惜しくも大学選手権連覇を逃した早稲田大学ラグビー部。今季は新型コロナウイルスの影響で思うような活動ができなかったが、主将・丸尾崇真(4年/No.8)を中心にまとまりある展開ラグビーを披露した。そんな早大ラグビー部に稀有なキャリアをもつ学生がいる。千葉洋介、プロップ、学年は丸尾らと同じ4年生。だが肩書きは「早稲田大学ラグビー蹴球部1年生」だ。ラグビーに魅せられた大学生の手記をお届けする。

 私は今年、大学4年に進級すると同時に「1年生」となりました。2020年春、4年生となるタイミングで早稲田大学ラグビー蹴球部(以降、ラグビー部)の門を叩くことを決めたのです。なぜそのような決断に至ったのか――簡単にバックグラウンドを記そうと思います。

「1年生」として早稲田ラグビー部に入部した千葉洋介 ©WASEDA University

 2017年3月、早稲田大学スポーツ科学部に合格。國學院久我山中学・高校で6年間ラグビーをしていたこともあり、ラグビー部に入部しようと考えていました。しかし、ハードな内容で有名だったセレクションともなる新人練習を甘く見ていた私は準備を怠っていました。すぐにケガをして、3日目にして自ら入部を断念。早々に「早稲田でラグビーをやる」という目標を投げてしまったのです。

 大学で何をすればいいのかわからなくなっていた時に出会ったのが、大学の体育会各部を取材する「早稲田スポーツ新聞会」というサークルでした。初めて取材したのは春のラグビー早慶戦。この取材を機に、3年間にわたるラグビー取材生活が始まりました。そして時が流れるにつれ、どんどんラグビーの魅力に捕らえられていったのです。

国立競技場での早明戦、兄の言葉

 再挑戦を決めた大きなきっかけとなったのは、20年1月11日の国立競技場での大学選手権決勝・早明戦でした。この試合は、3年生で任期を終える早稲田スポーツ新聞会での最後の取材でもありました。そこで早稲田は11大会ぶりの優勝という快挙を達成します。その一幕を見た私は、「自分もラグビー部に入っていたら、あの場で『荒ぶる』を歌っていたのだろうか」という感情に駆られ、気づくと涙を流していました。

 その舞台には、高校で同じラグビー部で、同級生でもある横山太一(プロップ)も出場していました。実は19年の暮れ、会話の流れで横山の練習相手としてスクラムの基礎である1対1を組んだことがありました。早稲田ラグビー伝統のジャージ「赤黒」を背負う仲間と再び肩を合わせていたことが、優勝をより刺激的なものにしたのだと思います。

 優勝を目の当たりにした私をさらに掻き立てたのは、兄・太一の言葉でした。大学選手権が終わって何週間か過ぎたころ、早大ラグビー部OBで、現在はトップリーグのリコーで活躍する兄に、上井草の練習場に呼ばれました。プロップとして第一線で活躍する兄が横山にスクラムについて教える機会があり、その相手役として来てほしいとのこと。すると、横山との練習後に兄がふと「真面目にやれば、スクラムだけなら久保(優・4年)にも勝てるかもよ」と声を掛けてくれたのです。その言葉で心に火がつきました。

 もともと、早大ラグビー部に憧れたのも兄がきっかけ。高校3年時に観に行った早慶、早明戦……その眩しいほど輝く舞台に立つ兄に憧れたのです。

対抗戦で慶應大のタックルを弾き飛ばす千葉太一。現在はリコーブラックラムズでプレー ©AFLO SPORT

 そんな兄からの言葉を、その場では聞き流しました。しかし、自分でも驚くほど、挑戦するという意欲が湧いてきたのです。ただ、大学4年を迎える時期に入部テストを受けることは容易ではありません。突拍子もない挑戦に不安や恐怖が募り、簡単に決断することはできませんでした。そこで背中を押してくれたのは、高校で同じラグビー部だった星谷俊輔でした。応援すると言われたことで、「悔いを残すくらいなら挑戦しよう」と決めました。

