいました。どの動作もだいぶやれるようになったし、それなりに走れているんじゃないかって自分でも感じています」

 協力者の輪は自然と広がっていく。

 1日3部練習や2試合こなせるのも、その後にしっかりとケアをしてくれるトレーナーがいるからだ。競技復帰の目標は、「チーム光平」全体の目標になっていた。コロナ対策を徹底したうえで練習は毎日続いた。

「むしろプラスのほうに行っているんじゃないか」

 松本はこう感謝する。

「“こういうことをやったほうがいい。じゃああの人に聞いてみよう”みたいな感じでサポートしてくれる人が、また別の方を紹介してくれて周りに人が増えていきました。たくさんサポートしてもらっているわけですから僕が疲れたとか、大変だとかも全然ない。

 たとえば連続ジャンプを10回したら何回目で落ちてくるとかセンサーを置いて測定してくれるんですけど、今までそんな機械を使って練習をやることなんてなかった。だからもう毎日新鮮で、楽しくて。こんなこと言うと信じてもらえないかもしれないですけど、目をケガする前よりもプラスマイナスで言ったら、むしろプラスのほうに行っているんじゃないかっていうくらいの感覚なんです」

 言葉が弾む。言葉が輝く。

 満たされる日々が、「むしろプラス」という感覚を呼び寄せている。

 彼にはどうしても会いたい人がいた。

右目が眼球破裂した10歳の少年からメッセージが

 目をケガして競技復帰を目指す際に、10歳の少年からメッセージをもらっていた。少年は3年前に右目の眼球破裂を経験しながらも、サッカーができるようになっていた。そのメッセージに勇気をもらっただけに、感謝の言葉も伝えたかった。

「大阪に帰る際と年末の2回、会いました。僕と同じく右目が見えない状態ですけど、3年掛けて普通にサッカーができるようになったそうです。自転車も乗っていましたから、凄いなって思いましたよ。会うことでまた勇気をもらいました。俺も頑張らなきゃって、一段とヤル気が出ました」

 CWC出場見送りが決まり、コロナ禍によってニュージーランド入国のメドも立たない。そうなれば契約の見直しだってあるかもしれない。しかしながらどんなことがあっても、どんなことが待ち受けていても、彼が動じることはない。

 考えるのはピッチに立ってプレーするために、準備をしておくこと。

「同じような境遇にあるみなさんに希望や勇気を」

 彼の胸を焦がすのは使命感だ。

「世の中に片方の目が見えない人って思っていた以上にたくさんいるんです。目がちゃんと見える人と同じようにプレーできるんだぞってところを見せたい。同じような境遇にあるみなさんに希望や勇気を与えられたらいいなって。それが最大のモチベーションなんです」

 目のハンディキャップがあっても試合で十分にやっていけることを証明して競技復帰を成し遂げるという強い意志。

 周りからすれば奇跡でも、彼からすれば奇跡じゃない。

 使命感を胸に松本光平が刻んでいく軌跡。たとえ厳しい道のりであっても、きっと多くの人の思いと願いが、彼の背中を押していくに違いない。

文=二宮寿朗

photograph by Ryo Sato