ジキルとハイドかもしれない。

 びっくりした光景を目撃したのは、2017年にDeNAが日本シリーズに進出した、その第3戦のことだった。

 ソフトバンクに連敗して本拠地・横浜スタジアムに戻ってきたこの試合も2対3と1点差で落として、崖っぷちに追い込まれた試合後だ。アレックス・ラミレス監督の会見終了後に会見場で関係者と話をしていると、やってきたのが梶谷隆幸外野手だった。

 左手には白い発泡スチロールの弁当箱。そこには白飯と山盛りの鶏唐揚げが乗せられている。そして試合前は選手食堂として使われる会見場の脇の冷蔵庫から梶谷が取り出したのは、マヨネーズが入ったディスペンサーだった。

唐揚げに向かってマヨネーズをこれでもかと放出

 そこから白飯に乗った唐揚げに向かってマヨネーズをこれでもかと放出。その光景の一部始終を見ていた筆者と目が合うと「美味いっすよね」と一言語って、ロッカールームへと消えていった。

 まだ梶谷が独身時代の話だ。

 おそらくその弁当を持ち帰って、夜食として食べるのだろうと想像すると、いくら消費カロリーの高いスポーツ選手といえども禁断の姿を見たような気がしたのを覚えている。

 梶谷といえばシェープされた肉体で体脂肪率は1桁の8%から9%をストイックに維持していることで知られる選手だ。それが対極のデブ食とも言える唐揚げマヨネーズを夜中に貪り食う。

 それはまさにジキルとハイドである。

 そして梶谷は野球でも根っからの合理主義と、その対極にある熱さの両極端を持つジキルとハイドのような選手でもある。

自主トレを1人でやる理由とは?

 自宅から通える神奈川県内の施設で行っている自主トレーニングは、合理主義の梶谷が主役だ。この自主トレはいま流行りの若手を引き連れた“軍団”形式ではない。参加する野球選手は梶谷1人。そこに知り合いのトレーナーら少人数で練習を続けている。

「あるときから(大人数でやることが)しんどくなってきて、成績も落ちてきたときに、人にかまっている暇はない。とにかく自分のことだけ考えたいので、(自主トレは)1人でやりたいというのが強くなりました」

 1人自主トレの理由を梶谷本人はこう説明する。

 この自主トレでは例年に比べると、腹筋など小さな筋肉を鍛える時間やランニング量を増やすなどの変化をつけながら動いている。

「ケガをしないように、自分が弱かった部分だったり、今まで経験してここが足りないという体幹を重点的にやりたいなと思っています。(ウエートトレーニングで)大きい(負荷)のをガツガツ上げるというよりは、自分の体重を扱えることをメインにしていますね」

 自分のやりたいことをやりたいだけやれる。それが1人自主トレの合理性である。

ここ数年、ずっと獲得を狙っていた選手

 2月1日は東京ドームでキャンプインするS班でのスタート。6日からの沖縄キャンプに向けて準備を整えていく。その青写真に従って誰に気を使うことなく梶谷が巨人での最初のシーズンをスタートさせるための、この1人自主トレなのである。

 巨人との契約は4年総額8億円ともいわれる大型契約。入団会見では原辰徳監督から「1番・右翼」と大きな期待を寄せられている。

 それもそのはずで梶谷は、巨人にとってはここ数年、ずっと獲得を狙っていた選手という背景がある。

澤村拓一との交換トレードを水面下で探った

 原監督が3度目に就任した19年からチームの再編を続ける中で、重要な補強ポイントとして挙げられてきたのが「打てる左の野手」だった。特に長年、ユーティリティー的に打線を支えてきたベテランの亀井善行外野手の年齢的な問題もあり、その代役を務められる外野手の補強は大きなテーマだった。

 そこで原監督就任1年目には広島からFAとなった丸佳浩外野手を獲得。そして丸と共に坂本勇人内野手、岡本和真内野手の右打者2人とセットを組める、もう1人の左の強打者として目をつけたのが梶谷だったのである。