 決断した翌日、すぐに兄にその旨を伝えました。

「中途半端にはやるなよ、きついからな」

 その言葉は今も胸に刻まれています。

 ラグビー部への挑戦は、同時に“留年”を意味します。大学最終年にラグビー部に入ることは、就職活動と並行してできるほど甘いものではないと思ったからです。

 当初は並行して入部を目指していましたが、就職活動でお世話になっていた方から「千葉君は2つのことより、1つに絞った方がパワーを出せるタイプじゃないか」と言葉を掛けられ、保険のように就活を続けることをやめようという考えに至ったのです。

 常々「留年はありえない」と言っていた両親には反対されるだろうと決めつけていましたが、逡巡なく私の決断を了承してくれました。そこで自分がいかに恵まれた環境にいるのかを理解することもできました。

覚悟して臨んだ新人練習

 ラグビー部に入部すると決意したわけですが、では実際、この1年間をどう過ごしてきたのか――。改めて振り返ってみようと思います。

 その時点で私には3年ものブランクがありました。トレーナーの友人に練習メニューを相談し、ジムや河川敷で3月下旬にある新人練習を目指し、ひたすらトレーニングに励みました。

 そして迎えた新人練習。高いレベルについていけるか、そもそも下級生の選手たちに受け入れてもらえるのか。不安は募るばかりでしたが、いざ練習が始まるとあっという間に過ぎて、無我夢中で必死に食らいついていきました。

 しかし、そこから数日が経った頃、新型コロナウイルス感染症拡大の影響ですべての部活動に自粛要請が出ました。緊急事態宣言の発令も重なり、そこから長期間に渡ってチームとしても活動できない時間が続きました。

 入部が決まったのは、そんな先が見えない状況下でのオンラインミーティング。相良南海夫監督が丁寧に読み上げる新入部員のリストの中に、私の名前もありました。少し時間はかかりましたが、ようやく目標にしてきた早稲田ラグビー部の一員になれたのです。

上井草に集まったのは6月中旬

 とはいえ、入部後もすぐに練習に合流することはできません。全部員に自宅でできる自重系トレーニングやフィットネスのメニューが提示され、さらにはオンラインライブセッションという任意参加のメニューなどが共有されました。多くが個人の裁量に委ねられる中、早稲田ラグビー部では全部員をグループに分け、それぞれの計画を1週間単位で共有する対策を取るなど、試行錯誤する時間が続きました。

 上井草に全員が集まれるようになったのは6月中旬。我々1年生は、最初の1カ月は大学ラグビーをプレーするために必要な体づくりに専念、そこから徐々にボールを使ったスキルのトレーニングが始まります。技術は体に染み込んでいたものの、どうプレーするかという「判断」にブランクを感じました。

千葉には3年間のブランクがあったが、必死でくらいついた ©WASEDA University

 そこから約3カ月。忘れもしない、福島合宿の9月13日。流通経済大学とのC戦で、高校生以来となる試合に出場を果たしました。出場時間こそ短かったですが、早稲田ラグビー部の一員として試合に出場できたことにこれまでに経験したことのない喜びを感じました。

 その後は関東大学対抗戦に向けて走り出したトップチームと練習する機会にも恵まれ、嬉しさの反面、同時に圧倒的なスキル不足を痛感。昨年まで取材を通して追いかけてきた選手たちと対峙したことで、いかに自分が「赤黒」まで遠いのかを再認識しました。

驚いたコミュニケーションの量

 1年生は対抗戦シーズンも大半の時間を体づくりと基礎的なスキルアップに当てます。その傍らでトップチームのすごさを目の当たりにしました。

 毎週のように行われる対抗戦や練習試合。その都度、早稲田ラグビーの修正力と基礎スキルの高さに驚かされました。対抗戦初戦・青山学院大学戦後に出たブレイクダウン周辺の課題を、すぐに翌週のテーマに掲げ、克服する。次の試合を迎える前にはほぼ修正は完了します。試合を重ねるたびにラグビーはブラッシュアップされて、どんどん強化されていくのが手に取るようにわかりました。

 また、練習の内外問わずコミュニケーションを取る仲間(先輩たち)にも驚きました。あんなに強くて上手い選手たちでも、こんなに話さなければいけないのかと会話の重要性も学びました。そんな修正の起点ともなるのが、試合後の「集合」です。

キャプテン丸尾の言葉

 特に印象深かった「集合」が、全勝で迎えた対抗戦最終戦の早明戦(12月6日)の試合後に行われた「集合」でした。攻守で明治に圧倒され、14−34の敗北。いつも強く熱い言葉でチームを鼓舞する丸尾主将が涙を堪えているように見えたのです。

 彼のことは高校時代から知っています。3年間の取材を通しても、弱い部分を決して見せない男です。しかし、決して涙を零すことはなく毅然とした態度でチームにこう言葉をかけました。

「準備はしてきた。けど何かが足りなかった。ここからもう一度BATTLEしよう」

 下を向かず、奮い立つ姿に同い年として胸を打たれました。

チームをまとめた丸尾主将 ©Takuya Sugiyama

 この丸尾主将の言葉をきっかけにチームはまとまっていきました。大学選手権の初戦となる早慶戦に向けた気迫は以前とは比べ物にならないほど。普段の生活でも規律を徹底するなど、改めて振り返るととてつもない集中力を保ったまま、日々を過ごしていたのだと思います。

 早慶戦に勝利した早稲田ラグビー部は“年越し”を決めました。1月1日に行った恒例のゲバ(部内マッチ)後には、チームメンバーすべての思いを背負った出場メンバーによる決意表明が行われます。一人ひとり、次戦に向けての勝利を誓う中、トライゲッターであるWTB古賀由教(4年)が涙を堪えながら発した言葉が印象的でした。

「来週もみんなでまたラグビーがしたいです」

 4年生を中心に、それぞれが秘める熱い思いに触れて、私の心にも火がついたことを覚えています。

最後まで「BATTLE」を続けた早稲田

 帝京大学との接戦を制して迎えた大学選手権決勝。

 その前日には最後のゲバが行われ、4年生を始めとした多くの選手が涙を流しながら、最後の練習を終えました。部員全員が一丸となり挑んだ天理大学戦は、相手の激しいプレッシャーを前に敗戦。悔しい結果となりましたが、ピッチに立った選手たちは最後の最後まで「BATTLE」を続けました。歓喜に沸く天理大の横で泣き崩れる選手たち。その姿を一生忘れることはありません。

 試合後、丸尾主将が私たちにこんな言葉を残してくれました。

「何が足りなかったか、今はわからない。こんな思いはして欲しくない。来年はそれを見つけて優勝してほしい」

 一本締めで103代早稲田大学ラグビー蹴球部は幕を閉じました。

天理大学に敗れ、大学選手権は準優勝に終わった ©Takuya Sugiyama

無謀な挑戦かもしれない

 浪人して早稲田ラグビーの門を叩く者はたくさんいます。ただ、私のように4年を迎えたタイミングでの挑戦は珍しいことだと思います。それでも挑戦したのは、やり残した思いを抱いたまま卒業したくなかったからです。

 1年間は力不足を痛感することばかりでしたが、この経験を糧にして、早稲田ラグビー部の一員として恥のないように過ごし、選手として人として成長ができるよう日々精進していきます。無謀な選択を許して下さったラグビー部や家族への感謝とあの日の兄の言葉を胸に、そして憧れの「赤黒」のジャージを掴むために、新シーズンもラグビーに一生懸命挑みます。応援よろしくお願いします。

文=千葉洋介

photograph by SportsPressJP/AFLO