 実は19年に巨人が本格的に梶谷獲得のために動いた時期があった。

 この年の梶谷は前年8月に右肩を手術。その影響もあってか開幕から絶不調で5月からは二軍で再調整を余儀無くされるなど、春先からくすぶる時間が長く続いていた。

 そこに目をつけたのが巨人だったのだ。

 手術した肩の状態は問題ないことを確認すると、獲得の可能性を模索。同じように一軍でなかなか結果を出せずに苦戦していた澤村拓一投手との交換トレードを水面下で探るなど梶谷獲りに本格的に動いた。最終的には獲得には至らなかったが、不振のどん底にあっても、それくらいに潜在能力を評価し、ずっとマークしてきた選手だった。

打率3割2分3厘、19本塁打、53打点

 もちろん巨人同様に古巣のDeNAの評価も高かったからこそ、このトレードは幻に終わった訳で、そんな古巣の期待に応える形で梶谷自身も19年も8月末にはDeNAで一軍に復帰。その後は打線を牽引する活躍を見せ、昨年の再ブレークへとつなげた。

 リーグ2位の打率3割2分3厘、19本塁打、53打点というキャリアハイの20年の成績は、なるべくしてなった結果だった。それはDeNAも巨人も同じ考えである。

 だからこそ昨オフの巨人の梶谷へのアプローチは最初からのシナリオだった。一部ではヤクルト・山田哲人内野手の獲得に失敗して方向転換した結果のような報道も流れたが、巨人のターゲットは最初から梶谷に絞られていた。巨人が求める戦力パズルの欠けたピースは、まさに梶谷だったのである。

 その中で練られた原監督の「1番構想」だ。

「他人の成績は天気と同じだなと思って」

「もちろん1番っていう打順を打ちたいですし、まずはそこを勝ち取りたい」

 梶谷もこう応える。

 ただ、そこで梶谷はあえて他の選手との競争を排除し、自分だけに集中するという道を選ぶ。

「他人の成績は天気と同じだなと思って、僕は僕のやるべきことをやらないと、っていうことを思っている」

 DeNA時代に経験した苦い思いがあるから、梶谷はこう語る。

左手薬指を骨折しても強行出場

「過去にそれ(他人の行動やライバルの結果)に左右されて、自分がやるべきことが見えなくなったり、(ライバルを見過ぎて)気持ちの部分で浮き沈みすることがあった。だから(DeNA時代には)ファームにいるときは一軍の試合はほとんど観なかったんですよ」

 ライバルが活躍すれば心がざわつき、その心の揺らぎが、結果的には自分のパフォーマンスにも影を落とすことがあった。

「それから自分のやるべきことを明確に持って、そこに進むってやり方をずっとしてきた」

 あくまでマイペース。それが梶谷の野球に向き合う合理主義なのである。

 ただ、そんなマイペース風の梶谷だが、心の底に秘めたチームへの熱さを知るからこそ、古巣DeNAのファンは今回の別れを特に惜しんでいるという話を聞く。

 2016年のクライマックスシリーズ。梶谷はファーストステージで巨人・内海哲也投手から死球を受けて左手薬指を骨折。広島とのファイナルステージへの出場は難しいと言われていたが、患部を添木で固定して打席に立ち、グラブに穴を開けて負担を減らすなどして強行出場をした。

折れた左手を必死に伸ばしてダイビングキャッチ

「骨折しているのに出てダメだったら叩かれるのは分かっていた。だから出るときめた以上は腹をくくって、絶対に結果を残そうと。それに球団で初めて出場するファイナルステージに出なかったら一生、後悔すると思った」

 梶谷は振り返っている。

 そして第3戦では3点目となるタイムリーを放ち、8回2死満塁では新井貴浩内野手の右翼ファウルゾーンへの飛球に折れた左手を必死に伸ばしてダイビングキャッチ。そのプレーでチームを救った。

「ボールしか見ていなかった。何も考えずに行っちゃいました」

 クールな男が秘める熱き心。

 打倒ソフトバンクを誓ってスタートを切る2021年の巨人には、そんなジキルとハイドな男が必要なのかもしれない。

文=鷲田康

photograph by Sankei Shinbun